162.言い訳

 周囲に目を配せる。

 いた。

 川べりに腰ほどの高さの鉄柵がある。

 背後の川へ落下対策で、縦横1メートルほどの太く角のない丸まった鉄パイプのようなコの字が、等間隔で地面に突き刺さっている。

 安全柵と言えるほどの遮蔽性はない。

 本当の転落防止には、さらに後ろのナイロンネットが張り巡らされているので警告程度の柵だ。


 その柵に三郎は静かに腰かけていた。

 背丈の低い彼には、鉄柵は胸ほどの高さがある。

 それを尻に敷くのだから、足は地面に着かず危なっかしい不安定なままに座っている。


 だが前後に体を揺らそうとも、足をブラブラさせようとも、姿勢制御でまったくバランスを崩さない。

 楽しそうでもないが特に恐怖もない様子だ。ただただ面白くなさげにしている。

 いくら転落防止ネットがあるといっても、真後ろの小さな崖と真っ暗闇を鑑みれば、そんなところでふざける人もあまりいない。


「…………」


 声をかけようとして、言葉が喉に詰まる。

 三郎を放置して2人だけで知人と会話をした。

 疎外感を与え、非常に気分の悪いことをしてしまった。

 彼がご機嫌な訳がないからだ。


「……どうしたの、あーくん。お話、終わった?」


 三郎が上体を、大きく後ろ斜めに仰け反らせる。

 髪が重力に引かれ、前髪が生え際まで丸出しになる。

 首から顎にかけて白い肌が直線を描く。

 片目が下からこちらを”見下ろし”てきた。

 重心が致命的なところまで崩壊しそうだが、掴んだ腕の力だけでこともなげに態勢を維持している。


「えーと……」


「…………」


 何か言われるのを待った。

 一非難でもあるのかと。

 三郎は無言で返してきた。

 咎めでも言われた方がマシだったかもしれない。

 怒っている、かどうかは分からない。不用意な言い訳はすべきではない。


「ごめん、1人置いていって。クラスメイトがいてさ……社交辞令でも挨拶しとかないとさ、無視する訳にいかないし、ほら、教室で会った時空気悪くなるからさ」


 口をついて出たのは結局言い訳だった。

 どう取り繕ったところで三郎を置き去りにしたことに変わりはない。

 本当のことをそのまま伝えれば良い訳でもないと後悔した。


「あーくんのお友達?」


「友達? どう……かな。同じクラスだけどあまり話したこともないし。顔と名前を知ってるくらいの仲、だよ」


 三郎がぐいんと上体を戻した。

 反動もつけず苦もなく。

 スポーツ選手や軍人じみた腹筋と体のバネだ。


「ふぅん……楽しそうだったね」


「楽しいってことは……」


 咎咲と景山は殆ど結城の友人だ。

 僕はろくに話さなかった。話すべき話題もない。

 あの場では置物程度の存在感しかなかった。

 人の輪で馴染めない孤立は孤独より疎外感を伴う。

 楽しい訳がない。


「あーくんはお友達がいっぱいいるんだねぇ」


 三郎がついっと視線を横下に逸らす。

 嫌味を含んだ口調ではなかった。

 抑揚のない平坦さ。

 近いのは寂しさだった。だが寂しさというには、自身に向いていない。


 三郎が時折醸し出す、得も言われぬ暗さ。

 年齢不相応な、妙な艶めかしさがある。

 ぶりっ子で傍若無人な普段があるせいか、余計に背徳な色気を感じてしまう。


「友人って言っても、殆ど他人みたいなものだよ。ろくに人と成りを知らない。さーやのがまだ身近なくらいだ」


 咎咲と景山について、今さっきまで何も知らないも同然だった。

 三郎も身近に感じるといっても、この2日間で表面的な彼と付き合っただけ。

 そして家族よりも近しい結城でさえ、僕の知らない側面を持っている。

 周囲のいずれの誰でも、僕はその本当を何も知らないのだ。知らないことだらけだ。

 もっと言えば、自分のことさえ分からない時がある。

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