13.夕暮れ時アーケード

 『ココロゲキアーケード』。

 学校から徒歩で20分、駅前にある商店街。

 直線距離で約150メートル、店舗数80。


 飲食店、アパレル、雑貨店、娯楽店、その他の小売やサービス店が左右に沿って立ち並ぶ。

 アーケードの裏側にも店舗が点在しているが、こちらは需要がニッチでマニアな店が多い。

 街の規模からしても大きい商店街なので、設立時の期待が伺える。


 40年ほど前に、レトロな景観と近代的機能性の両立を目指して作られた。

 道の中心を植林ブロックがつき抜け、品種改良された街路樹が植えられている。

 その上を、透明な三重の精密構造の半円天板で覆われていた。


 詳しい原理はわからないが、非常に温度が安定していて夏に涼しく冬の寒さは控えめ。

 公的にはアーケードの方角と空気の流動性が計算され、全体空気の冷却と保温を保てるのだとか説明されている。

 しかしアーケードのパンフレットに漠然とした情報が記載されているだけで、専門的な解説はなされていない。

 また、景観による心理実験も兼ねているとの話だが、それが如何なる成果を上げているのかも不明である。


 姫街に商店街は、ここ1つしかない。

 買い物するのも遊ぶのも、仕事帰りに一杯やるのも、ほぼここが中心になる。

 それ以外だと、隣の街の複合商業施設まで足を運ばねばならない為、住人の利用率は高い。



 夕暮れ時、オレンジ色に染まる。

 道行く人。

 学生、社会人、主婦、子供。笑い、疲れ、はしゃぎ、あるいは無表情で。


 八百屋が店頭で野菜を売る。学生が屋台でクレープを買う。ウィンドウに飾られたワンピースを品定めしていた女性が入店する。

 三者三様の人々だが、どこか穏やかな様子だ。


 雑踏、それにスピーカーから流れる第九のアレンジ曲。

 これだけ音が溢れているのに、静かな印象を受ける。耳に障らない。

 景観から与えられる心理的な影響なのだろうか。


 懐かしい……。

 だが、ここのデザインを若い僕が懐かしいなんて感じるはずがない。

 雰囲気モデルは70年代西欧アーケードだという。産まれてすらいない。

 そしてその70年代風と、今このアーケードのデザインのどこに共通点があるかすら知らない。


 にも関わらず、懐かしい。

 それはおそらく、いつか観た景色の意識統合。記憶と創造と実体験の混在。仮初の郷愁と懐古。

 ノスタルジア、に違いない。


 隣を歩く結城が、怪訝そうに僕の顔を覗き込んでくる。

 彼もまたオレンジ色に染まっている。


「どうしたの、あーちゃん?」


「ここのアーケードって懐かしい感じがしない?」


「……懐かしいも何も、14年間近く通ってきた場所じゃない」


「そういう意味じゃなくて……古風、じゃないな。どこかで観た景色っていうかさ。ノスタルジアってやつだよ」


 結城が鼻の頭をつんと上に向ける。


「えー、ぜんぜんわかんなーい。あーちゃんの感覚がいい加減なんじゃないのー?」


「ひどいな……えーと、何て表現したら伝わるんだろう」


 彼がさっと前に回り込む。

 わざとらしく小生意気に唇の端を釣り上げて微笑む。

 年齢にそぐわない、妙に色っぽい佇まい。

 人差し指で僕の額をつつく。


「ふふ、ジョーダンだよ。言いたいことは分かってるって。何年の付き合いになると思ってんだか」


「人が悪い」


「ノスタルジアねぇ。みんな同じ感想を抱くのかな。他のクラスメイトともそんな話を以前したよ」


「やっぱり。誰もがそう思うようなデザインで作ってるってことなのかな、この町並み」


「そうかもね。レトロ、がテーマらしいし」


 居心地が良い。

 まるで自宅のような安心。

 それでいて夢に似た意識の浮遊感。


