108.深海
一部、後から書き足されたと思しき魚が2匹泳いでいる。
金魚と……鯉だろうか。何故か牙が生えている。淡水魚ではなく海獣だろうか。
お客の落書きかもしれない。
だが店員の描き文字を邪魔しないよう、隅っこにひっそり生簀(いけす)されている。
悪戯しようという悪意はなかった。
しかし……店内で釣り?
まさか屋内で水を張って生魚を回遊させているとは思えない。
給電ケーブルや電源設備があちこちにあるし、万が一跳ねた水で客が感電したらたまったものではない。
全て片付けてどんなに安全に配慮しても、そこまでするくらいなら、そもそも水を使ったイベントなどやるはずがない。
機械仕掛けのオモチャだろうか。
釣り糸の先に磁石を付け、盤に埋まったオモチャの魚の口に取り付けられた対磁石に引っ掛けて釣る。そういう児童向け遊技機械があった。
それのイベント?
だとしたら、いささか訪れる客層の対象年齢に差がありすぎる。
「早く早く」
手を引っ張られ、殆ど無理やり2階へ上がらせられる。
……いいか。
どうせ1階でこれ以上、ゲーム筐体で遊びもしないだろうし。
「行くから引っ張らないでくれよ。転んでしまう」
注意しても三郎は聞く耳持たず、手首をしっかり掴んで引っ張る。
身長差もあり、平坦な道ではなく階段なので、ガクンガクンと上下しながら付いていく。
付いていく……というよりは半ば引き摺られるように。
ここの階段はやたらとワックスが効いている。ツルツルだった。
何度も転びそうになる。
しかもメインライトの輝度が低く薄暗いので、足を踏み外しそうにもなる。
三郎は平気そうだった。
足元など1度も確認せずに、しっかり1段1段、踏みしめている。
なので歩幅のわりに異様に速い。
結城が僕らの後ろを、余裕を持って上ってきていた。
2階もまた階下と同様に、メインライトを抑えマルチカラーLEDによる光の装飾で賑わしていた。
ただこちらの明滅は抑え、LEDまでも輝度を低めにしているせいか、より静かな印象を受ける。
深海。
受け取った印象は、そう的外れでないはずだ。
普段の2階は、主に対戦台や一部の体感ゲーム筐体が置かれている。
今日に限っては、その殆どが片付けられていた。倉庫に押し込んだのか業者が一時引き取ったのか、広々ガランとしている。
元々ある中で残っているのは、分解するか運搬機械でもなければ動かせなさそうな大型筐体のみである。
また部屋の隅っこに、いつもは筐体前に置かれている椅子が重なって積まれていた。時間がなく急場しのぎした様子が残っている。
その横にダンボールの山がある。中身は細かい備品や部品だろうか。
色々と、全てどこか他所へやってしまう訳にはいかなかったらしい。
休憩用ベンチはそのままだ。僕らと同じように2階に上ってきた何人かはそこにいる。カーテンを遠巻きに眺めているようである。
市松模様の床の先、奥の半分が黒いカーテンで覆われている。
上部の留め具を、部屋三分の一を真っ二つに横断する、カーテンレールに取り付けられていた。
2階の一部が遮断されているのだ。
その中から、小声でモソモソ人の話し声もする。
あれがイベントだろうか。
いったい中で、何をしているのか。
カーテン前に臨時の作業台が置かれ、その後ろに制服を着た従業員がいた。おそらく受付係だろう。
作業台の上には、液体の注がれたカクテルグラスが並べられている。
後ろから追いついてきた結城が不審げに見やる。
「あれがイベント?」
「そうなんじゃない?」
「怪しくない? なに、あのカーテン」
彼の不信感ももっともだ。
何故カーテンで覆っているのか。
内部の光を漏らしたくないか、見せられないのか。
……おそらく前者だろう。
例えばプラネタリウムや映写機など、指向性の光を使っているなら考えられる。
映像を乱す光が外から入ってくれば、投影に支障をきたすからだ。
怪しげな雰囲気はあるが、ゲームセンターが店主導で非合法なこともしないだろう。
商店街は常に警官が巡回している。祭り日であるから尚更。
何か常道に外れることをしていれば、公僕が踏み込んできて営業停止だ。
人の口に戸は立てられず。壁に耳有り障子に目あり。天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏らさずなのだ。
やはりあそこでは魚釣りイベントが行われているのだ。
1階と同じく、スタンド看板にも書いてある。
「魚釣りイベントはこちら」と。
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