69.ヒューリスティック超現実

 闇の、遥か下に何かが見えた。

 それは下方から凄まじい速度で上昇……あるいは拡大してきているようだ。

 巨大な何かが、せり上がってきた。


 球形な毛の塊……いや、人間の頭部だ。

 そいつは上昇と拡大続けながら、あっという間に走行する電車と平行な高さへと追いつき、追い抜いていく。


 上昇の最中、巨人と目が合った。

 紅い瞳。

 瞳孔や角膜の形、まつ毛の1本1本も鮮明に確認できた。


 首から下もせり上がってくる。

 巨人が立ち上がり、仰け反る。

 重く、高い声で鳴いた。


――――グるるルルルぅぅゥ!!!


 目測でも全高50メートルを超えている。

 物理も重力もまったく無視した、デタラメな巨体さだ。


 巨人が顔をこちらに向け、笑った。

 それは紅色をしていない、素の姿の、しかし大きさだけは異常な……。


「ゆ……結城……?」


 もはや何がなんだかわからない。

 思考から逃げるや発狂すら消え去り、ただただ目の前の光景に圧倒され、真っ白だった。

 理不尽に埋め尽くされた不思議の国で、アリスキャロルになった心持ちだ。

 脳のパターン認識が検出の段階でストップをかける。


 バイアスを完全除去したヒューリスティックな認知が、視覚を通して流れ込んでくる。


 巨人の結城が、その巨大な両手で電車を掴む。

 激しい縦横揺れが起きた。

 体が振り回され、車両の中を転がる。

 外に放り出されないのが不思議なくらいの衝撃だった。


「あーちゃん、カワイイ。食べちゃいたいくらい」


 巨人の結城が口を開けて、車両に齧り付く。

 いや、殆ど飲み込んだ。


 ……いや、どちらでも良い。

 その先など見ずに済んだのだから。


 バラバラに分解される残骸と共に、僕は口腔の嵐に翻弄された。

 上下の感覚が喪失し、硬い何かの部品がぶつかってきて、時折生温かい濡れた肉の壁に触れた。

 目を開けていても、網膜はランダムドット・ステレオグラム然とした砂嵐のような光景しか知覚できない。


 悲鳴は上げたのだろうか。

 自分で何か叫んでいた気がするが、後悔なのか命乞いなのか罵倒なのかも分からない。


 僕はその瞬間、理性のヒューズが飛んだ。

 脳の多重構造が崩壊を起こす。


 絶叫しながら、夢の中で、また気絶した。







――――あぁあぁあああああああ!!!


「……あぁぁあああ……!」


 自らの叫びで目が覚める。

 あらゆる超現実が消えていた。

 自分の部屋である。


 就寝時と同じく、自分のベッドの上に寝ていた。


 コチコチコチ……。

 いつだったか、結城が電池を交換した目覚まし時計が、枕元で静かに時を刻んでいる。

 規則正しい1秒1秒の音が、急速に落ち着きを取り戻してくれる。


 時刻は深夜の丑三つ時。

 10時強に寝たから、たった4時間。

 夢を見た時にありがちな、まるで1日経ったような狂った時間感覚。


 ……嫌な夢だったな。


 内容を鮮明に覚えているのが、より辛い。

 今でも強烈に想起する、鉄錆の臭い、走った疲労、食われた肩の痛み、肌に感じた風。

 どれ1つとして痕跡などないにも関わらず、まだ五感にまとわりついている気分だ。


 夢はあまり覚えていないタチである。眠りは深い体質なのだ。

 大抵、起床時に就寝の幻視は消える。指の間から水が零れ落ちるように。

 そんな僕でも忘れられないくらい、強烈だったということなのか。


 非常に万全な就寝環境だったはずだが、あのような悪夢を見てしまうとは……。

 原因は肉体的なところより、心理的なところにあるかもしれない。

 気がかり、不安、無意識下の畏れ。

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