142.社会生物
その上で、2人は僕にとって異質な存在だった。
結城は家族だ。
幼馴染であり親友であり兄弟であり理解者であり、誰よりも近い存在。
共有した時間だけなら、親よりも遥かに長い。
隣にいるのが当たり前。
そこに友情も愛情もセクシャリティも介在しない、ただただ根強く構築された関係性だけがある。
絵の具に溶けた水が、混ざり合いすぎて自分が水であったことを忘れるほどに。
言葉に出来ない間柄。同じ空気を吸って吐いても違和感などない。
49日前のあの日、結城と『そういう関係』になったことに抗いがたい違和を感じた。
自分から自分の一部を無理やり引き剥がされた。
引き剥がされた一部は、理解の及ばぬ姿形が不明な捉えどころのない物体へとなった。
それが結城との恋愛関係だった。
近すぎる相手は恋愛や繁殖の対象から外れる。
生物は本能的に近親者との交配を避ける。
遺伝子レベルでの異常を忌避する。
それは後天的な、社会性を伴っても発生し得る。
全く血縁がなくても、幼少から体験を共有した男女は恋愛関係になり難い。
頭では血が繋がっていないと分かっていても、脳が兄弟や姉妹だと刷り込みを起こすからだ。
逆に血縁者であっても、幼少を共に過ごさない場合は拒絶感がないケースもある。
そういう意味では、結城はあまりに近すぎる存在だった。
同性だから結婚や子供がどうとかではない。
限りなく自分の分身のような存在と恋はできないからだ。
もっとも、彼はそう思っていなかったかもしれない。
あの日、恋人として振る舞った結城の内側に、全く知り得ない別の二面性を垣間見た。
僕の理解していない、彼の別の性質だった。
家族だと認識する結城と、全くの他人であろうとする彼の振る舞いが、時間の経過で激しく不合致していった。
急に恐ろしくなった。
彼と恋愛関係になるのは家族の延長上ではなかった。
それまでと異なる絆の構築だった。
他人である結城と心を通わせる、今までに経験のない再体制化。
彼だからと、甘えることのできない冷たく無機質な社会に放り出された気がした。
彼の告白を受け取ったのは、あまりに浅慮だったのだ。
言われるがままに、何も考えていなかった。
そんなゆきずりで、なるようになるほど足元に地面が整備されていない。道なき獣道を、自分の足で歩かねばならない。
自分の浅はかさが、僕だけでなく結城をも傷つけた。
過去の自分をぶん殴ってやりたいくらいだ。
三郎は、僕の悩みの渦中に現れたイレギュラー。
彼は本能とも社会性とも、どちらにも属さない強烈な浮世離れである。
本能や社会性から拒絶に至った結城と比べても、明確な理由などなしに、関係を築くのは”あり得ない”ことだった。
ただただ、恐怖。
底なしの真っ暗。
隣にいるビジョンが想像できない。
例えるなら、野生の猛獣と共生するようなもの。
あるいは文明の灯りと、照らさない暗闇。
人と人とのコミュニティが形成できない。
それは彼の超暴力によるものだけではない。
噂だけでなく、目の当たりにして直感した。
あれは、人ではない。人という生物の、内側のさらに内側の凝縮だ。
情動や感情の、さらに奥にある深い場所にある”何か”。
霊感なんてまるでない僕でも分かる。
おそらく10人が10人、同じ感想を持つだろう。
人間の、限りなく奥深くにあるものを引っ張り出したら、三郎の姿になる。
それは紛れもない人である。と同時に違う。
人という存在があまりに濃すぎるがゆえに、人でなくなった何かだ。
人間の形をしているからといって、人間ではないのだ。
人、を意味するのは四つ足歩行のタンパク質ではない。
ましてや細胞核やDNAの塩基配列や、RNAの保持する情報を指す訳ではない。
日本人、鬼瓦 三郎の戸籍のことでもない。
太古から引き継がれた命の螺旋。
生物種を守る為に常に変化し進歩し続けた文化や知恵や法。
人類史の流動の中で、社会という枠組みで育まれた個人のことをいう。
人として育たず、あるいは自分が人であることを忘れてしまった人間もまた、人ではなくなる。
だから昔から、自ら望んで道を踏み外したり心が獣になるなど、人の規範から外れた人間はこう呼ばれる。
彼の者は鬼になった、と。
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