81.あなたの為に

 彼の目的は血生臭いものではないだろう。

 それならとっくに暴力措置を受けている。

 おそらく今ここで真意を尋ねたところで、まさか鉄拳が飛んでくることだってないはずだ。


 なにより、事ここに至って逃げ場などない。

 腹を括って真っ向からぶつかってやろう。


 しかし僕の緊張などよそに、三郎は頬を赤らめるとウナギのようにクネクネ体をよじらせた。


「やぁん、そんなの恥ずかしくて言えないよぉ。さーやはぁ、昔っからあーくんのことを……きゃっ! 言っちゃったぁ♪」


 冗談だろう……。

 あの鬼三郎に僕が好かれてる?

 恨みを持たれて復讐されるより有り得ない話だ。

 それも恐ろしくゾッとする表現の伝え方で。


「そ……その女装も……?」


「もち、あーくんの為ぇ。この上着とかカワイイでしょう?」


 何故か艶めかしい目つきをして、上着の裾を摘み自慢げに見せつけてくる。

 つまみ上げ過ぎて、その下のヘソとスパッツまで露出している。

 化物じみた噂話に反して、体格は華奢な方だった。腕も足も隆起がなく細く、腹筋は平らそのものである。

 だが猫被りの立ち振る舞いといい、実女性へ寄せる努力は結城より低いようだ。


「そ……そうなんだ……あの鬼三郎が……」


 あなたの為に女になったのよ、を地で行く狂気。

 誰かの為に自分を変えるだけで相当な意志の強さだろうに。

 口調や振る舞いに比べて事実が重すぎる。


 背筋がゾワゾワする。

 仮に同級生の男子や知人の男性にこう迫られたとしても、ここまでゾッとしないだろう。


「やぁん、恥ずかしいなぁ。そんな昔のあだ名で呼んじゃだーめ。今のさーやは、さーやなのぉ」


「…………」


 ひとまず血を見る流れにならずに済んだ。

 と安心する一方で、爆弾から告白されても手放しで喜べない。むしろ嫌な予感しかしない。


 そして人生2度目の告白も同性からだったことは、少なからずショックも受けている。

 異性愛と呼べるのは、かつて小学校での初恋だけの一方通行で終わっていた。


「ね。今のさーや可愛いでしょー。恋人にしたいと思っちゃわないー?」


 満面の笑みを鼻先三寸まで近づけてくる。

 愛らしさと恐ろしさの同居する完全矛盾の顔面接近。

 ほのかにミルクのような匂いがした。


「それは……ちょっと困る、というか……」


「あぁ……?」


 三郎の喉から発せられる、ドスの効いたハスキーボイス。

 彼本来の声色と思われるそれだった。ほとんど極道のそれだった。Vシネマよりずっと怖い。


 右眉が釣り上がり、左唇側の口角が下がる。

 左右でバランスの崩れた表情が、不満を顕にしている。


 その時、バタン!と自室のドアが勢いよく開かれる。

 甲高い声を上げながら、買い物袋片手の二つ結びが踏み入ってきた。


「ちょおーっと待ったぁ! あーちゃんの正妻の座は、このボクのものだよ!」


「ゆ……結城……」


「どうゆうことよ、これ! なんでそいつがいんのさ! 帰ってきたら、ちょうどガキンチョが玄関殴り開けて入って来てんじゃない! 何が恋人だよ! 帰れ! このドロボー猫! あと玄関弁償しろ!」


「誰だてめー?」


 低く静かだが、鼓膜が凍りつきそうな三郎の冷たい声。

 それと同じくらい冷徹で敵意の篭った視線が結城を突き刺す。

 明確な敵意が含まれている。


 だが結城も結城で、まったく動じない。

 腕を組み、唇の端をドライに釣り上げただけだった。

 傍から静観しているだけでおしっこちびりそうな僕と真逆に。


「あーちゃんの幼馴染、出席番号5番! 朝顔 結城! このボクの目が黒いうちは、好き勝手させないよ!」


 三郎がちらとこちらに視線を戻す。

 そして口調と声色だけは元の猫被りに戻して、結城にあてつけを返す。


「あー……ふーん、そういうことなんだぁ。さーやに張り合おうっての?」


「不良だかなんだか知らないけど、簡単にあーちゃんの隣は譲らないよ」


 不穏当な空気になってきた。

 三郎が僕に敵意がないことは判明した。


 だが結城に対しては……?

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