8.青空と弁当箱

 夏の空が、どこまでも青く澄み渡っていた。

 遠くに大きな入道雲が腰を据えている。


 屋上で、風が吹いている。緑の香りが満ちた夏風。

 髪や服を軽く暴れさせ、少し強いくらいだが、気温の上がり始めた初夏の時期に心地良い。

 汗ばんだ肌の水分が飛ばされた。冷やされる。


 封鎖されているわりに掃除が行き届いている。ゴミや埃が少ない。

 学校の契約した清掃業者が定期的に訪れているのかもしれない。

 上履きのままでも構わないくらい。


 床いっぱいに敷き詰められた乳白色のタイルと区切り線。

 縁に等間隔でベンチが置かれていた。

 互いに詰めすぎず離れすぎず、適度な距離が保たれている。


 外郭を2メートルを越す鉄網フェンスが二重に周囲を囲っていた。

 その向こうに街の景色が広がっている。

 元が開放を前提としていた屋上なだけに、景観が美しく開放感があり清々しい。

 一部の無法者の蛮行が使用禁止を招いたのがもったいない。


「うわぁ、気持ちイイ。やっぱり屋上を選んで正解だったね」


 屋上を軽い足取りで歩き回る彼。

 嬉しそうだ。

 屋外へ出た快感。ドアノブの破壊や禁止された場所への立ち入り。

 禁忌破りが高揚させているのか。


「あぁ、そうだね。何か凄く心残りがあるけれど」


 あの破壊劇は一生忘れられない思い出となりそうだ。


「さてと、どこで食べようか?」


 結城がキョロキョロ辺りを品定めする。

 どこを選んでも、ベンチの向きが違うだけで大差はなさそうだが。


「右端の、その辺で良いんじゃない?」


「そうだね、そこなら海も見えるし。ナイス、あーちゃん」


 彼がぐっと親指を立てる。


 正面に町並みと海が広がる。

 左右に広がる水平線。

 昼の陽光を反射して水面がキラキラ煌いている。

 遠くに小さくポツンポツンと、漁業船舶が泳いでいた。

 今の時期だと収穫はアジかイワシか。


 学校から徒歩10分。自宅のある住宅街からなら徒歩5分で砂浜に到着する。

 今年の海水浴は既に解禁されている。

 砂浜に立てられている色取りどりのキノコはビーチパラソルだろう。


 北東にあるベンチに、結城が用意していたレジャーシートを丁度良い大きさに折り畳んで敷く。


 2つの円が内包された奇妙な円が全体に散らされた、水玉模様のカラフルなビニールシート。

 中学生の私物にしては子供っぽいデザイン。

 3年くらい前に近所のホームセンターで購入したものだ。

 その時に同じ指摘をしたら、「ちょっと低年齢向けの色合いの方が可愛い」とされた反論を覚えている。

 

 彼のお気に入りらしい。

 中庭で食事をする時も頻繁に見かける。


「はい、準備できたよ。座って座って」


「はいはい」


 結城がシートの敷かれたベンチをポンポンと叩く。

 弁当箱を挟んで隣に腰を下ろす。


 彼が弁当箱の包みを外す。

 妙に大きいと思ったら、2段の重箱だった。

 正月や祝い事用の5段重で、中央の3段を外して持ってきたようだ。


 朝、いつものように一人分の弁当箱を渡されなかった。

 こういうつもりだったのか。


 弁当箱の蓋が外される。


「ほーら、今日のお弁当はねぇ。卵焼きとぉ、メンチカツとぉ、アスパラベーコン、ソーセージ、それにサラダだよ。多めに作ってきたからいっぱい食べてね」


 どれも出来合いではない。しっかり手ずから調理されている。

 僕がグースカ寝ている間に、早起きして作ってくれていたのだ。頭が下がる思いだ。

 それも、今日の献立は心なしか気合が入っている、気がする。


 あっと思いとどまる。

 今朝、結城が弁当を作り忘れたのだと早合点して、休み時間に購買で買ったパンを持ってきてしまった。


「そういえば、パン買っちゃったんだけど、これどうしよう?」


 ビニールに入った1個130円のメロンパンとデニッシュ。

 結城が眉間にシワを寄せる。気分を害したという口調で、


「あー、そう。そうなんだ。あーちゃんはボクのお弁当より市販の菓子パンが食べたいんだね? じゃあそれ食べたら? お弁当は食べなくてけっこうです。あーあ、せっかく早起きして作ったのになぁ。ざんねーん」


 慌てたフリをしてパンを仕舞う。


「ごめん、冗談だって。結城が昼食作り忘れたと思って間違えて買っちゃったんだ。お願いします、僕もお弁当が食べたいです。どうかご勘弁を」


 頭を下げる。

 芝居がかったジョーク。誰でもわかる三文芝居の痴話喧嘩。


 結城がクスリと声を漏らす。


「アハハ、わかってるって。もぉ、どうして早とちりしちゃうのかなぁ。ボクがあーちゃんのお弁当を作り忘れたことなんてなかったでしょ」


「……仰る通りで」


 小学校の高学年頃くらいだったか。

 彼が我が家の台所で、母の料理を手伝い始めた。

 中学に上がる前には僕の弁当作りも1人で手がけている。


 感謝さえ時折忘れてしまうほどに、それが当たり前になっていた。


「菓子パンはいつかおやつにして。栄養偏っちゃうでしょ。あーちゃんの三食は、ボクの作る物だけ食べていれば良いんだよ、一生ね」


「一生か……」


 朝起こされて、間食以外は用意された食事を摂り、炊かれた風呂に入って……生活時間の大部分を管理されているような。

 ありがたいはずなのに、囚人のような息苦しさを僅かに感じた。

 善意による支配、は言いすぎか。


 あるいは結婚生活などは、得てしてそうした物なのかもしれない。

 だから、語る人が絶えないのだろう。結婚は人生の墓場だ、と。

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