6.折り合い

 1時限目が終わる。

 得意なはずの国語の授業。教師の読み上げる古文がちっとも覚えられない。

 LGBTの話が思考の海をグルグル泳ぎ回っている。


 教師が退室するのと同時に、結城が席を立ってこちらに歩いてきた。

 椅子に座った僕の正面で、同じ視線の高さに屈む。


「あーちゃん、あんなの気にすることないって」


 子供を諭すような落ち着いた声色。


「でも、他人事には思えない」


 女性同士、男性同士。

 違いはあれど、世間の目には同じように映るだろう。常道から外れた存在として。


 結城が周囲を見回す。

 誰も自分達に注意を向けてないと確認し、声のトーンを落とす。


「バレるヘマをするからだよ。今日日(きょうび)、中学生の交際なんて珍しくない。ボク達の年齢なら、異性も同性も関わらず一線越えたら引き離される。揉め事になれば罰を食らう。あの子達はそれが上手くできなかっただけ」


 彼の言葉に、罰を受けた2人への侮蔑はない。

 あくまで未成年の交際が、社会通念上あまり好ましくない。

 だから想いを通すなら、リスクを自己責任で負うべき。という自論。


「どうしてあの子達は上手くやれなかったと思う?」


 結城が顎に人差し指を当てる。

 数秒悩む。言葉を選んでいるのかもしれない。


「恋は盲目、ってところなのかな。人は愛でバカになる。あの子達は普段から人目を気にしないでベタベタしてた。奇異の視線が集まるのもわかりやすいのに。その上で友人の枠組みを超えたんだから、もっと自重するべきだった。でも、好きな人と通じ合った喜びが思慮を欠かせたんじゃないかな。憶測だけど」


 大きな障害を乗り越えた恋の成就。喜びもひとしおだったはず。

 ついうっかり口から他人に漏れ出た秘密。

 綻びが傷となり、支柱を破壊しすべてを瓦解させる。


 ただ2人の片割れは、非常に機転が利く娘だった。

 そんな彼女でも墜落してしまうほど、愛や恋が甘美だというのか。


「ただ好き合っただけで制裁を受けるなんて、辛いね」


「あーちゃんは、同性愛が悪だと思う?」


 錯覚だろうか。

 クラスメイト達のざわめきが遠くに聞こえる。


 結城の瞳の鏡面が、僕を映している。

 赤みのかかったさらに奥。

 黒よりもっと光を通さない無彩色。情動の火のようなものが、チラチラと蠢いている。


 頭痛。

 彼の心の熱が飛び火した。

 何なのだろう。14年間共にしてきた人生で、僕の知らない結城の深み?


 視線を外す。

 質問への回答を、口から絞り出す。


「どうだろう、わからないよ。恋愛は自由だし、誰かが束縛したり批判する権利もない。でも現実との折り合いがある。結城の言う通り、バレない努力も大事だと思う。だから、善とか悪じゃなくて、最後は本人同士の合意……かな」


 結城は満足そうに微笑む。


「だよね。青少年の交際や青春への粛清なんて、法律やモラルの一方的な押し付けだもん。恋愛は理屈じゃない。お互いの気持ちが一番大事。あの子達は軽率だったけれど、ボクは嫌いじゃないな」


「バレたヘマを指摘するわりに、考えは彼女達寄りなんだね」


「羨ましいのかもしれない」


「羨ましい?」


「きっとあの子達だって、後がどうなるかなんて分かってたはず。それでも自分達の愛を侮蔑されて、いてもたってもいられない激情。失う物を省みずに愛を貫けるのが……ちょっと羨ましいよ」


