54.-挿話-善悪の彼岸

「……お前みたいなのはな、どこにも行きつきゃしねぇんだ。永遠に腹ペコのまま何もかも喰らい尽くして、最後には何にも誰もいなくなっちまうんだよ」


「ヤクザが知った風な口を聞くな」


「極道にも仁義がある。俺はガキの頃、オヤジに拾われた恩がある。だから、これは意趣返しなんだよ。死んだ組員たちのな。だがお前には何もない。サツとつるんだのも、明確な理由なんかありゃしねぇ。ただ壊す為だけにうちを滅茶苦茶にしやがった。お前は悪魔にも劣る外道だ」


「何が恩だ。堅気になる道だってあっただろうに。極道に身をやつして泥沼に浸かってた奴らが」


「お前はそれ以下だ」


 三郎の目が遠くなる。

 その瞳に深く淀んだ色が溶け合う。ドロリと。

 どこかうっとりと、情念さえ宿していた。


「……いらねーんだよ、あたしには。自分以外、たった1人だけ……彼だけいれば、それでいい……」


 しかしすぐに、夢見る少女の面影は消える。

 酷く煩わしい様子で、頭を振る。


「あー……オシャベリが過ぎた。なんでこんな話してんだ、あたし。妙に頭痛もするし……なんか……もういいや。気絶させてやるから、もう眠れ」


「……くたばれ」


 ドンドンドンドンッ!

 三郎が掴んでいた拳銃が火を噴く。


 弾丸の装填6発なんてリボルバーの話だ。

 男が持っているそれは、どう見てもオートマチックである。


 彼がそれまで撃たなかったのは、射線上に三郎が頭を重ならせるのを待ってたからだった。

 長々と話していたのも、冷静に機を伺っていたにすぎなかった。


 銃弾が三郎の手を貫き風穴を開ける。

 出血した。

 間一髪で首を振った彼の頬を弾が掠める。


 彼の顔には銃撃の痛みや恐怖どころか、邪悪な微笑さえ浮かんでいた。


 自由反動で両者の手が激しく揺さぶられ、三郎が銃を、離さない。


 発砲の衝撃も、貫通の痛みも、銃口の加熱も、まったく彼を止めるに至らない。


 バギンッ!

 拳銃が握り潰される。

 穴が開いたはずの手で。


 さらに蛇のように巻きついた腕が、男の首を90度にへし曲げる。

 今度は悲鳴がなく、小さな呻きと共に男は動かなくなった。


「キャハハハハ! 知ってるよ。ついでに映画で知ったってのもウソだよ。映画なんか観ないし」



 やはり、三郎は三郎だった。

 私の手には、とても負えそうにない。


 あの元暴力団の男が死んだかどうかは分からないが、ひとまず救急車を呼んでおこう。


 携帯電話を取り出そうとして、三郎に目を戻す。

 直立した彼が、何かに気付いて遠くを見た。


 その先は民家である。

 誰かいた気配があった。

 だが開いていた窓が、すぐにピシャリと閉められる。


「……嫌われたもんだな」


 三郎に、味方はいない。

 あの男の言う通りだ。


 住民たちは、今の騒ぎを遠巻きに監視していたのだろう。

 薄々願っていたのだ、厄介者の排除を。

 男が三郎を消してくれないだろうか、と。

 あわよくば、両者ともくたばってくれないだろうか、と。


 でも、自分たちの手を汚したくない。

 だから、街中のど真ん中で悶着が起きても、ただ眺めていたのだ。

 その結果がどうなろうと、不干渉の彼らに損がない。


 三郎が公園から去っていく。


 そして、その様子を遠くから1人の少女が眺めていた。

 ゴシックデザインの日傘を差し、合わせたような服装。

 あれは……地元の中学校の制服だったはず。


 彼女は一言、「ふぅん……そゆこと」と呟いて、歩き去っていく。



 何故、三郎が今更町へ戻ってきたのか。

 過去に何があったのか。

 彼の内側に存在するおぞましさはなんなのか。

 疑問は尽きない。


 だが私は、全てを忘れることにした。

 忘れられなくても、忘れるように努めよう。


 結果として、ただヒビ割れだけが大きくなっただけだとしても。

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