172.何を願うノ?
そして気付く。
僕自身の変化に。
自分の姿が、真っ白だと。
服も皮膚も、体のどこかしこもが色を失い石膏像のようだった。
自分では確認できないが、おそらく足先から頭のてっぺんまで全身あますところなく。
気分が悪くなりはしない。
五感は健康であり、またこの世界で五感が正常に働いている確信はない。
自分が息をしているのかも分かりはしない。
きっと息絶えていたとしても、自身の死を自覚できないだろう。
その代わり、薬指が欠けていた。
第二と第三関節の間から、知らないうちになくしてしまっていた。
出血はない。断面は全身と同じ石膏じみた滑らかさ。
不思議と欠損の動揺がない。亡くした指にもまだ感覚が残っている。
亡くした薬指の左手は、結城の肩に置かれている。
いや、結城と思われる……赤い塊にだ。
異形でも石膏像でもなく、結城の姿をした真っ赤な流動する血の塊。
液体が波打ち蠢いている。
血の塊が、空洞でしかない口と思われる穴を開いて喋った。
二重三重の狂ったサラウンドの声。
人の声帯ではなく、金物を引っ掻くように甲高く耳に障る。
――――あーチャんはなにヲ願うノ?
血の赤い筋が、静脈を通して左手を侵食する。
血管内部を刃物で切り裂かれる痛みが襲う。
内出血を起こさないのが不思議なくらいの激痛だった。
痛みが手を這い上がってきた。
身体が硬直して動かない。
自分で結城の肩を掴んだはずの手が、指を動かせずに外せない。
痛覚によるショックで麻痺していた。
誰かが……何かが僕の背中に触れた。
黒い手だった。
黒い手から伸びる先は、真っ黒な小柄な塊だった。
直径150センチ程度。
焔のような黒煙が、ゆらゆらと全身から立ち上っている。
それは黒い塊としか形容のしがいがなく、この場では和紙にぶちまけた墨汁がごとく明瞭すぎる余りに視認性を低下させるほどだ。
汚染し上塗りする白に対し、あらゆる色彩を吸い込む暗黒。
そして唯一、小さな目玉が一つ、下から僕を見上げていた。
触れた手から、黒の一波が奔流し僕に染み込んだ。
じわりと速く、色だけが伝播した。
背中、胸、肩を経由して血管を侵食する赤にぶつかり対消滅を起こす。
赤と黒が粉々のガラス片となってバラバラ落ちた。
痛みが、ふっと消える。
白の世界と異形と血塊の結城の姿が、正常に戻った。
祭りの景色と見慣れた幼馴染の姿が。
肩を掴んでいた彼がこちらに振り向く。
安心して、自然と手が離れる。
「そうだね。お願い事、ちょっと欲張りすぎちゃった」
「……何をそんなにお願いしてたんだい?」
「そりゃあ、あーちゃんとずっと一緒にいられますように、だよ」
「そっか……」
「もう降りよっか」
「あぁ……」
結城に押され促され、右手に開いた出口の空間から出る。
僕たちが退場すると、後ろについていた客たちは何事もなかったかのように参拝を始める。
……事実、彼らには何もなかったのだろう。
ふと、また三郎がいない。
景色に異常が訪れる寸前までは、不器用な合掌をしていたというのに。
右隣にいたはずの彼は、出口の数歩先を歩いていた。
僕たちのことなどお構いなしだ。
マイペースにズンズン進んでいくので見失わないよう小走りで追いかける。
彼の後ろ姿、肩にひらひらと布きれが纏わりついていた。
真っ黒なそれは、風に吹かれて剥がれ落ちる。
中空で粉々に霧散し、完全に消滅した。
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