3-5

「出産には多大な苦痛を伴う。出産の瞬間のみならず、ひとたび子を身ごもればさまざまな体の不調に見舞われる」


 天使長は廊下を歩きながら言った。


「分娩の苦痛は原罪に対する報いとされている。ならばその苦痛をなくすことができればどうか。それは逆説的に人類は罪を赦されたことになるのではないか?」


「あなたはいったい何を言っているんです?」


 天使長はドアを開いた。部屋は最初から明るかった。正面にはガラスの仕切りがある。向こう側の空間には揺り籠のような機械が等間隔に並んでいた。ちょうど教室の机と同じくらいの数だ。


「これは」


 わたしはガラスに手をつき、中を覗き込んだ。


「人工子宮。あるいは孵卵器と呼んだ方が理解が早いかな?」天使長が言った。「キャベツ畑は毎年、決まった人数の赤子を生産する。そこから外れるようなことがあってはならない」


「ウルスラたちのように、ですか」


「そうだ」天使長は言った。「連中は自ら命を創造しようとした。何も今回の件がはじめてではない。中には実際に命を宿すところまで行った連中もいた」


 つまり、マリア様のように――ということだろう。わたしは息を呑み、尋ねた。


「その命はどうなったんです」


「わたしが排除した」天使長は言った。「何、宿した本人ももう覚えてはおるまい」


「あなたは人を殺したんですか」


「お前たちは原罪から解放された。それにもかかわらず新たな罪を犯した。ママが知ったらどうなると思う? わたしはママを悲しませるわけにはいかない。ゆえに、自ら手を汚した」


「それでママが喜ぶとでも?」


「わたしがそんなこともわからない愚か者とでも思ったかね」天使長は怒りの形相を浮かべた。「ママのお気持ちが、優しさがわからないほど愚かに見えるかね? どうなんだ、サム」


 わたしは答えられなかった。天使長。ママの右腕。しかし、その腕は独立した意志を持っていた。主の視界に映らないよう、邪魔な虫を潰していたのだ。


「もういいだろう」天使長は平板な口調で言った。「地上に戻るぞ」


 我々はエレベーターを目指した。薄暗い廊下を歩く。天使長の背中に問いかけた。


「聖霊とはいったい何なんです」


「便宜的な呼称だ。もともとはマリア様の受胎を説明する言葉として用いられていた」


「なら、その聖霊はどこから来るんです」


「ウルスラたちがお前にしようとしたことを忘れたか?」


「どういう意味です」


「聖霊は山羊の角に宿る」


「角に」


「そうだ。そして山羊の角が哀れな羊を貫くとき、聖霊は放たれる」「尤も、それはこの外の世界での話だ。この島でそのようなことをする必要はない。われわれには器と聖霊を人為的に引き合わせ成長させるだけの技術がある」


 エレベーターの前にたどり着いた。他に利用する者もいないのだろう。このフロアに止まったままだ。天使長がパネルをタッチし、スリットにカードキーを通すと音もなくドアが開いた。


「いったい何を考えているんです。なぜ、わたしにそこまで話すんですか」


 天使長はエレベーターのパネルを操作しながら答えた。


「卒業したら、貴様をわたし直属の部下として取り立てるつもりだ」


「わたしを?」


「そうだ。貴様は使える。ママへの忠誠心は本物であろうしな。あの錬金術師連中とは違う。そう判断した。わたしに何かあったときはその時は貴様がママを守れ」


 エレベーターは音もなく地上へと向かう。本当に上っているのか、その実感も乏しい。地上とキャベツ畑を結ぶ専用のエレベーターなのだろう。通常のエレベーターと違い、ドアの上に数字のランプもなく、自分がいまどのくらいの深度にいるのかもわからない。


「アグネスはこの件とどう関係があるのでしょう」わたしは尋ねた。「ウルスラたちによれば、アグネスはグリゴリを紹介する前に彼女らから離れて行ったとのことです。アグネスはこの件にはかかわっていない。ならばなぜ姿を消したのでしょう」


「わたしにもわからん」天使長は首を振った。「だが、ママをこれ以上心配させるわけにはいかない」


 やがて、エレベーターのドアが開いた。管理棟の一階だ。わたしはよろめきながら外に出た。


「行け。汚らわしい山羊の子よ。ママの子羊を連れ戻してこい」

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