113.非存在
「……さーや、釣りはしたことある?」
「なぁい。あーくんは?」
「3回……4回くらいかな。僕もあまりないかな」
「コツ教えて」
「……そのままで間違ってないよ」
コツ……。
光る金魚を釣るコツとはなんだろう。
糸の先に付いている餌もミミズやルアーでなくマリモ。
これで良いか自信などない。
マリモを食べて生きているのだろうか。
一応、緑藻の一種だ。魚なら食べられないこともないのかもしれない。
周囲を見回せば、皆、同じやり方で釣っていた。
竿を揺らすでもなく、ただボーッと釣り糸を垂れているだけで、金魚が気紛れに掛かっている。
三郎はしきりに群れのいる方へと、マリモを投げ直している。
金魚たちは驚くでもなく、すいっと方向を変えて遠ざかる。
「あまり動かさず、じっとしてた方がいいかも」
「そうなの?」
「たぶんね」
反対側で結城が、片袖をまくって水槽の水に手を入れていた。
静かに2度3度手首で掻き回し、引き揚げる。
皮膚が濡れていない。
「冷たい?」
「ん~……どうだろ」
「ぬるいってこと?」
「感触がないや。本当に光の水みたい」
「そんなことってある?」
「重さがないんだ、この水。肌につかないんだもん」
僕も指先を漬けてみる。
なるほど。
確かに、触れているという実感がない。
僅かな流れや水圧さえ感じない。
本当にただ見えるだけの水だった。
非存在のH2O。光子の量子数は限りなくゼロである。
「本当だ。肌に水滴も付かない」
「ゼロGは引かれないの。質量がないから。引力がないから。小さすぎるから何にも付着しない」
照らされた結城の横顔は美しかった。妖艶だった。
長く見ていてはいけない気になる。
「質量ゼロなら存在しないだろう?」
「目に見えないだけで、存在するよ。逆に、目に見えなくてもとっても大きくて、とっても引力が強いものだってあるの」
「そんな物あるかい?」
「あるよ、恋とか。愛とかね。大きければ大きいほど惹き合うんだから。木星もびっくりな超引力」
「……ふぅん」
彼の言わんとしているところを察し、それ以上考えたくなくなった。
考えれば、計算し、段階を経て、答えを導き出そうとしそうになるからだ。
大きければより引き合う力。だが磁石ならば大きいほどに反発する。
「あっ……と、引いてる引いてる」
結城の垂らした糸のマリモに、水中でヒレの大きいデメキンが食いついている。
右へ左へ抵抗していた。
湖面が発光していて確認し難い。
結城の竿が上下にしなる。
細い竹竿にしても、たかだか5cm前後の金魚にしては妙に力が強い。
光の竿に光の金魚。質量も重量も関係ないのかもしれない。
彼は竿を引き、糸を自分の方に寄せる。
掴み、少しずつ引き上げた。
先端が大気に晒される。マリモが付いていた箇所に、今や虹色の金魚が食らいついている。
そいつが中空でバタバタ暴れる。体をよじって尾ひれを振り回す。それでも食らいついた餌を離さない。かなりの食いしん坊だった。
光の飛沫を飛ばす。跳ねた水滴は重力に逆らわず、フワフワと浮遊した。
ズルズルと高度を上げ、やがて胸の高さまで上ってきた。
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