30.大ウソ

 死の光景、結城の豹変と人間離れした身体能力、幻覚、そして鉄パイプ。

 何もかもデタラメだ。

 因果関係が崩壊している。


 それとも、既に僕の頭はイカれてしまっていて、全てが脳内で起きていることなのだろうか。


「はぁ……はぁ……はぁー……ふぅ……」


 結城が見えない敵への攻撃を止め、上がった息を正常に戻そうとしている。

 肉体的な疲れではなく、精神的な疲労から呼吸が荒かったようだ。


 色々考えるのは後回しにしよう。

 これが現実だろうと夢の中だろうと、今やらなければならないのは彼と向き合うことだ。


 その為には、暴力による命での解決を回避しなければならない。


 きっと、今の彼は一時的に情緒が不安定になっているだけなのだ。

 そう信じたい。


 結城が僕を再度捉える。

 もう呼吸は殆ど落ち着いていた。

 いつまた斬りかかってきてもおかしくない。


「結城、包丁を仕舞ってくれ。こんなことして何になるって言うんだ」


「…………」


「冷静になって話し合えば、自分が何をしているか分かるはずだ。確かに、結城の気持ちもあまり考えず、いきなり僕の本心を伝えてショックを受けさせたのは謝る。だけどそれだって、今後のお互いの為を思ってのことなんだ。だから今必要なのは、話し合いと時間を置いて気持ちを確かめ合うことなんじゃないのか?」


 結城は足先を地面について捻る。

 靴と砂利の擦れる音がした。


「ふふ……ふふふふふふ……」


「……どう、かな?」


「ふふふ……話? 時間? 違うよ、あーちゃん。ボクに今いちばん必要なのは……いちばん欲しいものは……」


 彼が目と口を三日月にひん曲げた狂暴な笑みを浮かべる。

 地面を蹴りつける。


「あーちゃんのハートだよ!!」


 右……いや、左だ。

 初挙動のすぐ後、彼が腰の背面で包丁の持ち手を変えた。


 30センチ程度中空からの飛び掛かり。

 僕から見て右上からの袈裟斬り。

 振る手も包丁も動作後しか視認できないような。


 紅い闇を白刃が切り裂いた。


 だが、あらかじめ両手に掴んでいた鉄パイプを、先ほどと同じように斬撃の軌道上にねじ込ませる。

 幾ら速くても、振り切る腕の方向が分かれば、柄の長い鉄パイプで防ぐことはそう難しくない。


 ギィィ……イン!


「うぐっ……」


 重い、手が痺れるほどの衝撃。

 先の一撃より余裕を持って力を込めていたはずなのに、体が後方へ浮いて飛ぶ。

 転ばないように着地するのが精一杯だった。


 だが、やはりと思った。

 今のも1つ前の斬りかかりも、最初の一撃ほどの尋常じゃない踏み込みや斬りつけほど鋭くない。

 明らかに速度も重さも落ちている。


 仮に最初の一撃と同等の斬撃が飛んできたのなら、この鉄パイプすら一刀の下に真っ二つだったはずだ。


 彼にどういった変化があったのかは分からない。

 疲労しているのか動揺しているのか。

 あるいはそのどちらともか。


 しかしチャンスだった。

 僕は着地と同時に、近くに転がっていたそれを屈んで拾い上げた。

 拳大より一回り大きく、やたらと毛足の長いソレ。

 結城と悶着する中で地面に転がり落ちていたのを、さっき確認していた。


「結城! こっちを見ろ!」


 再びこちらへ飛び掛かろうと動き始めた彼へ、声と共にそれをサイドスローで投擲する。

 真っ直ぐ一直線に、それは結城の顔面目掛けて飛行した。


「……!?」


 投げつけられたそれをかわそうとして、結城が一瞬硬直する。

 鼻っぱしらにモロに直撃した。


「うぷっ……!」


 仮にそれが石ころか何かなら、避けようと思えば避けられただろう。

 しかし一瞬でも彼の注意を引ければそれで良かった。


 鞄から転げ落ちていた、ゲーセンで取った猫のぬいぐるみ。


 結城が怯んだ間に、こちらの予備動作は既に完了している。


 適度な彼我距離。

 軽く足を開き、大上段に振りかぶった鉄パイプ。

 短く呼気を吐き、目標目掛けて振り下ろす。


 大ウソだった。

 話し合いなんて。


 最初から反撃する腹積もりだった。

 暴力でしか解決できない暴力だってあるのだ。


 ガギィィ……ン……!!


 鉄パイプのミートポイントが、結城の持っている包丁の刃の付け根部分に衝突する。

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