48.冷たい熱
「あ、そうだ。ちょっと待ってて」
彼女は腰のポーチのジッパーを引き開ける。
テカテカしたビニール素材、淡紅色の百合を模した花びら柄。
少女趣味な服装より、さらに子供っぽい、小学生が常用しているような腰巻ポーチ。
あちこち擦り切れて妙に年季が入っている。
少女がポーチから取り出した手帳を開き、ページにボールペンで何事か書き殴る。
それをベリッと破ってこちらに突き出す。
「はい、これ電話番号と住所ねぇ。今はちょぉっと忙しいけどぉ、夕方くらいならヒマだからTELしてね」
とっさに手を出そうとして、受け取るべきか否か逡巡する。
指が中空で停止する。
受け取って……良いのだろうか。
脳味噌の奥の方が、警告音を鳴らしている。
この紙ではなく、彼女と関わることそのものに。
だが断る一言も思いつかない。
何かを言えば、角の立つ単語を発してしまいそうになる。
「えぇ……っと」
「どうしたの? はい」
くしゃ。
彼女が僕の手に紙を握らせる。
柔らかい所作だった。
だが全く抵抗できないくらい、強い力でもあった。
僕の手が意思伝達の一切を拒絶して、掌がメモ用紙を無造作に掴まされる。
そして、彼女の手は恐ろしく熱を持っていた。
火傷するかと勘繰るほどに、インフルエンザの発熱なんかメじゃないほどに。
炎天下の高気温とは無関係な、冷たい熱。
少女が二マリと笑う。
2、3歩分、身を引いて、大袈裟な身振りで手を振る。
強引に瞼を閉じ、口角を無理やり押し上げて不器用に片目を閉じる。
ウインクのつもりらしかった。
「じゃ、またね。あーくん。絶対電話してね」
ローファーの靴音を鳴らし、踵を返して小走りで駆けていく。
見た目のわりには速い足取りで。
硬い路面を硬い靴底で叩く、コツコツという靴音はしっかり聞こえていた。
やはり先ほどは僕がボーっとしていた気付かなかっただけなのだろう。
「……何だったんだ」
後には、ただただ呆然と阿呆丸出しで佇む自分がいるだけだ。
「知り合い?」
視界に影が落ちた。
スッと体感温度が下がる。
首だけ横に振り向くと、結城の手と顔がある。
傘に入れてくれたらしい。
「……分からない。知り合いにあんな子、いないよ。結城は?」
「さぁね。近所で住んでるなら覚えてそうなものだけど」
ドライな口調で彼はそう言うと、ポケットから取り出したハンカチで僕の顔を拭く。
「え……なに?」
グリグリと額、頬、鼻、口の汗を拭きとる。
幼い頃母親にされた無遠慮さを思わせる。
「すごい汗だよ。自分じゃわからない? ほら」
彼のハンカチは雨に晒されたと勘違いするほどビチャビチャに水分を含んでいる。
それが今、僕の皮膚から噴出されていたのか……?
オシャレな花柄に申し訳ないほどに。
ふと下を見れば、シャツは汗まみれだった。
気づかないのが不思議なくらいに。
ジットリと肌に纏わりつく、粘度の高い汗。
それでいて冷たい。
不快感が非常に強い冷や汗だ。
原因不明の悪寒が背筋を這い回る。
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