 そうだ、これは追憶と同じ感覚。

 昔の記憶を思い出す時の、心の芯がじんわりする温かみが常に沸き続けているのだ。


「好きだな、この空気」


「……そう?」


「うん、ずっといたいってくらいだよ。あはは」


「あー……うん、そうだね。ボクもそう思う。へへ」


 彼の笑顔の中に固さが混じっていた。

 他の誰かだったら気付かないほどの、ほんの僅かな。


「……あれ、結城は違った?」


 結城が困惑げに後ろ頭を掻く。


「ゴメン、合わせただけ。ボク、ちょっと苦手なんだ、ここ」


「へぇ、どの辺が?」


 珍しい。

 知人友人でもここのアーケードに否定的な意見を持つ人物はいなかった。

 少なくとも僕が知る限りは。

 結城と見地が食い違うのも、また珍しい。


「言葉にするの難しいなぁ。なんだか、自分の感情を捻じ曲げられてる気がするの」


「感情を捻じ曲げられる?」


 結城が首を傾げる。

 自分でも内容が整理できない様子だ。


「悪いって訳じゃないよ。あーちゃんの言う郷愁の念だって理解できる。ただ、そのノスタルジアは誰かに無理やり植え付けられてるんじゃないかって。自分から自然と懐かしいって感傷が込み上げてくるんじゃなくて……えっと、あるはずのない記憶を頭に刻み込まれて、懐かしめ!って強要されてる、みたいな。思い込みかもしれないけどさ」


「誰かって……誰さ?」


「ん~……このアーケードの空間デザイナー、とか。まるで、えーと……洗脳、みたいだよね」


「洗脳って……」


 この穏やかで平和なアーケードの光景と似つかわしくない物騒な単語。

 結城がそんな発言をするのも、また珍しい。


「ふっ……ぷぷっ……クスクス、洗脳だって……」


 彼は片手を口の前に当てて静かに笑い声を上げる。


「自分で言い出したんじゃないか」


「ふふ、なんだろうね。普段なら絶対こんなこと言わないのに。ちょっと浮かれてるのかも。あーちゃんと考えが違うって、滅多にないもんね」


「そうだね」


「さて、じゃあ問題。こうしてパートナーと意見が食い違っちゃった時、どうするのが正解でしょーか?」


 いきなり出されたクイズ。


 唐突な話題切り替えで痺れた頭を冷静に戻す。

 テレビや雑誌や知人の逸話の記憶から、近しい答えを探し出す。


「うーん……折れる。自分が」


「半分正解」


「じゃあ、押し通す」


「そっちも半分正解。総当たりじゃクイズにならないじゃない」


「だったら何が正解なんだよ?」


「すり合わせ。折れても押し通しても、自分か相手の意見を封殺しちゃうでしょ。禍根が残って今後上手くいかなくなっちゃう。だから納得するまで話し合ったり喧嘩しても、お互いの妥協点を模索するのが正解」


「……それだと答えが出ないこともあるんじゃない?」


「正解を探すのが目的じゃないんだよ。そうね……もしかしたら一生答えの出ない問題だってあるかも。でも、それを探し続けて苦難を共有するのが、パートナーだって思うよ」


 疲れそうな生き方だ。

 だが、それが恋愛なのだろう。

 だから世の中の全員が全員、そう容易く関係を構築し維持し続けられる訳ではないのだ。


 僕は、結城と強烈に対立した経験がない。

 幼い頃でさえ、おもちゃの取り合いすらなかった。欲しがる物が違ったという理由もあるけれど。

 たいてい、僕の我侭に彼が折れてくれる。


 しかし、これからの関係にそんな甘えたやり方が通用するのかは分からない。


「あっ、あーちゃん! あれちょっと観たい!」


 結城がいきなりショーウィンドウの前へと駆けていく。

 ショッピングの前に話し合いは介在しないらしい。

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