120.鬼の力

 ビキッ……ベキ……ミシミシ……。


 エルボーパッドが三郎の肘鉄に耐えきれず、中身の綿が弾けた。

 さらにその下の台座に圧しつけられ、台面にヒビが入りつつある。

 アームレスリングの競技台より頑丈なはずだ。壊れるはずがない。


 ギリイィィィィィ……。


 三郎の掴んでいるグリップバーが握力で絞られる。

 外側に向かってひん曲がってきた。


 ギュイイィィィィィィ……!


 ついにマシンアームのモーターが悲鳴を上げ始めた。

 圧力がより強くなっていくのに、三郎が抑えつけているから関節部の駆動系が、回転した運動エネルギーの行き場をなくし、滞留した負荷によって摩耗しているのだ。


 腕相撲マシンは痛みや異常を感じない。だから部品にどんな負担が掛かろうと、スクリプト通りにモーターと油圧の出力を上げていくだけなのだ。引くに引けない。

 どうやら最大難易度には、パワーで押し負けた時のギブアップ用のコードは用意されていないらしい。

 プレイヤーが自力によって骨折すると前述したが、まさにその通りのことがマシン側で起きている。

 小さな火花が散っていた。



 ヤバい!

 やはり放っておくべきではない!

 三郎が壊れなくてもマシンがぶっ壊れる!


「さーや、もうやめ……!」


 バギンッ!

 金属の割れる音。

 三郎の手を握った形のまま、マシンアームの肘部が真っ二つに割けた。

 ビニルの皮膚が弾ける。内部の金属部品が飛び散る。破裂した油圧パイプから粘度色の油が漏れ出す。

 電装部品がショートし、全電源が落ちた。マシンそのものがシャットダウンする。


 腕相撲マシンが完全に沈黙した。

 プロレスラーの張りぼでは、俯いて敗北を認めている。悲しそうに。

 あの腕では選手生命は絶たれただろう。


 もうリングには上がれない。

 試合前のパフォーマンスでマイクも握れない。

 憎いあんちくしょうの相手レスラーにコブラツイストもかけられない。

 観客の罵声を一身に受けることさえ。

 パパの応援に来た息子に手を振ってやることもできない。


 アームロックではなく、アームをロック(極められて)されて破壊された。

 腕相撲マシンとしてこれ以上の屈辱的敗北はない。


「うっそ……」


 無意識に僕の口から呟きが漏れた。他に言葉がない。絶句も同然だった。

 ぐうのねも出ないとは、まさにこのことだ。


 引っ付いていたマシンアームの残骸を、三郎が自分の手から引き剥がす。

 もはやレスラーの太腕ではない。ただのビニルと金属と油のスクラップだった。

 乱雑に台面に捨て置かれる。


 彼が振り向く。右手で人差し指と中指だけ立てる。ピースサイン。

 満面の笑顔だった。


「へへ……イェーイ、あーくん。ピースピース! さーや、カッコよかった?」


 僕はただただ唖然とするしかなかった。

 目の前で起きた破壊劇に。

 尋常ならざる怪力。

 アームレスリングのテクニックもクソもない。機械制御の鉄のアームに真っ向から、力任せに力勝ちするバケモノじみた膂力(りょりょく)。


 話に聞いた鬼三郎の威力を、初めて実際に目にした。

 噂に違わぬ、噂以上の人間離れ。現代の鬼。

 彼に対する本能的な恐怖は何も間違っていなかった。

 僕の知る常識を逸脱している。


「…………」


「な……なぁに、あーくん、そんなにじっと見つめてぇ。恥ずかしいよぉ」


 三郎は頬を赤らめ、体をよじらせる。

 横顔の半分を袖で隠し、隙間からこちらに熱っぽい視線を送ってくる。


 小柄で華奢な体躯。

 その内側に人間の埒外なエネルギーを内包している。

 それは体を鍛えたからとか、特別な訓練を積んだから、などでは到底説明できない生物として非合理なデタラメさ。

 僕の未熟な脳の認識許容をパンクさせるに、充分すぎる非現実だった。


「ねーぇ、さーやゲームに勝ったんだよ。何かないの?」


「……お……おめでとう」


「うふふ、ありがとう」


 視界の端っこで、結城が舌打ちをした。

 不満そうでもあり、面白くなさそうでもあった。

 彼に驚きはなく、目論見が潰えた残念さしかないようだ。


 そして、店内の客たちの注意がこちらに向いていた。

 皆一様に口を開け、無残にスクラップと化した腕相撲マシンと三郎を注視している。

 騒ぎを聞きつけた店員が慌てた様子でこちらに駆けてきた。

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