第300話 俺は体を洗われたい

 3分後、依然としてイケメンに体を洗われているという状況が続いていた。

「えっと……すみません、お兄さん」

冬夜とうやでいいよ。どうかした?」

 相変わらずイケメンボイスで問いかけられると、自分の中のしょうもない自尊心が痛ぶられる気がする。

 洗われている側という立場もあって、ボクシングならもう8カウントくらいまでは行っている。これ以上差を見せつけられたら、二度と立ち上がれなくなりそうだ。

「その、洗い方……どうにかなりませんか?」

「洗い方?素手だとあまり良くなかったかな?」

「いや、そういう事じゃなくて……」

 さて、どう伝えればいいのだろう。率直に『触り方がいやらしい』って言うべきか?さっきからやたら指を這わせたりしてくるし。

 いや、でもそれだと傷付けちゃいそうだし、冬夜さんに悪意があるようにも思えないからな……。

「その、もう少し雑でもいいですよ?」

「雑っていうのはこんな感じかな?」

 冬夜さんはそう言いながら、大きめの幅で背中を擦ってくれる。これならいやらしさは感じられないし、むしろ人に洗われてるって感じがして少し気持ちいい。

「あ、そうです。注文多くてすみません」

「いいんだよ。快適な洗いを提供するのが僕の仕事だからね」

「……仕事?」

 その言葉に違和感を覚え、そのまま聞き返してみると、冬夜さんは「そう、仕事だよ」と微笑んだ。

「僕、とある銭湯で『洗い屋』ってのをしてるんだ。名前の通り、お客さんの体を洗う仕事だね」

 なんだ、その18禁アニメに出てきそうなお仕事は。まさか、この人ってやばい人なのか?

