139.-挿話-可愛い自分
上半身の神経系を加速させる。血管が急激な膨張に耐えきれず幾つか破裂する。高速で流動した血液が摩擦熱で黒焦げる。
ナイフのハンドルを彼らの手首ごと掴み、上半身のバネを使って投げ飛ばす。
1人は横方向に。
太い杉の木めがけ。
肩から思いっきり打ち付けてやった。失神させるには充分な衝撃だったろう。
もう1人は前方、銃撃してきた男に向けて放つ。射線が阻まれ、彼は回避行動を取らざるを得ない。
だが重量90kgオーバーの人体の、初速で時速80kmを超える投擲を避けられる訳がない。
衝撃をなんとか殺そうと試みたようだが、2人がぶつかり、数メートル地面を転がり絡み合いながら転倒した。
彼らが立ち上がる前に距離を詰め、頸動脈を絞めて圧迫し気絶させる。
「……こいつらだけかな」
周囲を警戒する。
他にこちらへ向けられる害意はない。
祭りで人の雑念が混じり渦を巻き、遠方まで測り知れない。
男たちは見知らぬ人物だった。
黒人1人にアジア人2人。
パーカーやフードを脱がせてみても、顔に心当たりがない。服を探っても身分証は愚か財布すら持っていなかった。
外国人に友人もいない。
「どうするかな……」
頭を掻こうとして、そこに頭蓋骨がないことに気付く。
欠けた脳味噌から血液がベチャリと手に付いた。
幸い、自身の出血による汚れは軽微で済んでいる。
浴衣も脇腹や袖を貫通し、多少血も跳ねているが誤魔化せる範囲。
男たちの襲撃を正面から喰らったのも身なりを守る為だ。
血塗れの姿を愛する秋貴に見せたくない。
今から浴衣を買いに戻る時間もなかった。
決着をつけるのも今夜しかない。
吹き飛ばされた頭を再生させる為、染色体に分裂本数を嘘を教え込む。
テロメア同士を高速交配させ、削れた先から子テロメアで補填していく。
僅かずつ破壊された脳付近の肉を増殖させる。
考える。
彼らの素性、には興味がない。
恨みは買い慣れているから、誰の怨恨かなど知らなくていい。
極道でも自治体でも警察でも、知ったことではない。
問題は彼らに他に仲間がいるのか。
もしまだ伏兵がいて、こちらを襲う機会を伺っているのだとしたら、今後のあーくんとのデートに支障が出る。
邪魔されてはかなわない。
こんなのがまた途中で襲ってきたらぶち壊しになる。
ただ、可能性は低い。
男たちはただのチンピラというには武装しすぎている。対処能力の高さから、突発的な暴漢とは考えられない。
動揺しようと樹木に叩きつけられようと、僅かな呻きすら上げなかったのも異質だ。
まさか痴漢ということもあるまい。
こちらの素性を知った上で襲ってきたのだとしたら、先の一戦で全戦力を投入してきただろう。
半端に波状攻撃しても迎撃されるだけと分かっているはず。
奇襲とは警戒された時点でほぼ失敗だからだ。
威力偵察にしても、彼らは劣勢になっても逃げる素振りすら見せなかった。
「ま、考えても仕方ないか。なるようになるだろ」
他に敵はいないと結論付けてしまおう。
楽観視だ。
元々、あまり考えるのは得意ではない。ない知恵をめぐらせたところで分からないものは分からない。
あるか不明な脅威を懸念しても事態は好転しない。
結局、今残る疑問はここへ捨てていくしかなかった。
男たちも1日前後は気絶したままだろう。彼らの持ち物に無線機があったので念の為破壊しておく。
気休めだが、仮に彼らが意識を取り戻してもすぐに連絡を取ることはできない。増援がいても多少は足止めできる。
もっとも、その頃までに自分がこの土地にいるかも不明だが。
道に戻ろうとして、頭が欠けていたことを思い出す。
襲ってきた男たちのうち、なるべく明るい色をしたTシャツを剥ぎ取る。幸い赤に近いオレンジ色だった。破いて破損した頭部をグルっと巻いて縛る。
血のりがじんわりにじんでくるが、陽も落ち賑わう祭りの中なら、似通った色は見分けがつくまい。
オシャレとは言い難いが、脳漿丸見えのスプラッタを秋貴に晒すよりはマシである。
「さて、あーくんのところに戻ろうかな」
自分の内側にどれだけ闇が蠢いていたとしても、秋貴の前でだけは可愛い自分でありたかった。
嫌われたくない。好かれたい。
ただそれだけの為に。
彼が愛してくれさえすれば、どんな犠牲を払ったってかまわない。
地獄の底を、何千年でも何万年でも歩いていく覚悟だってある。
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