92.巧拙
彼にそっと耳打ちする。
「……結構かかってるね。浴衣の着方が分からないんじゃ……」
結城が持ってきた梅紅梅のように、自分で帯を結んでいるのでは。
「そうかな? さっきちらっと見ただけだけど、全部帯は飾り結びだったよ。衿整えて腰紐縛ってだてじめ巻くだけなんだし、着付けの巧拙さえ気にしなければすぐ終わるはず。それくらいボクが後で整えるくらいはしてあげるし」
「じゃあ、やっぱり着慣れてない……」
そこまで言いかけて、カーテンが開かれる。
三郎が得意げな顔で浴衣姿を見せつけてきた。
「あーくんあーくんあーくん! この浴衣、どう? さーやに似合ってる?」
あーくんを3度も連呼された。
興奮抑えかねるという様子だった。
上記し頬にやや赤みが差している。
確かに着慣れていない様子だった。
襟はクシャクシャで胸元が開いて、アンダーシャツが出ている。
おはしょりも袖もシワだらけ。
帯は不均衡に斜めにズレていた。
なにより、全体的に右に傾いている。
ただ、着衣の崩れは三郎の上手い下手だけによるものではない。
着丈寸法が彼の体格に合わず、大きすぎる。
裾も床を擦るほどに余ってダルンダルンだった。
まるで時代劇の長袴や十二単のようである。
今や見る影もないが、元は瑠璃紺(るりこん)色で杜若(かきつばた)模様の成人女性向け浴衣なのだろう。
上品で大人びた情調と、三郎の幼い佇まいが余計にアンバランスさを際立たせている。
自分の体格に合うサイズ号数が分からないはずはない。何故そんな物を持ってきたのか不可解だ。
僕の背後で結城がちらっと彼に視線を向け、すぐにそっぽを向いてしまった。
関わり合いになりたくないといった他人行儀さ。
「着付けくらいボクが直してあげる」の言はなんだったのか。
僕では浴衣を綺麗に整えることなどできない。
だが三郎が大人しく自分を結城に預けるかといえば、それも怪しい。
「そう、だなぁ……えっと……どうだろう……」
正直に言ってしまうか。
酷い有様だと。
どうせ店外に出てしまえば、道行き交う人々の視線と嘲笑に晒され、三郎自身も自らの不格好さに嫌でも気付く。
その時、「何であの時指摘してくれなかったんだ」と僕らを含めた周囲一帯に憤慨し八つ当たりしないとも限らない。
ただ、正直に言ったら言ったで彼が爆発したらどうしよう……。
いまだ彼の沸点を定義し得ない。
どの距離感ならば刺激せずに済むのか。
前門も後門も閂(かんぬき)が掛かっているか外れているか確かめようがないのだ。
いずれは直面すべき問題だ。
助言を求めようと、ブラウスを漁っていた結城を横目で見やる。
先程までハンガーラック横に立っていた彼の姿がない。
逃げた!?
厄介ごとを僕に押し付けて退散したのか!?
それとも、どこか陰でことの成り行きを見守っているのか?
結城に限ってそんなことはない。
と思う一方で、彼の三郎に対する嫌悪を鑑みるとやりかねない、とも思う。
「ねぇねぇ、あーくん? どう? どうなの? さーや、色っぽい?」
裾を引き摺ったまま試着室から出てこようとしている。
床を擦ったら弁償購入だ。
しかし上手い躱し文句が思い浮かばない。
「その……あまり……いや、それを着るのはいささか……試着室は出ない方がいい!」
「え?」
出るな!の一言を絞り出すので精一杯だった。
どうしよう……どうするか……。
そうだ、似合わないとするマイナスの否定を避けるべきだ。着方の下手さにも触れないでおこう。
別の品物に着替えさせるような誘導。
他のも沢山見てみたいと促すように、それとなく……。
「それ、サイズ全然合ってない。こっちのにしなよ」
僕が何か言いかけるより先に、結城が戻ってきた。
持っていた3着の浴衣を三郎の前に突きつける。
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