130.神社

 アーケードを西側に抜け、通りを5分ほど歩く。

 仮心市街中のど真ん中にある、『賽鬼属神社(さいきぞくじんじゃ)』。

 旧社名は形代小社。


 仮心市で最大の神社であり、同市の大きな祭事を取り仕切っている。

 麓に本殿、背にした小山の途上に複数の社や宝蔵や物置などを配置。

 幣殿、拝殿、社務所、舞殿、休憩所、その他と一通りの設備が揃っている。


 さらに周囲は杉や檜などの植林樹で囲まれ、側面を箱庭川が流れていた。

 秋に紅葉のイベントを催したり、春に供養流しも行う。

 神社に関係する祭祀だけでなく、民間の要請で場を提供し臨時会場を設営することもある。

 他、冠婚葬祭など多岐に渡って請け負っていた。


 また弓道場、剣柔道場もあり、近隣の学校が間借りし試合をする。

 ただ神事のみに運用されず、地域と非常に親しく密着して連携していた。

 自治体の集会所もここが使用される場合がある。


 創建時期は不明であるが、およそ1200年ほど前(平安時代初期)に当時の統治者が土地開発で村を作った少し後に、最初の小社を建てたのが始まりだとされている。

 村民200人程度。

 開村理由は漁村作りが目的だったようだ。


 文献では、開村の後に大規模な流行病が起きたとある。

 当時はそれを鬼や妖(あやかし)など悪いモノによる厄災だと考えられていたらしい。

 その為、神社を建て神主を招いたのだとか。

 鬼祀りも、その時の地鎮祭などの名残である。


 後に村の繁栄と共に増築され、室町時代に一度、戦火で全焼してしまっている。

 やがて戦国期の終わり頃に再建されていた。

 それが現在も増築と改築を繰り返し、現在の形に落ち着いている。

 土地や基礎部分はともかく、山腹にある蔵や社以外の建物は殆ど当時の原型はない。



 神社もまた、今日の鬼祀りの為におめかししていた。

 等間隔に建てられた細い鉄棒。上部にロープと提灯コードを固定され張られている。

 並び吊るされた提灯が、既に火が入り赤白く発光していた。

 陽は地平線に沈みつつある。夕と夜の境目にある境内を幻想的に照らし出している。

 鬼祀りでは神社の中だけでも数百個の提灯が使用されている。とりわけ、飾り付けられた太鼓台は圧巻だ。


 コードは一部、鉄棒ではなく建物の出っ張りや木の枝に引っ掛けられているが、あれは大丈夫なのだろうか。

 内部は提灯内の電球に電力を供給する為に通電している。

 提灯は等間隔に吊り下げられ、提灯コードのソケットにプラグを接続することで電気を得ていた。

 万が一、漏電やトラッキング減少などが起これば、木などの可燃物がジュール熱により発火する恐れさえある。


 コードは幾重かの絶縁体被覆で包まれているので、銅の”より線”が剥き出しな訳ではない。

 実際に引火する事例は少ないのだろうし、引っ掛けられている場所も大事にはなりそうもなく、屋外湿度も非常に高い。

 だが物である以上劣化する。トラブルも発生する。絶対などないのだから、安全に安全を重ねても過ぎるということはない。



 小山を含めずとも、境内は相当に広い。

 鳥居から拝殿までの参道だけでも、直線距離で500mもある。

 その参道を挟んだ両脇に、露店が軒を連ねている。

 出入口付近から敷地外の交差点までへも続いているので、実際は600m近くテキヤが隣接していることになる。


 神社中に食物の香りが充満していた。

 安っぽく荒々しくも、食欲を掻き立てる抗いがたい即席調理の香り。

 かき氷、りんご飴、たこ焼き、フランクフルト、焼きそば。


 最近では、から揚げ、魚の塩焼き、牛串、じゃがバターなども勢力を拡大しつつある。

 それらが店先で芳醇な匂いを垂れ流しながら、私を食べていや私を食べて、と往来の客を誘惑していた。


 いかに値段と味の釣り合いがとれていないとしても、ふらふらと引き寄せられる不思議な魅惑があった。

 お祭り気分の高揚感と金銭感覚麻痺を利用したあくどい販売戦略である。

 が、実際は出店費用などの面で、露店側もボロ儲けとはいかない実情を鑑みれば、多少の割高は仕方ないのだ。





「今年も盛況みたいだね」


 鳥居をくぐった先は、既に客でごったがえしていた。

 すし詰めとまではいかないものの、それなりの密度と人の流れ。

 隣と肩が触れるのに1mと離れていない。

 注意を払って歩かなければ、逆方向からの前進や横に逸れる人と衝突しそうになるくらいには大入りだった。


「夏一のお祭りだもの。そりゃあみんな来るよ、うちの街はお祭り好きだし。夏祭りは鬼祀りで最後。次は秋までおあずけだからね」


 右隣の結城がそっと距離を詰めてくる。

 固まっていなければ、ふとした中央割込みで分断されてしまう。

 拝殿近くになると、一旦離れ離れになれば後退しない限り合流できないこともある。


 鬼祀りにおける主演は、もちろん祭りを取り仕切る賽鬼属神社である。

 修祓(しゅばつ)や祝詞(のりと)や神楽を中心とした神事を観覧しようと人が押しかける。

 それらは半分、見世物のようになっていた。

 神事としての機能は失われていないものの、来訪客へのパフォーマンスは否定できない。

 本来なら夕方で終わっているはずの神事は延長され、21時頃まで続く。


 神楽殿での巫女舞は複数回開演され、川では盆でもないのに灯篭流しまで行われていた。

 最初の巫女舞以外は神事と関係性の薄い独自の舞に変更され、灯篭流しもマスコットキャラクターを模した舟を流すなど、イベントとして分離させる配慮はされている。

 それでも『祭りだから』と神事の純粋性に不純物が明らかに混じっていた。

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