7.昼時

 4時限目が終わる。

 イの一番に結城がこちらの席に歩み寄ってきた。

 両手に弁当の大柄な包みを持っている。


 彼がやや小声で囁きかけてくる。


「あーちゃん、さっき考えてたんだけどね。食べる場所、屋上にしない?」


「屋上? でも、うちの屋上って立ち入り禁止のはずだけれど……」


 結城が前髪の毛先を弄り回す。

 少し落ち着かない様子だ。


「うーん……そうなんだけどさぁ……。せっかく2人きりのお昼だしぃ……」


「だからって、勝手に入ってら怒られるんじゃ……」


 うちの学校の屋上は、元々誰でも入れるように開放されていた。


 それが去年の夏頃。どこの悪ガキか知らないが、授業を抜け出して屋上でタバコを吹かす不届き物が現れた。

 地面が吸殻で汚れ、一部は風に舞っていったそうだ。

 おまけに校内で売っていないはずのアルコール缶まで見つかってしまい、即日出入り禁止とされてしまった。

 

 第三仮心中学校は勤勉な部類の学校である。

 しかし生徒の全員が全員、学生の模範となるべき人柄かといえば、そうでもない。

 むしろやや厳しい校則で縛られている分、反発したり鬱屈する悪感情を育てやすい環境でもある。


 結城がニカリと笑い、強引に僕の手を引いて立たせる。


「大丈夫大丈夫、なんとかするから」


「うーん……駄目なんじゃないかなぁ」


 煮え切らない僕を、彼がグイグイ引っ張って連れて行く。



 しんと静まり返った誰もいない廊下。

 遠くでほんの小さく誰かの声が聞こえる。


 東校舎三階の最奥。

 直前の茶道部部室を抜けた先に、上下階への階段がある。

 下階へは普段使われているものの、上階へ続く先は立ち入りを禁じられていた。


 プラスチックの鎖が腰の高さに渡されている。

 それは跨ぎ越すも潜り抜けるも容易く、新入を防ぐ物理的な障壁となり得ない。

 ただニューマン効果というべきか、『封鎖されている』という事実が精神的な圧迫として、鎖から先への侵入に抵抗感を生じさせる。


 結城が辺りを見回し、誰もいないことを確認する。


「さ、ほら、今なら大丈夫。見つからないうちに入っちゃおう」


 彼が鎖を跨ぎ越し、ズンズン階段を上ってしまう。

 躊躇いのない足取りで。

 

 どうしようか……。

 1人その場で立っていると妙に心細い。かといって結城を説得して引き返す自信もない。

 彼は存外、ガンコな一面がある。


 諦めて後を追う。



 最上階。

 階段がそこで途切れている。


 小さな踊り場に、屋上への扉があった。

 他には一つだけのロッカー、出しっぱなしの箒と塵取り。

 それに学園祭か何かで使用したと思われる、奇妙なピエロの頭を模したオブジェだけが置いてある。


「むむむ……」


 扉を前に、結城が二の足を踏めずにいる。


 ドアノブを片手で回そうと試みる。

 ガチッガチッ。

 施錠されている。


 さらに壁に据え付けた金具からチェーンが延びている。

 それにも鍵穴があり、開錠しないとチェーンが外れないようになっていた。

 ドアノブとチェーン、扉の開放に2つの鍵が必要らしい。


 説得する切り口になりそうだ。


「ほら、やっぱり鍵が閉まっているじゃないか。教室で食べよう」


 結城が一度こちらを振り返る。

 ドアノブをじーっと見つめる。


「あーちゃん、ちょっとこれ持ってて」


 弁当の包みを渡された。


 結城は短く呼気を吐き出し、気合を入れる。


「こんなの平気!」


 彼が膝を小さく曲げた。

 右足が弧を描いて頭上に上がる。

 小さく息を吐いて、振り下ろす。


 ガンッ!

 鈍く大きな音が響く。


 ドアノブに踵が直撃した。

 足が弾かれる。破壊できていない。

 だが、半壊している。

 チタンかステンレスか知らないが、重くて硬そうなノブがひん曲がっていた。


「ちょっと結城……!」


 僕は止めようとしたが遅かった。

 彼はもう一度右足を上げ、振り下ろす。


 ガツンッ……! カツッ……

 衝撃音、そして落下音。


 今度は右足が弾かれず、下まで振り下ろされた。

 ドアノブがドアの根っこから離別する。

 ドアの向こう側でも何か金属の落ちる音が響く。

 もう全壊だった。


「あ……あー……!」


 目の前で行われた凄惨な破壊劇に、そんなマヌケな悔やみが喉から漏れるしかない。


 結城が振り向いてニッコリ笑う。有無を言わせない威圧を含んでいる。


「ね? これなら入れるよ」


 繋ぎを失くしたドアが簡単に開かれる。

 彼が鼻歌混じりのご機嫌で先に進む。


「あ……あーあ……」


 もう仕方ない、バレた時は後で謝るか。


 結城の後に続いて屋上に出る。

 ドアを通る寸前、圧壊されたドアノブが視界に入る。頑丈そうだ。

 いくら踵落しをしても、あんな風にひしゃげるだろうか。


「あーちゃん、早くー」

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