 僕に、そこまでの気概はあるだろうか。

 結城を大切に想う気持ちに偽りはない。

 だがそれは培ってきた家族以上親友以上の、言葉に表せない関係性に基づくものだ。


 恋人という、個人同士の関係にあって、僕は彼の想いに足る愛を抱けるのか。




 3時限目の終わりの休み時間の途中。

 尿意を催し、同級生たちの歓談から抜け出す。


 と、別クラスと思しき女子が戸口で立ち止まっている。

 健康的に日焼けした浅黒い肌とショートカットの髪型。

 名前は知らない。いつだったか、陸上部で見た覚えがある。


 隣を擦り抜けようとする。

 制汗スプレーか。微かにペパーミントの匂いとメントールの刺激が鼻をつく。


 肩を叩かれて引き止められる。存外握力が強い。


「なぁ、アンタ。旭を知らないか、旭。私、杜若 陽菜(かきつばた ひな)。ちょっと呼んでくれない?」


 彼女が言っているのは同級生の仁科 旭(にしな あさひ)のことだろう。

 彼女もまた陸上部であったから、部活動繋がりの呼び出しか。


 教室を見回す。いない。

 出席はしているはずだから、何か一時的な用事で不在に違いない。


「さぁ、今は……いないね。どこに行ったか知らないけど。今日、欠席者がいないから学校に来ていると思うよ。しばらく待つか、また後で来たら?」


 手を振り解こうとして、掴まれたままだった。

 ぐいっと引き戻される。女子にしては剛腕だ。


 彼女は強硬な姿勢で要求……命令してくる。


「知らない、じゃなくてさ。だったら、どこ行ったか仲良いクラスメイトにでも聞いてよ。こっちも急ぎの用事なんだけど」


 鬱陶しいな。

 なぜ、録に交友もないクラスメイトの面倒を見なければならないのか。

 自分で聞いて回れば良いじゃないか。


 と内心悪態をつきつつ、逆らう不服も言い難い。

 えーと……同級生で仁科 旭と親密なのは誰だったか……。


「旭ちゃんなら、次の授業の教材を取りに行ったよ」


 僕達の間を遮るように、結城が頭を潜り込ませてくる。


 陽菜が顔を歪ませる。彼に向かってまたも強要するような口調で、


「あっそ。じゃあアンタでも良いや。走って行って連れてきてよ。教材持つの変わってあげて」


 傲慢とも取れる発言に、結城が笑顔でさらりと返す。


「ヤダ。次の授業は化学だよ。急いでるなら理科準備室に自分で行ったら?」


「はぁ、面倒臭いな。準備室の場所なんて、よく覚えてないし。そういうのいいから、とっとと連れてきてよ」


 結城の額に青筋が浮いている。

 温厚な彼を僅かな間にここまで苛立たせるとは、彼女も中々の猛者である。


 パキッ

 何か音がした。結城の頭の方から。


「嫌だ、って言ってるでしょ。何でボク達が君の為に、そこまでしてあげないといけないのかナ? 準備室なら東校舎の1階、一番隅っこ」


 陽菜もイラッときたらしい。

 より強い口調で、


「あぁ? 呼んで来るくらいしてくれたっていいじゃん。なに張り合ってんの。バッカじゃ……」


 そこまで言いかけて、彼女の言葉が途切れる。

 唾を飲み込む。目が大きく見開かれる。



 結城は、どんな顔をしていたのだろう。

 後姿しか見えなくても、肌がヒリつく冷たさが伝わってくる。

 朝食の時と同じだ。空気が重く沈む。息苦しい。


「嫌ダ、ていっテルでしョウ。ワからナイ?」


 声が、鈍く響いて聞こえた。穏やかなのにゾッとするくらい冷たい。

 ほんの数瞬、立ち眩みがした。

 喉を通って胃に、重苦しい粘液のような空気が流れ込んでくる。



 陽菜が俯いて謝罪する。


「あ……ゴメン。いいや、自分で行ってくる」


 あれだけ無駄に強情だった彼女が、踵を返して去っていく。

 足取りに焦りがある。まるで逃げるように。


 彼女も何かを感じ取ったのだ。

 いったい何を……。


 結城が振り返る。

 腰に手をあて、僕に言い聞かせる。


「もぉ、嫌なことは嫌ってハッキリ言わなきゃダメじゃない。そんなんだから便利に使われちゃうんだよ」


「……面目ない」


 返す言葉もない。

 僕はどうも昔から、強く出られると我を通せない性質だ。彼が割って入ってくれて助かった。


「そ……それに、女の子と話してるから浮気してるのかと思っちゃったし……」


「はは、すごく盛大な勘違いだね。教室で口説くなんて」


「ああもう。ほら、トイレ行くんでしょ。さっさと行ったら?」


 なぜそんなことまで……。


 教室を退室した後、結城が忘れてたとばかりに後ろから声を投げかけてくる。


「あ、ちょっと待って。今日のお昼ご飯、どこで食べようか?」


「どこでも良いよ。教室でも中庭でも食堂でも。結城の好きな場所で構わない」


「わかった、考えておくね」


 たかが昼食を摂る場所の為に何を考える必要があるのか。

 解放されたのでそそくさとトイレに向かう。

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