 そう思っていたのが顔に出てしまったのだろう。冬夜さんは苦笑いしながら首を横に振った。

「あはは……多分、君が思ってる仕事とは違うと思うよ。ちゃんと頼まれた人のしか洗わないからね」

「いや、何も違わないですよ。頼まれたから女の人の体を洗っていいなんて、暴論もいいとこです」

 俺がそう言って怪訝な表情を見せると、冬夜さんは吹き出すように笑いながら洗う手を止めた。

「僕が洗うのは男の人だけだよ?女湯に入るなんて、許されることじゃないからね」

「っ……そ、それを早く言ってください……」

「聞かれなかったから答えなかっただけだよ」

 ケタケタと笑う彼に、俺は顔が熱くなるのを感じる。盛大に勘違いをしてしまったのだから当然だ。変なことを考えていましたと、自分から暴露したようなもんだし。

「まあ、洗って欲しいってお願いしてくる女の子もいるんだけどね」

「男湯だから言いますけど、それってすごくいいことなんじゃ……?」

「いやいや、仕事として依頼を受けても、女の子の体目当てだなんて言われたら続けて行けなくなるからね」

 確かにその通りだ。お客に頼まれないと仕事がないタイプの仕事は、言われるまでもなく信頼が命だ。どこぞのえっちなアニメの世界とは訳が違うってことだな。

 変な人だなんて思ってしまったことが申し訳ない……と心の中で謝罪をした矢先。

「それに、僕が好きなのは女の子だけじゃないから」

 冬夜さんがそんなことを言って、洗うのを再開した。だが、やはりまた手つきがいやらしい。あちこち念入りに触ってくるのが、弱点を探られているように感じるのだ。

「バイって分かる?バイ・セクシャル、男も女も好きになれる人のこと……」

「き、聞いたことはありますけど。それがどうかしたんですか?」

 聞き返すまでもなかった。それまでは背中に収まっていた彼の手の触れる範囲が、徐々に慣らすように、少しずつ前にズレてきていたから。

 それと同時に冬夜さんの顔も前に出てきて、ついには彼の顎が俺の肩に触れた。

「僕、それなんだ。年下の男の子を見ると、つい手を出したくなっちゃうんだよね」

 耳元で囁かれる脳を溶かすような甘いボイス。女子じゃなくてもこれにはドキッとしてしまう。

「じょ、冗談はよしこさんですよ……あはは……」

 俺がそう言いながら立ち上がろうとすると、冬夜さんは引き止めるように長い腕で俺の腰をロックしてきた。

「と、冬夜さん……?」

 さすがに俺の体も危機感を覚え始めているらしく、この震えが寒さから来るものでないことを理解していた。

 もしかしたら、俺……これからこの人に……。

「まだ終わってないよ。最後までやらないと気が済まないんだ」

「さ、最後?それってどこまで……」

「最後は最後だよ。大丈夫、任せてくれるだけでいいから」

 冬夜さんの優しさが逆に怖い。左手は洗うのに回ったものの、右手は変わらず体をロックしてるし。時折、胸あたりに手を這わされるのには体が強ばってしまう。これでは逃げることも出来ない……。

「お、お代は払いますから!最後までは勘弁してください!」

「僕が好きでやったことだからいらないよ。その代わり最後までやらせてね」

 冬夜さんはクスリと笑いながら、抱きつくようにしてお腹を洗い始めた。だめだ、いよいよその時が来たらしい……。

「い、いやだぁぁぁ……」

 心の声が止めどなく溢れてくる。もう、俺はこの人に身を委ねるしかないのだろうか。

「いいじゃない、男同士なんだから」

「そ、そういう問題じゃ……やめてくださ……」

「ふふっ、いい感じに温まって来たみたいだね♪」

 冬夜さんは楽しそうに笑いながら、動かしていた手を止めた。

「よし、次は……」

 お腹は洗い終わったらしく、そんな声が聞こえてくる。こうなったら覚悟を決めるしかない。できる限りトラウマにならないように、本人に直接お願いするしか――――――――――――――――。

「や、優しく……してください。お願いします……」

 絞り出した声は震えていた。そこで、自分が本当に怯えていることに気がつく。

 やっぱり、千鶴の時とは訳が違うのだ。いざと言う時に本気で拒否できる自信が無いから……余計に体が怖がってしまう。

「優しく?どんな風なのか、具体的に教えてくれる?」

「その……痛いのは、嫌です……」

 自分で言っておきながら、顔がものすごく熱い。だめだ、このままだと黒髪ちゃんになった時に感じた乙女な部分が反応してしまう……。

 冬夜さんの手が動くのを感じて、俺の体はより一層強ばった。そんか様子を見て、冬夜さんは口元を緩めると、相変わらず甘いボイスで囁いてくる。


「冗談だよ」


「…………ん?」

 思わず思考が停止する。冗談?一体なんのことだ?

「僕がバイだってことも、洗い屋だって話も嘘ってこと」

「はぁっ?!ど、どういうことですか!」

 あまりの突拍子のない言葉に振り返ると、冬夜さんはニヤニヤ笑いながら俺の頬をむにっと両手で挟んできた。

「でも、君みたいな子に手を出したくなるってのは本当かな。だって、反応を見てると楽しいんだよ」

「か、からかってたってことですか!?い、いい加減にしてください!」

 俺が怒って立ち上がろうとすると、冬夜さんは「まあまあ……」と宥めてくる。

「実は僕、君のことを知ってるんだ。弟から君がここに来てるって話を聞いてたから、もしかしたらと思って話しかけたんだけど……」

「俺の事を弟さんから?」

 一体誰のことだろう……。そう首を傾げると、冬夜さんは自分の胸に手を当てながら自己紹介をした。

「僕、園城おんじょう 冬夜とうや。園城 業助なりすけの兄だよ」

 ああ、あの業助のお兄さんか!そうかそうか、言われてみれば確かにどことなく顔つきも似ているような―――――――――――って。

「…………いや誰ですか、それ」

 全くもって知らなかった。顔どころかシルエットすら浮かんでこないレベルで。

「あはは……弟が聞いたらさすがに傷つきそうだよ」

 冬夜さんは苦笑いすると、「それなら……」と呟いた。そして。

「コロ助って言ったら分かるかな?」

 学校ではそう呼ばれてるって聞いたんだけど……と首を傾げた。

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