136.置き去り
鼓膜で結城の声が反響する。あー、
そういえば、 いや、これは脳内でか?
二重三重のサラウンド。そうだ。
脳の内側を声がデタラメに多重反射している。りんご飴好きだったよねー。頭蓋骨の壁面に衝突する度に、静かでありながらハンマーで殴られているような衝撃を受ける。そうだ。そういえば、
ヤバい。そういえば、
あー、そうだ。思考まで声で汚染される。
残響がいつまでも消えない。そうだ。そうだ。そうだ。
「へぇー、あーくんりんご飴好きだったんだー。意外ー」
あー、あー、結城の言葉を真に受け、三郎が僕の顔を覗き込んできていた。
僕は今、表面上、平気そうにしているのか。こんな状態だというのに。あーちャン
そウイエば、あーちゃん。三郎の表情から、自分が異常事態になっている、と伺い知れない。
りんご飴好きだったよねー。もし僕が苦悶していたらいくら彼が鈍くても、何らかの不審さを感じ取るはずだ。りんご飴好きだったよねー。
それがない?あー、あー、あー、
「さ……さー……」
思考した感覚記憶が言葉になる前に、結城の声に混濁される。リんご飴好き
あー、そうだ。さーや、という言葉1つが意味を持つ前に雑情報に変質した。あー、そうだ。
発声する為の脳シグナルが片っ端から阻害されている。りンご飴
「じゃあ次はりんご飴食べにいこうよー。決まり決まりー」
三郎はそれだけ言い残し、前方へスイっと小走りに離れていく。
仮に僕の体調がおかしくなかったとしても呼び止める暇はなかった。
小走りよりもやや速い足取り。人々が雑多に行き交う中、ぶつかりそうになったかと思えば左右に体が揺れて避ける。
強い踏み込みもなしに、全くの余裕でさらりと避け続ける。
それなりの密集した人通りの、隙間を予測しているかのような動きだった。
ろくに速度も緩めずに進み、衣擦れ一つしない。
異様に速く軽いフットワークで、人込みの中を縫うようにして、あっという間に姿は消えてしまった。
「あ、ボク、あっちのたこ焼き食べたいなぁ」
三郎を見送った結城がポツリとそう呟く。
まだ半分以上が残っているかき氷が手から滑り、地面にベシャリと落下した。容器もスプーンも丸ごとだった。
うっかり落としたのか、わざと捨てたのかは分からない。
残飯に厳しい彼にしては意外過ぎる行動だった。
地面に零れた氷と練乳が、石畳と土の地面にじわりと染みていく。
それを結城は拾うどころか、一瞥もしない。
彼の意外な行動にギョッとしてしまい、呼び止める間もなく紅色の浴衣姿が前を歩き去っていく。
後ろで結んだ帯が、腰で蝶のように揺れている。
下駄がカラコロ鳴っている。その音拍子から決して速い足取りではなかった。
だが遠ざかるのはまたたく間だった。
彼もまた、身のこなしに反した素早さで人込みの中に消えていく。
不意をつかれたのと声の反響とが合わさり、制止する間さえない。
ちょっと待って、その一言さえ絞り出せなかった。
ザワザワ。
耳に雑踏が戻った。
結城がいなくなったのを皮切りに、脳の内側を叩いていた声が消失した。
人の声も、お囃子も、露店で薄力粉を焼く音も正常に鼓膜を通ってくる。
気づけば、僕は参道のど真ん中で1人捨て置かれていた。
誰にも気に留められていない。
すれ違う人々は誰一人として、僕に注意を払わない。ただ通行の邪魔になるので避ける程度。
不審な目一つ向けないということは、やはり外面で僕は健康そのものに見えるのだ。
賑やかな喧騒に包まれ孤立していた。
置いて行かれた?
ということなのだろうか。
三郎はともかく、結城の突然の離脱は不自然だった。
明らかにわざと自分から姿をくらました。
ならば、なぜ?
ポケットの携帯電話に手を伸ばそうとして、止める。
すぐに合流しなければならない理由もない。
落ち合うのはいつでも出来る。三郎にも待ち合わせ場所である広場のやぐらについても伝えた。
慌てる必要はどこにもない。
少し、自分でも独りで考えたいこともあった。
それに、もし結城が何らかの意味があって離れたなら……。
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