169.おしろい

「まぁ、崩れない心配がないのがもっと良いけど。しないのが一番楽だからね、誰かさんみたいに。一応、外歩くなら軽いマナーだと思うし」


 結城が傲慢さのある声色を誰に向けたのか。

 三郎だった。

 その言葉は彼には届いていなかったようで無反応だった。

 ぼーっとして列が動くのを待っている。


 一段と背の低い三郎は、この人ごみに埋もれてさらに小さく見える。

 周囲の客の腰と胸の中間が目線の高さだ。

 そそり立つ壁に阻まれているも同然だった。

 存在を察知されず周りの人に蹴飛ばされなければ良いが。


 しかし彼は涼しい顔をしていた。

 比喩ではなく、文字通り汗玉一つ浮いていない。

 頭の低さと圧迫感で、人並み以上に暑さを感じそうにも関わらずだ。


「暑くない?」


「ん? 平気だよ」


 三郎はニコリと化粧っけのない笑顔を浮かべた。

 確かに彼はまるで化粧をしていないようだった。

 というより、まったく何も付けていない。


 その童顔と同じくらい肌年齢は幼く瑞々しく、顔料を不要としている。

 子供の幼肌に人工物を塗りたくるのは、処女雪に足跡をつけるようなものだ。

 あるがままが最も均衡が保たれている。


「さーやは……化粧とかしないの?」


 言ってしまってから失言だと気付く。

 人によってはセクハラではないか。

 どうも三郎へ語りかけることに慣れない。

 どう話しかけて、どういった話題を持ち出せば良いのか判断に困る。


「化粧?」


「ファンデーションとか、アイメイクとか……よくは知らないけど」


「んー……こういうの?」


「え……?」


 三郎は両手で顔を隠した。

 洗面のような手つきで擦った後、手を離して顔の両側で広げた。

 悪戯っ子の口調で言った。


「ばぁっ!」


「ひっ……!」


 三郎の顔に密林が造成されていた。

 焦げ茶色の地肌。銀と黒のアイシャドウとグロス。

 紫色の重そうな付けまつげが、目を覆い隠すほどに盛り付けられている。

 まるでジャングル奥地の未開の部族が成人の儀で施す化粧だった。


 驚愕でその時は思考が停止してしまった。

 後から思い出して判断したが、やまんばギャルという昔流行った奇抜なギャルメイクだった。


「あはは、びっくりした」


 次の瞬間、三郎の顔面は元の素に戻っていた。

 一瞬で容貌が様変わりし、意識の連結しない一瞬で元に戻った。

 どういうことだ。手品?

 手品……にしてはタネも仕掛けもなさすぎる。


「えっと……今のなに?」


 三郎はその質問には答えず、


「さーやのお顔、どんなのがいい?」


「……そのままがいいよ。あるがままの君が」


「あるがまま、か」


「どうやったんだ? さっきの顔」


 僕は再度問いかける。

 三郎は唇に人差し指を当て、数秒考えてから言葉を返してきた。


「あーくんの中のさーやの見え方を、ちょっとだけいじったんだよ」


 僕の中の見え方? なんだそりゃ。

 視力は悪くない方だ。乱視や近視遠視もない。

 見えるものは見えるものしか映らないはずだ。

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