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この島はママのものだ。
高等部の校舎もママのものなら、庭に設けられたトラックや花壇もママのもの。ママのおわす管理棟は言うまでもなく、地面に生い茂った草の一本一本、放し飼いにされた羊たちの一匹一匹。すべてママのもの。
管理棟は南北に長いゴシック風の建物だった。神の威厳を体現するかのような重厚な雰囲気の外観だが、壁龕の中の聖母子像が印象を和らげている。玄関ポーチの尖ったアーチをくぐり、エントランスで運動靴から学生用のスリッパに履き替えた。大階段を上ってママのおわす二階を目指す。踊り場のステンドグラスには幼いイエスを抱えたマリアの図案が描かれている。二階に上がると、西側に並んだ窓から差し込む夕日が廊下を茜色に染め上げていた。
東側に並んだドアからママの部屋を探しノックする。
「どうぞ」
「失礼します」
ママの部屋はほとんど正方形に近い空間だが、正面の出窓が部屋を広々と見せていた。腰高壁はチーク材のワニス仕上げ。天井飾りとランプシェードはいずれもアールヌーヴォー調だ。ママはマホガニーの執務机に座っていた。机のすぐ脇には黒いローブ姿の天使長がいつもの厳めしい顔で控えている。
この島の顔が学園なら、この部屋はその頭脳にあたる。この学園と島の統治者、ママのおわす部屋……
「昨晩、わたしの子羊が姿を消しました」
ママは言った。御年八二歳。わずかに波打つ白い髪。重力との戦いに屈しつつある肌。白いローブだけがいつも真新しく見えた。ママにもこの学園で学んだ時代があったとはにわかには想像しづらい。三〇〇年前からにこにこした顔でこの部屋に座っていたと言われた方がまだ納得がいく。
「子羊の名前は?」わたしは訊いた。
「アグネス。十四歳の学生です。昨日、ルームメイトが夜になっても帰ってこないのを心配して天使に報告しました。夕食の席を最後に彼女を目撃した者はいないとのことです」
「その子羊をわたしに探せと?」わたしは先回りして訊いた。
「ママのお言葉の途中だぞ」天使長が咎める。
「申し訳ありません」
「かまいません、サマンサ。それから、天使長。あなたも落ち着くように」
天使長は不服そうな顔を一瞬でひっこめ、頭を垂れた。ママがすぐに許しの言葉を与える。
「どうかしら、サマンサ。あなたを優秀な探偵と見込んでのお願いなのだけれど」
わたしは探偵だ。この狭い島では、この肩書がどこまでもついて回る。
「ママのご請願が不服なのか」
「そういうわけでは」わたしは言った。「しかし、わたしなどよりも天使様の方が適任なのではないでしょうか」
天使たちも当然ママのものだ。この学園の卒業生たちからなるママの手足たち。
「もちろん、この件では彼女たちにも動いてもらっています。学園内は言うに及ばず、いまは主に島の山間部を中心に捜索させているところです」
「それでもまだ見つからない?」
「信じがたいですか?」
「心の痛む想像ですが」わたしは前置きした。「海に落ちたという可能性は?」
「もちろんその可能性もあります」ママは沈鬱な表情で言った。「残念ながら、その場合わたしたちにできることはないでしょう。しかし、そうでない可能性もある」
「わたしに何ができましょうか」
「いつも通りの仕事をすればよいのです。学生たちから話を聞き出し、誤解や記憶違いがあればそれを見つけ、真実を手繰り寄せる。あなたの得意とするところでしょう? それに、天使を捜索に当たらせているとはいえ、いなくなったのはあくまで学生です。同じ学生しか見えてこないものもあるでしょう。これはその点も含めた期待です」ママはにっこりと笑った。「どうです。引き受けてくれますか?」
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