110.色

「気遣わせるほど、怒ってるように見えた?」


 隣に来た結城が、緑色の液体が入ったグラスを手に取る。

 顔も向けず、反対にいる三郎には聞こえないような小さい声で囁いてきた。

 今、僕が結城の分を支払ったことを言っているのか。


「邪推だよ。さっき1階のゲーム機で三郎の分を僕が支払っただろ? それなら結城にも何か奢らないとフェアじゃない」


「あーちゃんがアイツから奢ってもらったから、間接的にアイツに金出してもらったように……ならない? これ、メロン味だと思う?」


 結城がグラスを持ち上げて品定めする。

 料理が得意な彼なら、見た目や匂いから材料を推測できるかも。


「どうだろう、匂いは……ちょっと薬臭いね。果物じゃない。ならないよ、さっきの400円は僕の財布から出したんだから。僕の奢り」


 白色の液体が入ったグラスを手に取ってみる。

 色だけなら乳飲料ベース。だが匂いは風邪薬シロップとオキシフルの混ざったような。

 鼻にスッと清涼感があるのは、ハーブでも入っているのかもしれない。


「うん、じゃ、今はそう捉えておこうかな。その方がボクに有利だ。アイツが100円でボクは400円だもん。……これ、多分色と味は関係ないね。化学合成の添加物ドバドバ使ってるっぽいし」


「善意は金額じゃないよ。ホントに? じゃあどれを選んでも味は未確定か」


 三郎がピンク色の液体が入ったグラスを店員に突き出す。


「ねぇ、これ何味?」


「赤は燃え立つ薪、紫は真実、青は大海に沈む回遊魚、黄色は天使の贈り物、緑は草原の風、ピンクは桃園の枝葉、白は失くし物、黒は愛する人の形見。です」


 僕たち3人はポカンと口を開けて呆然とした。

 いきなり店員の口から詩的な調べが飛び出してきたからだ。

 彼女は苦笑した。


「すみません、私もそう説明されているだけで。材料は存じませんが、アレルギー食品は入っていません。試飲はしましたよ。美味しくなく……はないです」


 料理やカクテルに小洒落た名称を付けることもある。

 これもそうした言葉遊びの1つなのだろう。

 ともすれば果汁など入ってすらいないかもしれない。


 三郎はピンクを止めて紫に、結城は黒を、僕は白色にした。

 それぞれ持ってカーテンの向こうへと歩く。


「カーテンの中に入ったらそれを飲んでくださいね」


 カクテルグラス……。

 1つだけ気になり、店員に尋ねた。


「あの、これアルコール入ってませんよね?」


「うちは酒類販売免許を取得していません。安心してください」







 カーテンを潜った先は、2階の最奥。

 そこに10人程度が集まっていた。


 室内が暗い。

 照明がギリギリまで落とされている。誰がどこにいるかはともかく、細かい表情は判別できないほどに。

 階段側のカーテンだけでなく、窓にも遮光カーテンが引かれていた。

 移動による危険がない限界まで暗くしている。


 やはりこちらもカーテンより階段側と同じく、床は可能な限り片付けられている。いつもは格闘ゲーム筐体があるはずの場所に、それがない。


 その代わり、中央に直径2メートル半にもなろうかという、巨大な円形水槽があった。

 高さはさほどない。膝くらい。せいぜい35~40cm程度。

 平ペったい円柱の水槽。遠目から見ると、ドでかいペトリ皿のようだ。

 まさかこの中で、超デカイ粘菌でも培養していてそれを釣るのか。


 水槽には何も入っていない。

 魚はおろか、水さえ入っていない。

 どういうことだ。


 しかしその場に集まった人々は、円形水槽の周囲に円形に陣取って座っていたり立っていたり。

 年齢は様々だった。老若男女種々多様。比較的若者が多い。浴衣姿や家族連れもいる。

 各々、片手を何かを握っているような形にし、水槽に向けている。

 その様子は確かに釣りをしている。


 だが手に釣竿などない。

 何もない空間に向かって、竿を振って釣り糸を垂れているのだ。


 なんだ、これは。

 パントマイムの同好会か、はたまたカルトな教団の儀式か。

 彼らはなぜ無言で、ない釣竿でない魚を釣り上げているのだ。

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