91.交代

 結城がカーテンに消えたのと間もなく、三郎が小走りにこちらに駆けてくる。

 その手に4着の女性用浴衣が、わりと乱雑に抱えられていた。畳んで棚に置かれていたのを一着一着、力任せに引っ張り出してきたのだと想像に難くない。おそらくシワになっていることだろう。


 彼の顔から感情が薄まっていた。

 知らぬ間に僕があの場から消えていたせいか、ご機嫌が角度の緩い斜めらしい。


「あーくん」


「気に入った浴衣はあった?」


「酷いよぉ、勝手にいなくなるなんて。探しちゃったよ」


 嘘だと丸分かりだ。

 女性浴衣の棚を曲がった彼が、一目でこちらを目視したのが視界の端で見えていた。

 ここまで来る足取りに迷いなどない。


 やはり、僕が甚平を選んでいた時に浴衣の棚が分からないと言ったのも虚言なのだ。

 彼の内心は、彼の振る舞いよりずっとしたたかである。


「ごめん、結城が先に試着に入ったからさ。ここまで迷わなかっただろう?」


「試着? あぁ、ここが試着室だったんだ。ちょうど良かった! さーやも着てみるから、あーくん見ててね」


 迷わなかっただろう、という問いには答えず、三郎は浴衣を持ってさっさと試着室に入ってしまった。

 やや大げさなバタバタと大きな音を立てながら。

 結城の隣りの試着室だった。


 ちょうど入れ違いに、結城も試着室のカーテンを開けた。

 タイミングよく、というよりは隣の物音にビックリして出てきた様子でもあったが。


「どうしたの? イノシシでも試着室に入った?」


「三郎が試着するって」


「……やっぱりイノシシじゃない」


「聞こえるよ」


「構わないよ」


 結城が試着室から出てきたのを見計らったように、店員が近づいてきた。

 両手を差し出し、感情のなさそうな笑顔をした。


「ご試着の終わったお着物をお預かりいたします」


「どうも。これとこれをお願いします」


 結城は綺麗に畳まれた1着目と3着目の浴衣を、彼女にそっと手渡す。

 店員は綿紅梅の方だけ一瞥すると、小さくほっと息を吐いた。

 去り際、ドスンバタンと音のする三郎が入った試着室に気を留めたようだが、そのまま去っていく。


 意外だった。

 結城が最後に着ていたのは2着目の、モダンと言い張ったフレア浴衣の方だ。ちょっと風変わりな、淡い紅色の。

 ファッションに関して、割合手堅い嗜好をしているはずだが。

 この特殊な状況下ならなおさら。


 着たままにしているのは、どうせ着ていくのだからと、着衣のまま会計を済ませるつもりだろう。

 後ろ衿の値札が取られずに付いている。


「それにしたんだ」


「急所を抉る為には、深く踏み込まないといけないからね。危険を伴っても冒険だよ」


 なんとなく威圧的なニュアンスを受けた。

 嫌味ではなく宣戦布告。そんなところか。

 そのままの意味ではないだろうが、急所を抉るとしても、なるべく痛くない方法でお願いしたいものだ。

 できれば、体にも心にも。


「良いんじゃないかな、よく似合ってたよ」


 赤色系は結城の印象に合う。

 落ち着いたスタンダード浴衣を選ぶも、明るめのフレア浴衣を選ぶも、ある種堅実なのかもしれない。


「時間を持たせて捻り出した褒め言葉がそれ? まぁ、いいけどさ。ありがとう」


 三郎が試着室に入って10分が経つ。

 いまだ内部から物音がし、何らかの動作を続けているのは明らかだ。

 ずいぶんと時間がかかっている。

 着慣れないのか、複雑な工程を経ているのかどちらだろう。


 隣で待つ結城は、飽きて近場にあるハンガーラックのブラウスを物色し始めていた。

 もちろん僕も待ち疲れていた。


 しかし、今のうちに三郎を置いて行こうと提案されなかったのだけが救いだ。

 そんなことをしたらば、置き去りにされた三郎の心情が、戸惑い、悲しみからやがて怒りに変遷するのにさほど時間は要さない。

 彼の本気の追跡を煙に巻く自信はない。自宅も割れているのだから逃げたところでどうにもならない。

 その後、追いつかれれば血を見る展開になるのも明白。


 そこまで『なんでもアリ』を結城が戦術に組み込まないのは安心材料だった。

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