171.白い汚染

 作法に則り、二礼二拍手一礼をする。

 吊り鈴を鳴らし、二回のお辞儀、二回手を叩き祈る。

 風変わりといっても、この辺りの作法は一般的な神社と違いはない。


 手を合わせながら、何に願をかけるか決めていないことに今更ながら気がついた。

 凡百で特技らしい特技もない自分。

 しかし不足はなく、それなりの幸せが享受できる毎日。


 なので、願掛けは自然と消去法になっていった。

 自分を中心に世界が幸せでありますように。

 人並み外れた幸福が訪れるよりも、不幸が起きないことがなによりの願いだ。

 特に最近は、平和を乱す不穏分子が跋扈(ばっこ)している。


 2秒程度の目瞑りから瞼を開く。

 視界には今まで何度か目にした拝殿の内装が広がっている。

 外と同じく青を基調とした異質な部屋。

 柱も壁も畳も薄い青。違うのは一部の調度品くらい。

 よく清掃が行き届き、埃一つ落ちていない。


 イロモノという印象をあまり受けないのは、全体的な雰囲気に神社仏閣特有の静謐(せいひつ)さが損なわれていない為だろう。

 神社という擬似的な現世の浄土の厳かさ。

 その中でも拝殿や本殿は一際(ひときわ)浮世離れしていた。


 拝殿の奥。

 内陣のさらに奥まった場所の中心に、豪勢な仏具棚がある。

 その上に安置された、一つの桐箱。

 表面が赤黒の漆塗りをされた蛇鱗柄。


 異様だった。

 青い周囲の中でそれだけが趣を異にしている。

 場に馴染まず浮いていた。


 その箱の中身は御神体。

 噂によれば鬼の脳みそだとか。

 直接見た者は気がふれて自害してしまうとか、あまりに白いその色が周囲の心を吸い取って廃人にしてしまうだとか。

 誰が言いだしたのか、好き勝手な妄言が地元に残っている。

 神社が表立って噂の真偽を否定したことはなかった。


 まるで昔話の怪談だ。

 そんな呪われた品が堂々と据え置かれているはずがない。

 きっとパンフレットの記載通り霊木だろう。

 というか、そうであってほしい。


 最後に一礼をして終える。

 その場を去ろうとして、結城がまだ二礼の後のまま手を合わせていることに気づいて足を止める。

 少し待ったが、瞼を閉じた彼の横顔がぴくりとも動かない。

 合掌を止める気配がない。真剣な面持ちのまま固まっている。

 何をそんなに願っているのか。

 参拝の持ち時間に決まりなどないが、あまり図々しく居残るのはマナー違反だ。


「結城、ずっと独り占めしちゃダメだよ。みんな待ってるんだからさ」


 彼の肩に軽く手を置く。


 その瞬間、拝殿奥の桐箱が白く鳴動した。

 心臓の鼓動の音が大きく響き渡った。

 誰の鼓動ではない。世界の心拍だった。


 桐箱を中心に、白が一瞬で世界を駆け覆る。

 辺り一面が、白に汚染された。

 あらゆる無機物から色と境界線が漂白された。

 地平の果てまで白が、ずっと続いていた。


 振り返った先に、行列に並ぶ異形たちがいる。

 先程まで僕らも並んでいた列に。

 彼らは色を失っていなかった。生物だからなのか。

 その外見は統一されていない。

 あの赤黒の世界にいる化け物と同質だった。


 やはりまぎれもなく、異形たちは人そのものらしい。

 人のいないはずの場所にも奇妙な異形はいる。

 それらが如何なる存在かはわからないが、概ね異形と人はイコールなのだろう。


 何故、僕にそう見えるのか、答えは出ない。

 ただ恐怖と焦燥は完全に消失していた。

 見慣れたせいか、別の要因か。

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