月夕
月夜が彼らを消し去ったのだ。私の中でそれはすでに確信となっていた。しかし同時に以前ほどの不安も覚えなくなっていた。月夜がなぜ、どんな気持ちで彼らを殺したのか、殺さなければならなかったのか、その論理が理解できたからだろう。
ただ「どうやって殺したのか」という部分は依然不透明かつ不可解なままだった。
次の厚い雲の夜であった。満月も近いというのに地上は全くその光から隔離されていた。
丈二さんと月夜が部屋を訪ねてきた時、私はちょうど床につこうとしていた。そういう時刻であった。明かりを消したまま、私はとにかく入り口の方に散らした原稿を集めて背後へ追いやった。そうして空けたところに二人は正座した。そういえば二人が並んでいるところを見るのはその時が初めてだった。
「遅くに申し訳ありません。ただ事前にお伝えするわけにも行かず」丈二さんが言った。「我々は今夜この城を去ります」
それを聞いて私は自分の誤解に気づいた。
「この時刻ということは女将さんには内緒なのですね」私は浴衣を直しながら答えた。
「はい。できるだけ暗い夜を待っていました」
「それなら私にだって言わない方が安全でしたね」
「いいえ、これは仁義です。僕らの意見がまとまったのはあなたのおかげですから。それに明日以降の食事を出せないお詫びもしなければ」
「あるいは何か手伝えることがありますか」
「肯定してくださるのですね」
「たとえ戯言でも言葉には責任が伴います」
「では女将が追おうとしたら引き止めてくれますか」
「無理にとは言いません。覚悟はできていますから」月夜が言った。
月夜の言う「覚悟」がどういう意味だったのか私は理解した。女将が自分たちを追って夜の山に入れば足を滑らせて命を落とすかもしれない。しかしそれも致し方ない、という覚悟だったのだ。
「いいでしょう。二人ともどうかお元気で」
二人が出ていったあと、私は着替えてロビーにあるソファに腰を下ろした。むろん明かりはつけていない。
すると案の定十分ほどして女将が出てきて月夜を呼んだ。
「月夜、月夜、いないなら明かりをつけますよ」
電球が灯った。
「松原様、いらしたのですね」
「月夜さんも丈二さんもいません。二人は山を下りました。もう戻ることはないでしょう」
女将は玄関の引き戸に向かった。
「追いかけてはいけません」
「止めないでください」
「二人があなたに挨拶せずに出ていったのは、そうすれば出立を禁じられると思ったからでしょう。月夜さんをこの城に縛っていたのは残念ながらあなただったのですよ。しかしあなたは私に言いました。彼女がこの城に籠もっているのは自分の意志だと。もし望むなら出ていっても構わないと。たとえ私に対する方便だったとしても、いや、であるならこそ私の前では潔くその言葉に従っていただけませんか」
「……嫌です」女将はそう呟きつつもその場から動かなかった。
「その方が月夜さんも心を傷めません。彼女にこれ以上罪を抱かせることもないのです」
女将は私の向かいの席にぐったりと座り込んだ。
「月夜さんは彼らを崖下へ突き落としていたのでしょうか」私は訊いた。
「かもしれませんし、言葉通りただ置き去りにしたのかもしれません。焦って追いかければ間違いなく足を踏み外すでしょう。特に蟻渡りなど」
女将にはもう隠し事をしようというような毅然とした気力は感じられなかった。
「死体や持ち物はみなさんで処分されていたのですか」
「うちの温泉はアルカリ性ですね。汲み上げている源泉の隣に強アルカリ性の泉があって、そこへ投げ込むと骨以外は全部溶かしてしまうのですよ。源泉とは全く別の流れになっていますから、溶かしたものが温泉に流れ込んでくるようなことはありません。ご安心を。骨は残りますがかなり脆くなるので砕いて流してしまいます。持ち物の方は保管してありますけど、簡単に見つけられるようなところではありません。代々家の者だけに伝えられる城のからくりがいくつかありまして、それはお教えできません。残念ですけど」
「あなたがいくら自白しても証拠は見つけられない、ということですね」
「はい。それに一度嘘を言った私の言葉ですから、これも信じてくださるかどうかは松原様次第です」
「あなたは演技がお上手ですが、今度は本当らしいですね」
「私はどうしたらいいでしょうか」
「ひとまずゆっくりお休みなさい。明日のこと、お客の世話のことなどどうでもいいですから」
とはいえ女将は翌朝も早くから動き出して私の朝食を用意してくれた。
「なんだか寂しく感じますね。もとよりこの時間は私たち二人だけだったはずですが」
「ええ。気配、というのでしょうか」
私はその後も夜ごと危険のない範囲で一人歩き回って名月を探し求め、きちんと記事を書き上げた。むろん月夜のことなどはもとより記していない。あくまで月景色を主題とした観光アジテーションであった。しかし結局記事の掲載は一年近く後になってしまった。
それというのも城山城山城旅館が一時休業したためで、なぜかというに、丈二さん父親が腕利きの料理人として名を馳せ、その稼ぎを投じて旅館を改装したのであった。
私も新規開業の折に改めて訪れたが、新しくなった城は壁に一片の欠けもなく、床は隅々まで磨き上げられていた。しかし何よりの大事業は街道の再建だろう。トンネルと高架を余るほど使って城の真横に真っすぐで平坦な私道を造成したのである。これによって人と物の利便ががらりと改善され、バス停からの険しいアプローチも存在価値を失った。
女将は城を売り渡したあとも宿で働き続けていて、大勢の客らの間を駆け回る彼女は以前よりよほど活発で若々しく見えた。
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