135.眼振

「……かき氷のシロップって全部同じ味らしいよ」


「へぇ? 同じ味? そうなの?」


「あぁ、目の錯覚だってさ。着色料で色が違うと、別の味がするって思い込むんだってさ。僕のはイチゴの味、さーやのはメロンの味に。でも、実際は同じ味のシロップなんだよ」


「ふぅん、そうなんだ。さーやのメロンの味がするけどなぁ」


「だから交換しても意味ないんだよ。なにしろ味は変わらないからね。練乳や宇治抹茶とかなら、しっかり味は違うけれど。結城と交換したら?」


 僕はそう提案したが、三郎はそっぽを向く。


「や」


 かわせた。

 実のところ、かき氷のシロップは色の他に香料も違う。

 匂いによる刺激でそれぞれの味を喚起させている。錯視ではなく、視覚と嗅覚による脳の誤認識だ。

 香料が異なっているので、厳密にはまったく同じ味でもない。少なくとも認識上はわりと明確に差異を知覚できる。


 味覚は大部分を嗅覚で判別しているとする説さえある。むしろシロップの味わいそのものより強く影響している。

 おそらく、交換をしたら僕はメロン味を、三郎はイチゴ味を舌に感じただろう。

 そこだけ嘘をついた。


 表面的な外面で、内側の本質の印象を意図して変えているという意味では、全くの筋違いでもない。


 やがて三郎は残量が一分まで減ったかき氷を、カップを傾けてガシュガシュと掻きこむ。

 茶碗の白米が如きあおり方。

 口とカップの隙間から氷がボロボロと胸元に零れ落ちる。


 彼は空の容器を蓋とスプーンとまとめ、手首だけで自然に投げ捨てた。

 不法投棄か? そうではなかった。

 目標物は3メートルも離れた自販機の横の、円柱ダストボックスへだった。


 ゴミは緩い放物線を描いて丸く開けた口へ吸い込まれ、一度だけ内壁にバウンドして収まる。

 目測をろくに見ず、重量も軽くて重心の安定しない形のカップで、見事なピッチングコントロールだった。しかも歩きながら。


 だが彼はそんなゴミになどすぐに興味をなくし、物欲しげに露店を注視している。

 まだ食い足りないのか。


 反対隣りの結城が、やや通る声で独り言のように言った。

 彼のかき氷はまだ3分の1も減っていない。

 三郎と真逆でじっくり味わっているようだ。


「あー、そうだ。そういえば、あーちゃんりんご飴好きだったよねー」


 それが三郎へ向けた言葉だと気付くのに時間を要した。

 言うだけ言って、結城はまたちびりちびりとかき氷の消費作業へと戻る。


 だが、りんご飴?

 僕はそんなに好きだったろうか。

 祭りでも食べた記憶はあまりない。


「結城、僕りんご飴が好きだなんて言ったことあったっけ?」


 彼はそれに答えず、二コリとだけ笑う。


あー、

そうだ。

そういえば、

あーちゃんりんご飴好きだったよねー


 途端、頭が重くなった。

 グラリと眩暈が襲ってきた。

 景色がブレながら震える。

 片目の眼球だけが激しく小さく細動している。

 貧血ではない。起立性低血圧による失神で意識喪失する寸前の眼振(がんしん)に似ている。


 そのくせもう片目は正常に機能している。

 視界が振動しているのに、目に映る景色は細部までしっかり認識しているという認知矛盾が生じていた。

 受容感覚と意識がぶつかりあって混乱する。


そうイエば、

アー、

そうダ。

そウイエば、

りんご飴好キだっタヨねー

あー、あー、あー、

あーちャンリンご飴好きだったヨネー

あー、そうだ。あー、

ソうだ。

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