5.ホームルーム
仮心市立第三中学校。
創立7年と、比較的新しい公立の中学校である。
ここに僕らは通っている。
第二が市の北部に存在する。
こちらは30年弱の歴史があり、運動部が度々全国大会に出場する実績を持つ。
第一は、元は中央部付近に建てられていたものの、老朽化が激しく建て壊しが決定している。
取り壊し予定は2年後。
それまでは第一~第三までが名義上存在する。
正式に第一が消滅した後、第二を第一、第三を第二と名称変更が予定されている。
第三は歴史が浅く、目立った実績もない。
第二が部活動に特化を始め、差別化の為に学童の学力底上げが市で議題にぶち上がった。
比較的、高難度の高等学校受験対策を目的に掲げられて新設されたのが第三である。
なので一般的な進学校に比べて、やや求められる学力水準平均が高い。
また特徴として、平常授業と別に生徒別のカリキュラムを組んだり、海外の試験的な学習プログラムを取り入れたりしている。
服装チェックの教職員に挨拶して正門を抜ける。
昇降口で靴を履き替える。顔見知りと一言ずつ挨拶を交わす。
階段から2階へ上がる。西校舎二階の最奥から3番目。
そこが僕たちのクラスだ。
結城と二人で一緒に教室に入る。さすがにもう、手を繋いでいない。
仮にそうしていても、茶化されもしなかっただろう。
僕と結城の近しい距離感はみんな知っている。
別れ際、彼が指を口に添えて小声で囁く。
「じゃあ、また後でね」
ホームルーム前の十数分。雑談、読書、予習。生徒各々が好き勝手に過ごしている。
結城は前列から二番目の自分の席に鞄を置き、仲の良い女子グループの会話に混じっていく。
「おっはよー」
「昨日のワイドショー観た?」
「おもしろかったー。ねー?」
僕は教室の中ほど、自分の席に鞄を放り投げる。
そして窓際で談笑している、気の知れた男子2人との会話に混じっていく。
「おっす」
「今日の体育マラソンだってさ」
「だるいー」
結城はその女装を周知とされながらも、棲み分けでは女子グループに所属していた。
男子でありながら女の子扱いされている。
社交性と共感性に優れ、男女問わず交流する。
精神カーストや派閥に関係なく、人懐っこさと面倒見の良さで誰からも好かれた。
その中でも、最大規模を誇る女子グループと特に気が合うらしい。
休み時間や放課後、談笑しているのは概ね同じ顔ぶれ。
放課後や休日の遊びで、彼女らと連れ立って外出する機会も多い。
僕は趣味の近しい同級生男子の数人とつるんでばかりいる。
結城のように積極的に交流を広げようとしない。
その辺り、縦繋がりの男子と横繋がりになる女子の傾向に分断されているようだ。
幼馴染で仲が良くても、社会集団で同一グループに所属するとは限らない。
学校とはそうした擬似社会で規範と個人の特性を学び、理解していく場所なのだろう。
ちらっと結城の方を見やる。
僕の前とは違う、わずかに社会的体裁を取り繕った表情で笑っている。
「ねー、もしかしてさー」
「本当にしたのー?」
「えー、違うよー」
キーンコーンカーンコーン。
スピーカーから流れる木琴の旋律。
それまで自由行動していたクラスメイトたちが、ポツポツと自分の席へ戻る。
引き戸を開けて、担任の夜空 要(よぞら かなめ)が入室してきた。
今年この学校に配属された新任の女教師。
まだ若く、大学を卒業したばかりだという。去年教育実習に来たことを覚えている同級生も多い。
浅黒い肌に軽い茶髪。足を踏み出す度に、後ろで結んだポニーテールが揺れる。
身長が高く、体は筋肉が締まり、教員用の運動ジャージが似合っていた。
担当科目はもちろん体育である。
「はーい、ホームルーム始まるぞ。席についてー」
生徒名簿で黒板をコンコン叩きながら教壇につく。
新任でありながら無駄な緊張がない。何年も勤めているように肝が据わっている。
まだ抵抗して談笑していたクラスメイトの残党が諦めて着席する。
「えーと、欠席はないですね。そうだなぁ……今日はホームルーム前に、ちょっとお話をしようと思います」
サバサバした彼女にしては珍しく、妙に煮え切らない前置きをしてから話し始める。
「みなさんはLGBTという言葉を知っていますか? 昨今、メディアで取り上げられることもありますね。これはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの略称で……」
LGBTは性自認によって個々人のセクシャルマイノリティを大別するものである。
それぞれ、女性同性愛者、男性同性愛者、両性愛者、性別越境者の頭文字を取っている。
古くは紀元前から。
性的少数派に対する差別、偏見、社会的不利や権利運動が世界中で問題視されていた。
特に近年、LGBTという括りの下に認知や保護の機運が高まっている。
という旨の話を、夜空先生が付け焼刃の知識で説明した。
彼女が何故、ホームルームにその話題を持ち出したのか。
理由を、僕を含めたクラスメイト全員が察していただろう。
教室内の2箇所に空席がある。
そこに座っているはずの女子生徒2人が今日来ていない。
おそらく明日も明後日も、戻ってこないだろう。
彼女らが愛し合っていた事実を、僕らは知っている。
2人は同性愛者だった。
元は、極めて距離感の近い友人同士だという周知に過ぎなかった。
それがある日突然、どこから漏れたのか誰が言いふらしたのか、彼女らの関係が明るみになった。
広がった噂を知らないクラスメイトはいない。
今日、彼女らが登校していないのは、おそらく停学あるいは退学となった可能性が高い。
数日前、別クラスの女生徒が2人の関係を冷やかしたという。
直接見ていない。風の噂。
凄まじい殴り合いになったらしい。
冷やかした女生徒が、口内を切り病院で四針も縫ったとか。
通りがかった教職員が止めに入らなければ殺人に発展していただろう、などとも流布された。
「……で50年代にスウェーデンでRFSFが設立されたものの、激しい同性愛者差別も発生しました。権利団体と反勢力の衝突は今も続いていますが、近年は同性結婚を認める国もあり……」
LGBTについて説明する夜空先生。
彼女らの行動や思想が否定されるべきものではない、と暗に弁明したいのだろう。
傾聴しているクラスメイト達に動揺や軽口がないのも、2人の事件とこの説明の関連を察知しているからだ。
僕はちらと結城の方を見る。彼は平然としていた。
すました様子で、夜空先生の話を聞いている。
同性愛は、一般常識に否定される危険性を孕んでいる。
幾ら理屈や法律を重ね着しても、現実の世界はマイノリティを弾圧する。
多は少を疎んじる。
様々な時勢やイデオロギーの流れが幾ら変わろうとも、見えない力が弱者を排斥する。
いまだ、重く受け止められない結城との関係。
変わらぬ関係で在り続けると妄信してしまっている。
だが、心の片隅で危険信号を発している自分がいた。
このまま受け入れてしまって問題ないのか。
夜空先生がLGBTの説明を終える。
事実をそのまま述べただけの客観的な短い講義だった。
彼女が手をパンと叩く。
気持ちを切り替えろ、ということらしい。
「はい、じゃあ改めてホームルーム始めるよ」
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