72.外的内的モヤモヤモヤ

 ミーンミーンミーン……。

 まだ早朝だというのに、気の早いセミの鳴き声。


 気づけば自室のベッドの上で、上半身だけを起こしていた。

 目覚まし時計が何事もなく済ました様子で枕元に座っている。

 その針の刻む時刻は午前6時43分。


「……どこまでが夢なんだ?」




 寝間着を着替えて1階へと降りる。

 多少、一連の夢による恐怖心を抱えたままだった。

 リビングに無機質で無表情な結城がいるのではないかという危惧。


 だがそれはすぐに懸念だと知った。

 1階に彼の姿はどこにもなかったからだ。

 自宅に誰かいる気配すらなかった。


 テーブルに朝食が用意されている。

 上からサランラップのかけられた大皿。中身は昨日の残り物。オクラの胡麻和えだった。

 他は漬物の容器があり、1人分の茶碗と汁椀が逆さまに伏せて置かれている。


 昨日と唯一違うのは、今朝作られたと思われる卵焼き。ラップの上から触れるとまだ温かい。

 夕食で僕が文句を言ったものだから、気を遣ってご飯の副菜になりそうな物を作っておいてくれたのだろう。


 テーブルの上に手書きされた1枚のメモ紙が、箸置きを重りにして食卓に添えられている。

 記述は以下の通りだ。


「あーちゃんへ、少し買い物に行ってきます(●´∪`)ノ 朝食を用意しておいたので食べてください。お昼過ぎには帰ると思います。もし遅くなったら、冷蔵庫の作り置きで昼食は適当に済ませてね。あ、冷凍庫にボクのオリジナルバニラアイスがあるよ( ̄ー ̄)bグッ!」


 そんな内容だった。

 僕が起きた時は7時前だった。そんなに早くどこへ買い物に行ったのだろう。

 スーパーは開いていないから、コンビニかな。


 自分の席に着く。

 皿のラップを取り、オクラと卵焼きを箸でつつく。

 キッチンまで行くのが面倒で、ご飯や味噌汁をよそう気にならなかった。


 リモコンを取り、赤外線でテレビに喝を入れる。

 そのままのチャンネルで、朝のニュースが流れていた。


「……から続く一連の殺傷害事件の加害者への聞き込みでは、いずれも犯行時に異常な高揚感を証言していますが、前後の記憶は明確であり、被害者も精神錯乱を証言しているとのことです。関連が見られない複数の事件当事者たちについて、県警は思想性に基づく何らかの相互作用があるのではないかと……」


 またこの事件の話だ。

 夏の初め頃から終わりにかけて、進展しない捜査の進捗や、繰り返される似たような傷害事件をずっと取り上げている。


 実態のはっきりしない事件顛末。

 加害者がしっかり自分の意思と記憶を持ちながらも、何故自分が犯行に及んだか説明できない曖昧な自己。

 モヤモヤして不気味な事件である。


 朝からそんなニュースを見たせいではないが、いつもの美味しい朝ごはんのはずが、味が薄く感じられる。

 薄らぼんやりとその理由もわかる。


 ここ最近になってぶり返した白昼夢、結城や今頃街に再来した三郎への不安、加えて著しく精神を消耗させた謎の夢。

 それらに対する漠然とした不安や恐怖。

 心が曇るから舌が鈍るのだ。


「……やっぱり、病院行っておこうかな」


 まるで呪いだ。

 いつまでも曖昧な姿のままで在り続ける、この形容し難い問題を片付けてしまいたい。

 解決できるかはともかく、自分だけでいつまでも考え続けたところで仕方がない。


 スッキリしてしまわねば、残り僅かとなった夏季休暇を悔いなく遊ぶことも、結城と向き合うことだってできない。

 雲がいつまでも纏わりつくのは不快なのだ。




 インターネットで近場の病院を検索しようとして、ふと手を止める。


 何科を受診するべきなんだろう……。

 結城の動向に恐怖を感じたり、彼から赤黒い霧が発生している、などというのは外的な要因である。

 彼の側に問題点があるなら診察を受けるべきは僕ではなく、結城を連れて行かねばならない。

 むろん、「お前どっかおかしいから病院行こうぜ」なんて言い出せない。下手をすればぶん殴られるだろう。


 それにもしオカルトな話なら、医者そのものが門外漢になる。神社か霊能力者を探さねば。

 超常現象を考慮するのはまだ早い。


 ひとまず僕自身の内的なトラブルだと考えるべきだ。

 では体のどこかが悪いかと言えば……別に不調はない。

 むしろここ最近は、熱中症でぶっ倒れたり、各異常性に悩まされることを除けば、異様なほど元気なくらいだ。


 そこで一瞬、先ほどのテレビに映ったニュースが頭を掠める。


―――被害者も精神錯乱を


 心の不調、なのだろうか。

 今までのあらゆる、あれやそれがいわゆる幻覚であるとしてしまえば、全ての辻褄が合致する。


 頭の方の異常、という可能性もあるが、脳味噌の線が切れてるなんて話になる方が怖い。

 ひとまず最悪の可能性は後回しにしよう……。


 インターネットの検索画面で、「精神 病院」と単語をスペースで切って検索をかける。

 徒歩で行ける範囲に3件がヒットした。


 その中に、「高原境(たかはらざかい)総合医療センター」の名前がある。

 そこは過去に何度か診察を受けたことのある、大きな医療施設だ。子供の頃のおたふく風邪や水疱瘡、インフルエンザの予防接種や軽い骨折の時など。

 ごくごく堅実な総合病院。

 どうせなら知己な所の方が安心する。

 個人開業医に対して、少なからず抱いている不安も失礼だとは分かっているが。


 保険証を財布に入れ、手持ちが1万円あるのを確認する。

 幾らかかるか分からないが、保険がきいていれば1万円を超えることなどないだろう。おそらく。


 家中のエアコンを切った後、玄関を施錠し、財布だけという軽装で外出する。

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