145.広場恐怖症

 恐怖が薄らいだとはいえ、不可解な空間だった。

 延々と続く縁日。

 歩けども歩けども果てがない。

 しかし同じ場所を繰り返している訳でもなさそうで、異形の姿形は少しずつ違うかまったく違う。彼らの露店の真似事じみた奇行も、よく観察すると僅かずつ差異がある。


 欠損した提灯。

 電気など通っていないはずなのに、赤紫に発光している。それも、どれも明るさはまばらだった。

 懐中電灯ほども輝いているのもあれば、蝋燭の火よりも弱々しい光もある。

 光源には実体がなかった。

 提灯内部で何かが化学反応したり燃焼していない。物質的な可視光による明るさではない。

 白みを帯びた、ただのフレアだけなのだ。


 濁り淀んだ空気はどんより重い。血臭にいくつもの別の臭気が入り混じっていた。

 鼻腔から嗅ぎ取り、細かく分析すれば、大気分子に無数の色違いが混在し脳がパンクしそうになる。

 例えばイチゴ。あるいは油揚げ。かと思えば練乳。または夕方のカレー。真夏に焼けるアスファルトとか。それか学校の廊下。校舎裏の黴臭さ。冷やし中華のきゅうりなんかも。

 空気の密度を全く無視した、あまりに多すぎる情報が密集し浮遊している。


 どれだけ歩いたか。

 やがて唐突に開けた場所に出た。

 横直径80m程度の楕円の広場。ちょうど学校の運動場と同じくらいの広さ。


 ここは、待ち合わせ場所のはずのやぐらだろうか。

 広さや場の作りはよく似ていた。

 この空間次元の距離感は狂っているので、似ているからと同じ場所だとも限らない。


 露店の並びは横へと広がっていく。

 通行人の流れも同じく左右へと分断されていった。中央は建造物があって通れないからだ。

 特に決まりなどないが、だいたい時計回りにみな移動している。

 異形でも流れに身を任せる程度の一体感は持ち合わせているらしい。


 ここが広場なら、中央にはやぐらがあるはずだ。

 果たしてやぐらは、なかった。

 その代わり、白く巨大にそびえ立つ指のような形をした物体が鎮座していた。


 奇妙で薄気味悪い。

 全体に、紐が絡まり合ったようなデコボコの隆起がある。

 螺旋状に上方へと捻じれていた。


 表面は柔らかそうだ。

 金属ではなくタンパク質に近い組成か。肉の塊かもしれない。

 スポンジを想起させる。

 ザラついていない。ツルツルだ。そして、どこもヌルヌルした粘液が纏わりついている。


 それもただそこに在るだけではない。

 脈動している。

 心臓周期と同じ速さで、内側から叩かれ外側へ衝撃が逃げようとしていた。

 ドクン、ドクンと。

 下方が脈動すると、捻じれに合わせて上方へと連動していく。

 音はかなり大きく、何も知らされずに聞けば太鼓の音だと勘違いしただろう。

 ただの置物ではなく、生きていた。


 それの周囲を、くすんだピンク色の小人が踊りながら周っている。

 踊っている、というよりはただ手足を振り回しているだけだ。

 細長い手足を千切れんばかりに鞭のようにしならせている。

 小人には一切の凹凸(おうとつ)がなかった。

 どこもかしこもツルツルで濁った光沢がある。いつだったか化学の授業で閲覧した、教科書に載っていたアドレナリンの顕微鏡写真に酷似している。


 そして、やぐらの代わりにある物体のてっぺんに、誰かいる。

 そいつもまた踊り狂っていた。

 遠く、色も黒い空より黒い。形はよく判別できない。

 ただ、人の形に似ている、かもしれない。

 薄布を纏った女性が、羽衣のような布切れを打ち振るっている。

 それも、とても嬉しそうに。


「のう、だよ」


 傍らで誰かの声がした。

 あどけない幼児のそれ。

 子供特有の甲高さ。

 鈴の転がるような清涼感と甘さのある少女の声質。しかし女児にしては落ち着きと、独特な低さもあった。


 袖を下から引っ張られた。

 やはり子供だった。

 体の大きさからして、歳の頃は8~9歳くらいか。


 気づかないうちに傍に立っていた。

 妙に馴れ馴れしい距離で。

 子供特有の無防備な人懐っこさではなく、親しい相手との距離感だ。


 朱色の浴衣。

 やや赤毛が混じった長髪。

 膨大な情報を含む臭いに、確かにこの子の物と思われる清潔な石鹸の香りがした。


 そして、何故か顔に般若面を被っていた。

 白い肌、赤い角、金の目、裂けた紅い口。

 露店で売っているヒーローやヒロインのプラスチック面ではない。

 薄く木彫りし、上から油彩で色を付けている。重くて硬そうな。かと言って高価そうでもない。

 やたら年季だけは入っており、あちこち小さな亀裂がある。

 側部に付いた紐が、後頭部でチョウチョ結びに縛って留められていた。

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