170.賽銭
「僕の、目は……特に異常はないと思うんだけど……」
「んー……とね、あーくんはさーやの顔がどう見えてる?」
「どうって……普通、だけど。今は」
多少、童顔。
透き通るような色白の肌。
色素の抜けた髪。
笑うと鋭い犬歯が覗く口。
概ね、他の誰しもが認識する三郎像のはずだ。
「それはね、あーくんが見ているさーやの外側と内側が一致してるからなんだよ。さっきのはね、さーやの内側の形をちょこっと変形させてみたの。あーくんの目に、変形した内側の像が外側にまで影響して、変わって見えたってことなんだよ。実際はなんにも変わってない」
「内側と外側?」
僕の内側の認知像?
どこかでそんな話を聞いたような。
一瞬で理解の及ばぬ手品じみた異常現象を起こす、そんな体験が以前にもあったような……。
「さーや達には元の形があるんだよ。自分の形を維持する為の、自分の形。みんなにみんな、それはあるの。人がその外見の形をしてるのは、その人がそういう形を望んだからなの。その形を変えるのは、実はそんなに難しいことじゃない。あーくんが望むなら、さーやはどんな形にだってなれるよ」
「…………」
「でも、あーくんがさーやのお顔を好きって言ってくれて嬉しいな」
三郎は自分の頬をいじらしげに摘む。
子供のような弾力の肌はよく伸びた。
焼きたての餅みたいだ。
「うん、さっきみたいのは……二度とやらないでほしいかな」
三郎の顔が特別に好きという訳ではなく、化け物面に比べればずっと心臓に優しいという話だ。
いきなりのドッキリが、ノミよりやや大きいという程度の僕の心臓寿命を縮めた。
表にこそ出さなかったけれど、全身に痛い電流がピリリと走るほどに驚いた。
しかし、三郎の顔立ちはどこか落ち着く。
見慣れた容貌ではなく、ましてや三郎本人の存在から恐怖は消えやしない。
ただ、彼の顔はどこか安心を与えられる。
純朴さとは違う。純真さに心打たれるとは、絶対に違った。
例えるなら、慌ただしい時期にふと使い慣れたマイカップにコーヒーを入れて飲むような、そんな気づけばそこにある安心さ。
結城のそれとは別種だった。
彼のは自分と共に育った、帰るべき自宅のような安らぎ。
三郎のは、もっと僕が産まれるずっと前から存在していた、そんな由来のわからない出所不明な何かだ。
「あーちゃん、前空いたよ?」
結城が前進するよう促してくる。
気づけば列が進んで、前方に空間が出来ていた。
後ろの列客が、立ち止まっている僕らの進行を待っていた。
結城も周囲の人々も、三郎の豹変に気づいていなかった。
列が進みきり、参拝の順番が回ってくる。
賽銭箱1つに2人が原則だが、未成熟な僕らは3人で横に並ぶことが出来た。
三郎の肩幅に至っては大人半分あるかないかだ。
財布から5円玉を取り出して、賽銭箱に投げ入れる。
硬貨が格子にぶつかり、あわや枠外に落ちそうになるも、なんとか穴に吸い込まれていった。
賽銭箱の受け取り距離は稀にある。
格子は箱に手を突っ込む不届きな賽銭ドロ対策。
だが運悪く跳ねっ返りが激しいと、賽銭箱外の地面へお供えしてしまうことになる。
順番も回ってきていないのに後ろから自由投する罰当たりはおり、落下距離の高さが生んだ運動エネルギーで衝突して大きくバウンドしてしまう。
なのでそっと投げ入れよう。
隣で結城が財布から500円玉を取り出していた。
今年発行のピカピカだった。
日本円でもっとも重いずっしりした存在感の硬貨。
「500円も入れるの?」
中学生にはそれなりの大金だ。
コンビニでそこそこの買い物ができるし、軽い定食が食べられてしまう。
「だって今日は勝負なんだもん。神様にボクの本気のお願い聞いてもらわなくっちゃ」
5円や10円だって気持ちがこもっていれば立派な賽銭だ。
金額の大小ではないはず。
むしろ買収のようで心象が悪くならないだろうか、神様の。
「……ふぅん、本気ねぇ」
それを見ていた三郎が、1000円札を出した。
指で摘んでピシッと伸ばし、結城に見せつける。
「あ?」
結城が500円玉を仕舞って5000円札を出した。
さらに三郎が10000円札を出そうとしたところで止める。
「みんな一緒に5円玉で、ね」
地獄の沙汰が金しだいでも御仏の慈悲は金で買えない。
真剣さは伝わるかもしれないが、あまりに醜い意地の張り合いだ。
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