165.手水舎
そんな美しい景観と忌まわしい文化遺産を横目に進む。
さらに社務所を過ぎ、10メートルも前進すれば拝殿だ。
参拝前に身を清めようと、手水舎に逸れる。
そのまま通り過ぎてしまう人もいるが、大半は手水でゆすぐ為に寄る。
うねった道の方こそ本流だ。
手水舎は切妻屋根を四本の支柱で支え、その中心に御影石の水溜があるだけの簡素な吹き抜け。
同じ花崗岩製でも、こちらの水溜は平面にならされている。表面がツルツルになるほど加工され、ゴツゴツした粗さはまったくない人工さを感じる。
多人数が触れるので突起があれば怪我をしてしまうからだ。
なめらかにくり抜かれた窪みに、水道から引かれた水が竜頭の装飾から流れ落ちていた。
溜水は排水に流れていくので滞留した汚れはない。
またこの水は山川の真水であるが、浄化槽を通しているので万に一つも寄生虫などの心配はない。
手水舎の順番が回ってきた頃、隣にまた三郎がいないことに気づく。
彼はやや離れた場所で足を止めていた。
道の中央で立ち往生しているので、道行く通行人が邪魔っけに避けている。
「どうしたの?」
僕は柄杓を取りながら、後方で待機する三郎に問いかける。
彼はきまり悪げに視線を彷徨わせていた。
「……さーや、それいいや。やらない」
「それ?」
「水」
「手洗いうがい? でも参拝するならしないと」
しなければならない、ということもない。
法律で決まっている訳でもなく、それが形式上の決まりだ。マナーみたいなもの。
もちろん無視してしない人もいるが、理由がなければなるべくした方が良い。ご利益が失われる、かもしれない。
「ハンカチないんじゃない? それか、柄杓や水道を共有するのが嫌いとかさ。集団意識のない奴」
隣で左手に水をかけている結城がそんなイヤミを飛ばした。
確かに、柄杓は訪れた様々な人が触っている。
潔癖症や神社文化のない外国人は苦手意識を持っているという話も聞いた。
柄杓に直接口をつけないにしても、回し飲みに近い感覚だとわかる。あるいは食器の使い回し。
だが正規の使い方がされていれば汚いなんてことはない。
神社側がきちんと清掃している。
衛生に問題があればとっくに廃止されているはずだ。
「汚くないよ。ほら、僕も結城もみんなやってるだろ?」
何度か柄杓を持って水を汲み、片手にかけて見せる。
子供に手本を見せる親のようだと心の中で苦笑した。
そうまでして勧めなくても良かった。
人の好き嫌いなど千差万別。ある人が許せることも、別の人は許せない。
文化圏の違いだけでなく、個々人によって細かな許容範囲は異なる。
三郎にとっては、たまたまそれが手水舎なのだ。
強引な要求は親切の枠を超えてハラスメントになる。
端からの僕は嫌な奴かも知れない。
「…………」
「…………」
三郎は無言で、雪駄の足先で地面を擦っていた。
気が進まない、態度がそう言っている。
僕が「もういいよ」と言うのを待っているのかもしれない。
僕は彼をどうしたいのだ。
別に参拝礼法を普及したい信念があるわけじゃなし。
寺社文化の回し者かと。
無理に勧める理由はなにひとつない。
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