182.夜華
ひゅるひゅるひゅる……。
指笛のような甲高い音を発しつつ、夜空に向かって昇り朴の尾を引いた火球が登っていく。
あの音は昇り曲と呼ばれる、花火玉に仕込まれた笛の一種だ。
別に空気を裂いた音ではない。
頂点に達した火点が消える。
そして次の瞬間、炸裂。
菊先。
黒い夜空に、白色の花が咲く。
一拍遅れて、腹に響く爆発の重低音が届いた。
視覚への印象付けに連続する聴覚への刺激。
伝播速度の違いの美である。
気のせいか火薬の香りがする。
光の花が筋を垂れさせながら消えていく。
わずか数秒で命らを散らした八尺玉。
灰色の煙だけを残して霧散した。
しかし次の瞬間には、下から下から何発も火点が昇ってくる。
空高く上昇した花火玉が、時限発火によって内圧を高めて破裂させる。
牡丹だ。
空を爆撃するようなスターマインだった。
赤々とした光の尾が珊瑚色の花弁を開く。
それらが菖蒲色に変色しつつ点滅しながら消え、すぐまた打ち上げられた花火玉が連続して爆裂する。
長時間対空する錦冠に銀冠、葉っぱがバラバラ落ちるような葉落、破裂後小火点が飛び回る青蜂に銀蜂、下方から筋を伸ばしていくトラの尾、河川沿いで行われるナイアガラ、型物は動物やキャラクターを模した破裂の仕方をした。
絶え間なく打ち上がり続ける花火。
夜景の明かりで深黒とまではいかないが、黒い闇夜に鮮やかな光の落書きを残して消えていく。
激しく発光し、アルカリ金属反応で色とりどりの火花を残し、やがて儚く散っていく。
燃え上がる一瞬一瞬が、人々の容易に引き出せぬ深い記憶へと刻みこまれていく。
花火は、おそらく世界でもっとも激しく儚い芸術なのだろう。
『陸奥定岡刀。3号玉、4号玉の40連発で夜を彩る大杜若。すこやかな明日の未来を作る、蛇の目技研様からです。つづいては……』
彼方の地域放送用スピーカーからアナウンスが流れた。
僕らの到着するより一足先早く、花火は打ち上がり始めてしまった。
それでも開始から数分後には目的地まで登りきることができた。
道半ばで三郎が雪駄の紐を切らしてしまったりとアクシデントもあったが、概ね予定通りに到着できた。
山腹にある戒昏殿の境内。
人はまばらに点在し、思い思いの場所で夜空を見上げている。
混んでいる、というほどでもない。
あちこちにバラけていることを差し引いても、せいぜい10人いるかいないか。
もっとも、少し歩けば背の高い草薮が群生していて、その陰で何組のアベックが取り組みをしているかわかったものではない。
僕たちは結城の持ってきた簡易レジャーシートを広げ、石畳の地べたに座った。
蛍光色が宵闇によく映える。
ここは観光地に考慮されていると言えず、境内は広めなわりにベンチが1つもない。
殿の段差は既に占拠されているし、座ろうとするなら地べたにか簡易椅子やレジャーシートを持参するしかないのだ。
本当に最低限歩き見できるだけで、ほぼ必要な神事だけでしか使われない。
灯りも数本の街灯が立っているだけで、追加に祭り用の提灯が周囲にまばらに配置されているだけ。
平日の夜であればその提灯さえ取り上げられる。
歩くだけで精一杯の光源しかなくなる。
境内周辺は鬱蒼と茂った緑によって一寸先が闇だ。
山中はおろか、舗装された道ですら充分に暗い。
2年に1度は、好奇心の不法侵入者が足を滑らせて負傷し、それが「小鬼の悪戯」等と噂されもするが、結局は必然的に起きた自業自得の怪我でしかない。
同時にこの暗がりは肝試しに絶好であり、安全策を敷いた上での子ども会による納涼も行われたりする。
境内から見上げる花火は、高さと空の広さも相まって豪快だ。
夜空に炸裂する火の玉が視界いっぱいに広がる。
だが花火との距離が近すぎるのも難点だった。
打ち上げは神社横を流れる川沿いで行われている。
相対距離が近すぎるがゆえに、首を45度以上に上向けなければ都合よく光景が収まらないのだ。
実のところ傾斜角に一考するなら、商店街付近にまで後退した方が見物するに丁度いい。
とはいえ、炸裂する火炎の華を間近で見られる利点が劣ってもいない。
視界を占領する光の広がり、腹に響く破裂音。
いずれも迫力優先ならここがベストスポットだ。
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