第299話 俺達は朝風呂に入りたい
チュンチュン、チュンチュン
ふと窓から差し込む光を感じ、無意識の中から意識が顔を出した瞬間、鳥のさえずりが聞こえてきた。朝にチュンチュンだから朝チュンだな……って、意味的には間違ってるけど。
ちなみに、本来の意味での朝チュン要素は皆無だ。目を開けて初めに視界に入ったのが、おへそ丸出しでヨダレを垂らしているエミリーの寝顔だったから。
お嬢様感は一体どこに行ったんだろう。ハワイかな?
逆に、反対側にいる千鶴は寝相がものすごくいい。ピシッと伸ばされた格好のまま、一定のリズムで寝息を立てている。どうりで同じ布団でも気にならなかったわけだ。
「美味しそうな餃子ですわぁ〜……」
「おふっ!?」
千鶴に関心している間に、隣接する布団から転がってきていたエミリーが耳に噛み付いてきて、不意打ちのせいか思わず変な声を出してしまった。
すぐに離れてくれたものの、彼女の甘噛みの感覚が残っていて、朝イチには強すぎる刺激に心臓のドキドキが止まってくれない。
そうだ、外の空気を吸えば落ち着くかもしれない。
そう思った俺は、エミリーの腕から抜け出す代わりに枕を挟み、足音を立てないように窓に向かった。
そしてチュンチュンと聞こえてくる外界の陽気を全身で感じ――――――――――――られなかった。
「寒っ!?」
オープンザウィンドウした瞬間に吹き込んできた風は、朝チュンの要素など全く含んでいない冷風。
生身の肌を突き刺さんとするそれに、俺は別に意味でドキドキしながら窓を締め直した。
「こ、凍え死ぬかと思った……」
「あら、当旅館名物の『リアル朝チュン』はお楽しみいただけませんでしたか?」
いつの間にか部屋に入ってきていた真理亜さんは、そう言いながらもう一度窓を開けて、外から何かを取って見せた。
チュンチュン、チュンチュン
ラジカセだ、タイマーと繰り返し機能のあるやつ。
そりゃそうだよな、よく考えたらこんな時期に鳥のさえずりなんて聞こえてくるはずがないし。
「風情みたいなものは感じますけど、きっとそういう意味の朝チュンじゃないでしょうから結構です」
「あら、それは残念です。……ホトトギスバージョンもありますよ?」
「朝チュン関係ねぇじゃねぇか」
しばらくすると、ネズミの間のみんなも目が覚めたようで、朝食を食べてから集まることになった。
今日の予定は、昼にチェックアウトすること以外は特に決まっていない。
それまで暇だから何かしようということになったのだが、UNOは昨日やりすぎて飽きてしまったし、他には何も用意していない。
このままでは時間だけ浪費して、なんだか無駄な感じになってしまう!というところで、結城がこんな提案をした。
『どうせなら、もう一度温泉に入りません?関ヶ谷さんなしの女子風呂ですよ!』
除け者にされている感が否めないが、朝風呂というのも悪くない考えだ。同じ温泉とはいえ、暗い中ではあまり見通せなかった景色も堪能できるのだから。
彼女の意見に他のみんなが賛同したため、予定は朝風呂に決定した。貸切ではないが、男だけの空間で落ち着いて湯に癒されるというのもいいだろう。
千鶴は女装のこともあって、どちらに入っても地獄を見ると判断したのか、部屋に残るという選択をした。
つまり、俺は本当にぼっちって訳だ。
……いや、寂しくなんてないぞ?これは目から温泉が湧いてるだけだ、涙じゃない。
脱衣所に入ると、俺は適当なカゴに着替えと着てきた寝巻きとを放り込んだ。
そして腰にタオルを巻いて、いざ男湯へ!
ガラッ!
