146.原始脳

 どこの子供だろう。

 年下の児童と付き合いはあまりない。

 せいぜい2~3軒隣りの住人を知っているかいないか程度。近所で顔を見知っている小学生とも違う。


 ……いや、そもそもこの異形の世界に、僕以外の人間がいたのか。

 全てが化け物じみた容貌ではなかったのか。

 この世界でまともな人間の姿をしている僕ですら浮いている。

 この子供はそれ以上に場違いな少女だった。


「のう、だよ、のう。くふふふ」


 子供は広場の物体を指さして、また同じことを言った。

 愉快さを隠しきれないという含み笑いが漏れる。

 子供が知ったばかりの知識をひけらかしたいとする自慢げ。

 加えてからかう口調は馬鹿にこそしていないが、自身の優位を褒めてほしそうだ。


 のう……脳か。

 ようやくその言葉の意味するところを解した。


 再び、広場の物体を観察する。

 確かに、脳と言われれば脳かもしれない。

 解剖図と色や形が違っていて、指摘されなければ分からない。

 だが表面の紐状の隆起は、脳のシワそのもの。

 質感も同様だ。


 一般的に生きた脳はピンク色である。

 血液が内流し他部位の肉とさほど変わらない。手術での開頭では血塗れで赤い。

 ホルマリン標本では酸化メチレンによって、架橋反応で細胞死し灰色調になる。だから脳を灰色だと印象して記憶する人も多々いる。


 しかし、あそこにあるのは真っ白。

 クリーム色すらもない、石灰色である。

 色素が抜けた脳は死んでいる。

 灰色のホルマリン脳でさえ医学的には機能していない。


 白い脳とは、まったくもって不可解だった。

 あまりに年月が立ちすぎて、風化し灰と化しているのか。形だけ保ったまま。


 いや、ここは異形の地だ。

 常識的な解析が通じるはずもない。

 きっとあれも超現実的な何かなのだ。

 もしかすると、形や色に意味などないのかも。


 般若面の子供が僕の袖を引っ張る。


「白は潔白の色なの。何モノにも侵されない、空白の色。人の脳が色づいているのは、情報や汚れが詰まっているから。あれはね、集合知のイドラなの。人の脳じゃないの。原始脳。みんながみんな、繋がってる底にある集まり、の元になった最初の脳。でも何も入ってないの。空っぽなの。文化に侵されてないから。原始的なんだ。だから色がないんだ。人によっては愛って言うよ」


「……ムツカシイことを知ってるんだね」


 僕のオツムが足りないのか、この子の表現力が乏しいのか、何も分からない。

 集合知のイドラとは? 原始脳?

 いい加減なことをてきとうに並べているような気もする。


 だが子供は褒められたと思ったのか、照れくさそうに頭を掻いて体をよじらせる。


「へへへ、ボク賢い?」


「あぁ、賢いよ。賢い賢い」


 子供の扱いは苦手だ。

 下手というほどでもない。

 人から赤子を抱けを言われれば抱えもするけれど、積極的に年下と関わらない。

 その代償は軽くない。褒めることさえ白々しい。


「こーゆーのも知ってるよ。男の子はみんな照れ屋さん。想いと行動が一致しないの。好きなのに意地悪しちゃったり。だから女の子は男の子を上手に扱ってあげないといけないんだ、とかね」


「へぇ、小さいのに恋愛をよく知ってるね。僕よりずっと大人だ。君は好きな子も上手に扱ってあげられるんだろうね」


「偉い?」


「あぁ、偉い偉い」


「えへへ、またおにいちゃんに褒められちゃった」


 この子は僕のヘタクソな褒め言葉も素直に喜んでくれている。

 単純という訳ではない。純粋なのだ。

 あるいは今さっき言った事のまま、僕の方が上手に扱われているのかもしれないが。


 僕と違って、結城は子供の扱いが上手かった。

 近所の赤子連れの母親に子守りを頼まれることもあったし、近所の悪ガキ少年のあしらいも慣れている。


 ……結城?

 今、目の前にいるこの子供は、結城ではなかろうか?

 よく見れば容姿に似通ったところが多い。

 着ている浴衣もサイズこそ違えど、彼がブティックで選んだものに相違ない。

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