156.敷居
僕らは誰ともなく神楽殿の傍まで行き、取り囲む観衆の半歩後ろから神楽を眺めた。
床が高く、それほど間近に迫らずとも舞台上はよく見渡せた。見物する利便に距離は大して関係がない。
むしろ、あまり接近してしまうと下から見上げる形になり、かえって首が痛くなる。
だから設置された幾らかの簡易椅子は神楽殿から1メートル程度の距離を開けているし、立ち入り禁止のトラロープ代わりとして機能していた。
いわゆる公共距離(public distance)は3.5~7メートルと言われている。
講演者と聴衆という関係性ならば、もう少し距離を離すべきだ。
しかしこの巫女舞は魔祓いを兼ねている。
遠ざかると観衆への御利益が下がるという意味合いもあるのかもしれない。
心の距離は体の彼我距離でもある。
また、神楽殿の構造は心理的な側面でも接近を躊躇させる。
アメリカの建築家、オスカー・ニューマンによれば建築物への侵入に際し物理的障壁のみならず、象徴的障壁も防御能力があるのだという。
例えば見通しの易さ、高低差などがそうだ。
神楽殿は壁が一切なく、段差も一跨ぎで登れないほど高い。
それだけで観衆は容易に近づけないのだし、事実、重度の酔っ払いやタガの外れた人間でもなければ、茶々や横やりを入れようとはしない。
なにより、巫女舞の神聖で厳粛な空気は、言葉を介さずとも不用意に触れてはいけないと誰もが感じ取る。
一見あけすけであるが、目に映らない強固な壁が立ち塞がっていた。
「懐かしいね。覚えてる?」
隣で結城がそう言った。
懐かしい……思い出す。
そうだ、この巫女舞は経験がある。
「ん……あぁ、そうだね」
まだ小学校中学年頃だったか、子供会の行事で参加した。
地元の子供が地域の文化に触れる、とかそんな名目で子供会に所属する児童に巫女舞を体験させている。
今でもまだ続いているはずだ。
仮心市すべての子供会は参加しない。
神社に比較的近隣に限る。
僕らは仮心市子供会さくら組。その近隣に含まれていた。
実際に祭りの本番で舞う訳ではない。
振りつけを教え、体操着か何かで巫女舞の真似事をする。
実地を伴わない子供念仏みたいなものだ。
ただ、それをきっかけに後々舞者と成る者もいる。
興味の間口となっている面もあった。
年々、少子化で厳しくなっていく伝統文化の継承者不足問題。
この巫女舞もまた例外ではない。
物として残らない以上、人伝てに継がせていかなくてはいつか廃れてしまう。
実体がないから、忘れられてしまう。
結城は、当時のグループの中でも秀でていた。
おそらく近年でも屈指のコピーダンス能力者だっただろう。
神社関係者が巫女舞の習得を勧めていた。子供たちの中に才能の芽があれば勧誘していたようだ。
だが彼は首を縦に振らなかったし、関わったのもそれっきりだ。理由は聞いていないが、興味がなかったのかもしれない。
また、その頃から彼は女装をしていた。
舞者たちはあくまで巫女装と女性の面を着けただけの女装だから、女性と遜色のない容姿の結城はより適役だった。
ここまで少女そのものは、探してもそうそういない。
もしその道を進んでいたら、ちょっとした有名人になっていた可能性もある。
「結城って、完成度高いよね」
彼は僕の発言にきょとんとしていたが、すぐにぷっと噴き出した。
意図が伝わったか伝わらなかったのか、袖で口元を隠し、クスクス笑った。
「なぁにそれ? 完成度ってなんのこと?」
「いや、別に……」
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