119.不作為

 ギシッ……ギシッ……。

 三郎とマシンのパワーをそのまま受け止めているグリップバーが音を立てていた。

 あれはゴムが巻かれたグリップから、下に向かって内部の鉄柱が鉛の重りに溶接されている。

 例え全体重を乗せて両足で蹴りを打ち込んだとしても、曲がったり引っこ抜けたりしないはずだが……。


 1分が経過した。

 これがこのゲームセンターにおける最長記録である。

 既に、人によっては骨が折れていてもおかしくない加力がされているはずである。


 1分20秒。

 記録更新だ。

 それまでの膠着が崩れた。

 三郎の腕が5度ほど外側に開いた。

 さすがに彼も限界か。


「…………てて」


 三郎がこちらを振り向く。

 何か小声で呟いたが聞き取れない。

 瞳の色に苦しみより、恥じらいが憂えている。


 異変が起こる。


 ビキビキビキ……。

 異音が響く。

 それは三郎の腕から発せられた。

 指先から剥き出しの二の腕への順に、無数の青筋が浮かび上がる。植物の蔦が這うように。文字通り真っ青で、家電ケーブルほども太い静脈が皮膚を盛り上がらせた。


 ギ……ギ………ギ……ギ……。

 鉄を潰す音。

 重いが高い音域。

 マシンアームの鉄部品が歪んでいるのか……?


 信じがたいことに、三郎が腕を押し返した。

 それも手首を返さず、体も傾けず、腕だけで押した。


 やがて両者の腕はホームポジションへ戻る。

 最初に組み合った時の、正面真っ直ぐ、肘仰角45度。

 仕切り直しだと言わんばかりに。


 三郎はそれ以上押し戻さなかった。

 対等の状態で拮抗は出来るが、自分から押せるほどの余力はないのか。

 そのまま膠着する。


 ……ではなかった。


 ギシギシギシ……。

 ミシミシミシ……。

 ギリギリギリギリギリ……!


 複数の異音が腕相撲マシンから発せられる。

 電子音ではない。エラーによる警告音ではない。

 物理的な各部品の故障音だった。

 何かが壊れているのだ。例えば歯車とか。


 張りぼでのレスラーは悶えたりしない。

 だがアーム以外のボディパーツが小刻みに震えていた。


 豆電球の目がピカピカ断続的に点滅を繰り返す。

 怒っているのか、苦しんでいるのか。


 両者が動かなくなったからといっても、腕相撲マシンからの加力は強まり続けている。

 力むマシンと耐える三郎。

 既に2分が経過していた。

 もはや、まともな人間の骨なら粉砕剥離骨折している。

 両者の手の平に挟まれるのは、プレス機に潰されるも同然だろう。



 どうする?

 止めた方がいいか?

 嫌な予感がする。

 このまま無理をさせ続ければ、幾ら三郎でも本当に骨折してしまうかもしれない。


 だが、と思う。

 結城の企みに乗るのも一理ある。

 ここで三郎が怪我をして脱落すれば、この危険極まるデートも終わるかも。

 治療の名目で病院へ送ってしまえばいい。

 少なくとも一つの脅威に怯えなくて済む。


 ただその場合、僕は彼の負傷を見逃したことになる。

 結果に目途が付いていて放置したのだ。不作為犯である。

 結城に共謀したも同じだ。

 罰せられることはないにしても、罪悪感で夢見が悪くなるということも……。

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