144.世界の裏表

 異形たちの狂喜の宴の中をひた歩く。

 人っ子一人いやしない。

 清浄で正常だった祭典が、異常以上の何物でもない場になっている。

 祭りの夜歩きが一転、試す肝も冷えて縮んでなくなってしまいそうな肝試しになっていた。


 ここはもしかして地獄ではないのか。

 生きては帰れないかもしれない。

 この祭りを進んで行けば、その先にあるのは釜湯でか針山か、はたまた賽の河原か。十万億土の土を踏むことになりはしないか。

 自分が死んだという自覚もないのに、魂だけ地獄に連れ去られることなどあるのだろうか。


 だが、そう思う一方で、僕は不安も恐怖もなかった。

 異形たちの間を歩きぬけていくことに、一寸の迷いもない。

 おそらくここを抜けた先も、地獄などではないと。

 どこに続いているか定かでないとしても。少なくとも、閻魔や鬼はいない。


 心の隅で、何となく分かり始めていた。

 立ち込める赤黒の霧、異形の存在。

 これらは多分だが、この世界の本質。


 何ということはない。

 見栄えこそ違えど、この異形の祭典も元の祭りと同じなのだ。

 いや、表裏一体と言えようか。


 これらの醜い化け物の姿こそ、人間の持つ裏側の姿だ。

 狂気をはらんだ異常な行動こそ、正常な日常生活の裏側だ。

 イカれているように見えて、実際はただ世界の皮が一枚めくれたに過ぎない。


 何度か結城の狂気や、赤黒の世界に触れてみて理解した。

 理解……という言葉で正しいのか自信がない。

 感じ取った、それくらいか。


 人は、誰しも狂いを持っている。

 どんな聖人も、どんな悪人も、産まれたばかりの赤ん坊さえそうだ。

 遺伝子と精神に刻まれた、抑圧された負。

 理性という強力な牢獄が、普段はそれを抑え込んでいる。現実という圧倒的な物質世界が、目視しないようフィルターをかけている。


 だがそれは、ほんの薄皮一枚で隔てられているに過ぎない。

 理性や現実なる、恐ろしく硬くて分厚い薄皮で出来ているから、僕らは日常で知らなくて済む。

 だから、心に平静を保っていられる。

 自身の暗部に向き合わずにいられるのだ。

 それこそ『魔が差して』内側から漏れ出てこない限りは。


 しかし、存在する。

 見えないだけで、狂気は存在するのだ。

 例えば薄皮が透明だったとしよう。例えば自分の心が表ではなく、裏側へ踏み入っていたとしよう。


 世界が変質したのではなく。

 自分の方の精神が、内側の暗部の近くへと近寄っているとしたら。

 見たい、見たくないではない。

 何かのきっかけで、見えてしまっているのでは。


 アビゲイル氏も言っていた。

 しょせん僕らは五感で現実を認識しているに過ぎない。

 普段はたまたま表の正常を知覚しているだけ。

 そして五感は絶対たりえない。

 常に移り変わる。誤作動も引き起こす。

 今そこに有りさえすれば、視点の変わりで世界の裏側が目に映ったとしてもおかしくないのだ。


 また、僕が恐怖を感じなくなった原因。

 おそらく、この異常な狂気も人の一部であると覚ってきたから。

 美しさの裏側に醜さがある。

 本質的には全く同一であると分かりさえすれば、姿形がどのように違っても、そこに恐れを抱く必要などない。


 と、そう考える。

 全ては憶測に過ぎない。

 世界の本質だとか、人の表裏だとか、ぜんぶ推測の域を出ない。

 ただ、そう考えると心の辻褄が合う。それだけだ。

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