「…………さむっ」
開いた瞬間、無防備な肌を凍てつかさんとする冷気が全身を襲ってきた。部屋の窓を開けた時より、倍くらい冷たく感じる。
だが、こんな所でじっとしていると脱衣所まで冷えてしまう。俺は自分の肩をペチンと叩くと、扉を閉めてタイルの上へと踏み出した。
「ち、ちべたい……」
床まで冷たいとは……いや、でも湯を浴びれば体もポカポカするはずだ。
ちなみに、ポカポカと言っても幼女に叩かれてるわけじゃないぞ?温泉で幼女にポカポカなんて、一部の層は喜びそうだが、俺にそんな性癖は――――――――――――あれ、思ってないか。
俺は木製の椅子に腰掛けるとシャワーヘッドを掴み、逆の手を噴射口に添える。
水を出して温かくなるまで確認した後、その手を退けて頭からお湯を被った。やっぱり冷えたからだにはお湯が効くなぁ……。
ある程度温まったら、シャワーを止めてシャンプータイムだ。シャンプーを手のひらに出して、程よく濡れた髪をわしゃわしゃと洗う。
そういえば昔、シャンプーの使いすぎでよく母さんに怒られてたな。『そのシャンプーで、何人のハゲ頭を洗えると思ってるの!』って。
今更だけど、子供にする例えじゃないよな。せめて無駄遣いしたくても出来ないような、生活の貧しい人の話にして欲しかった。髪の貧しさはなんとかなる時代だし。
「あれ、シャワーヘッドは……」
泡を流そうと思ったが、やけに泡立ちのいいシャンプーなせいで、髪に乗り切らなかった泡が目元に垂れてくる。
そのせいで目が開けられず、手探りで探していると、不意にシャワーヘッドの方から手元に寄ってきた。
「ほら、ここにあるよ」
突然声が聞こえて驚いたが、どうやら先客がいたらしい。俺の滑稽な姿を見ていられなくて、手を差し伸べてくれたのだろう。
サッと泡を流すと、ようやくその人物の顔を見ることが出来た。……なかなかのイケメンだ。
「大丈夫かな?目に入ったりしてない?」
イケボってのはこういうのを言うんだろうなと思わされるような、すっと耳に届いてくる甘めの声。
「少し目が赤くなってるね。ほら、念の為すすいでおこうか」
そっとお湯をすくって差し出してくるすらっとした腕や脚。俺は言われるがままに目を洗い、スッキリしたところでもう一度顔を覗き込まれる。
「うん、大丈夫そう。危ないから、これからは気をつけようね」
ニコッと微笑むそのイケメン顔に似合っているのか似合っていないのか……彼は長い髪を高めの位置でまとめていた。いわゆる長髪男子ってやつだ。
「あ、ありがとうございます……」
突然助けられたのもそうだが、パッと見だと女の人かと見間違えるくらい綺麗な人だということにも驚いた。
声と無防備にさらけ出された胸で男だとわかるが、女装されたら多分見分けれない。こんなイケメンに言い寄られたら、そこらの女子はみんなイチコロだろう。
「せっかくだから背中を流してあげるよ。同じ風呂のムジナってやつだね」
「よくわからないですけど、多分色々違うと思います……」
「ふふふっ、気にせずに身を任せてくれたらいいよ。偶然同じ旅館に泊まって、偶然同じ時間に温泉に来た男同士。短い時間だけど仲良くしようじゃない」
「は、はぁ……」
『はい』とも『いいえ』とも言う前に、男の人はボディソープを手のひらに出して泡立て始めた。
こうなると、今更断るのも失礼かもしれない。どうせこれから洗うところだったし、悪い人じゃなさそうだから任せてみるか。
「よろしくお願いします……」
少し緊張気味にそう伝えると、彼は「こちらこそよろしくね」と鏡越しに微笑んで、ボディソープ付きの手のひらを俺の背中に触れさせた。
「うっ……」
その冷たさに体が驚いてしまう。それに気付いた男の人は、「ごめんね、まだ冷たかったかな」と申し訳なさそうにこちらを見た。
なんだか、話せば話すほど感じのいい人に見えてくるな。こうやって人にしてもらえるのも、何となく落ち着くし――――――――――――――。
そんな風に思っていたのも束の間、俺は数分後にはその場から逃げ出したいとさえ思っていた。
「そ、そんな触り方……」
「いいじゃないか、男同士なんだから」
「そういう問題じゃ……やめてくださ……」
「ふふっ、いい感じに温まってきたみたいだね」
意地悪な表情も様になるイケメンが、ジリジリと俺に詰め寄ってきていたのだから。
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