月影

「それは人を殺めるということなのですね」月夜は訊き直した。

「B−29の乗組員は十人から十一人です。一機撃墜すればその人数が少なくとも空中に投げ出されます。負傷によって脱出できないこともあるでしょう。脱出してもきちんと開傘――パラシュートが開くかわかりませんし、無事に着地できるかもわかりません。そのあと敵意を持った住人に撲殺されないとも限りません。そこには避けがたい死があり、それを相手に与えるのは他ならぬ私自身です」

「松原様は自らの殺しに罪悪感を覚えましたか」

「もちろんですとも」

「どうやってそれを受け止めたのでしょうか」

「私の行いは戦争の一局面でした。ですがそれもまた紛れもなく殺しです。戦争だから、命令だから、都市爆撃が悪だから、そういった理由をつけて殺しの責任を自らの外側に転嫁するつもりは私には毛頭ありません。偵察員という仕事を選んだのも私ですし、時の政権を立てた軍部独裁を許したのも我々国民でした。引き金を引くのは私ではなくペアの操縦員ですが、彼らに目標を指向するのは偵察員の私です。ですからそれらの撃墜は私の殺しであると思っています」

「正当化はしない、と?」

「それは少し違います。ただ、敵に覚悟を見出すのです。つまり、私の殺しは同胞と仲間を失っていく恨みのためであり、敵方もまたその心持ちは同じであり、あえて向かってくるということは死ぬ覚悟も殺す覚悟もできている、と解釈しました。実際には家の都合や兵役で嫌々軍人兵士になった人々もいるのでしょう。しかしそれでもやはり覚悟がなければ私たちに照準を向けることはできないはずですから」

「それは……正しくはないのでしょうね」

「はい。正当化にすぎません。あくまで正当化であって、正しくはないのです。それでも私は最大限相手を敵視し、そして最大限の賛辞を贈ることに決めていました」

「死地に赴く相手の覚悟に対する賛辞ですか」

「その覚悟と、そして使命に対する賛辞です。我々は個人と個人であるなら決して殺し合う必要などないのです。ただ互いの使命がそれを定めるのであって」

「もしわたしがその時代に生まれていたら、松原様とともに戦うことがわたしの使命になっていたかもしれませんね」

「月夜さんなら私よりよく機影を見つけられたでしょう。でも夜空とて常に暗闇ではありません。探照灯の光線は刺さりますし、爆撃機が空中で爆発する光は目の端に入っただけでしばらく影が残るほど強烈です。私にとっても、です。ましてあなたの目は光に弱い」

「そう言われると残念ですけど」

「死と殺しの覚悟が必要な領域に踏み込みたいですか」

 月夜はしばらく目を伏せた。

「いいえ。でももう踏み込んでしまっているのです。必要なら覚悟は致します」

「必要、とは?」

「わたしの使命、わたしがこの世界に存在する意味のことですよ」

 聞き覚えのある言葉だった。そう、私が丈二さんに言った言葉だ。

「もしかして丈二さんから私の話を聞きましたか」

 天守の月見に出る前、月夜の部屋に来ていたのはやはり丈二さんだったか、と私はふと思った。

「はい。いい言葉だというので」

「戯言だから忘れてくれと申したのですが、いずれにしても一度口に出してしまったものは取り返しがつきませんね」

「それは……ごめんなさい」


 もう踏み込んでしまっているのです。

 必要なら覚悟は致します。

 月夜はそう言った。必要なら殺しも厭わない。そういう意味だろう。それは彼女が手を出してきたお客を死に至らしめているという言質に他ならなかった。

 だからその時私は月夜が夜歩きの案内に人生を捧げようとしているのだと思った。それを続ける以上殺しは避けられないのだという覚悟に思えた。そして私が丈二さんに言った「存在の意味」という言葉は彼女にとってはむしろこの城への呪縛を強化してしまうものだったと後悔した。

 しかし実際にはその後半部分は誤解であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る