第286話 (男)友達は爆発したい

「お、怒ってるか……?」

「……別に」

 そんなことを言いながらも、すごく不満そうにそっぽを向く千鶴。沢尻エ〇カかよ、というツッコミは、言える雰囲気じゃなさそうなので喉奥に引っ込めて……。

 彼は静香から助けようとしなかったことを怒っているらしく、背中を流す役目を交代した今も、体の前面をタオルで隠したまま、ずっとこちらを見てくれない。

「危なかったんだから……」

 千鶴の言う通り、交代を申し出るのが数秒遅ければ、無遠慮にタオルが剥ぎ取られて男バレしてしまっていただろう。

「悪かったって。だから、お詫びに背中を流してるんだろ?」

「そうだけど……やっぱり納得できない」

 千鶴は鏡越しに不満そうな目を向けてくる。この目で見られると、なにかしてやらないといけない気になっちゃうんだよな。

「なら、どうしたら許してくれるんだ?」

 俺がそう聞くと、彼は少し考えた後、タオルの中に左手を忍ばせてから、掴んでいた右手を離した。

 直後、彼の太ももの上に落ちるタオル。一瞬ドキッとしたが、見てみれば忍ばせた左手でちゃんと胸を隠している。

 ……いや、男だし『ちゃんと』と言っていいのかは分からないけど。

 湯けむり効果もあるのか、下はタオル、上は手でなんとか見えないように隠す姿が、なんとも可愛らしく見えた。

「ゆ、許してあげる条件……」

 彼はそう言いながら自由になった右手も胸を隠すために添え、手ぶらならぬ手ブラ状態で恥ずかしそうに目を逸らしながら言う。

「ま、前も洗ってくれたら許す」

「っ……そ、それは……」

 いくら男友達と言えども、前を洗うのはやはり緊張する。洗われる側である千鶴にこんな顔をされると尚更だ。

「さすがに、他のやつに見られたらまずいだろ……」

 千鶴は未来乃として紹介されている以上、周りからは男ではなく、『貧乳系女子』だと思われている。

 胸がない女の子でも、触ればアウトなのは言うまでもないだろう。つまり、千鶴の胸に触れている現場を見られれば、俺はお縄にかかることになるかもしれないのだ。

 例え御用にならなかったとしても、女性陣から『変態』というレッテルを貼られることは間違いないし、今後の付き合い方にも影響が出ると思う。

 それを回避するには、未来乃が千鶴であることをバラすしかない。その選択肢は俺の中には無いので、事実として解放されているルートは一つしかないのと同義だ。


「見てください!景色がすごく綺麗ですよっ!海に月明かりが反射して……」

「星も綺麗だし、来てよかったね、魅音」

「だね〜♪空気が綺麗だから、よく見えるのかな?」

「そうかもしれないね!風も気持ちいいよ」

「何度来ても、ここは落ち着きますわね♪」


 女性陣の声が聞こえてくる。どうやら彼女達は洗い場とは反対側の星空を見上げているらしい。

 それを鏡越しに確認した千鶴は「今なら大丈夫だよ」と俺の手を握り、そのまま体の前までスライドさせた。

「ほら、洗うだけでいいから……」

 ねだるような目、甘えるような声、少し上がった息遣い。その全てが俺に触れられることを求めているように感じて、ついそれを叶えてやりたいと思ってしまう。


 ―――――――――――――でも、出来なかった。


「……千鶴、俺……」

 引かれる手が無意識に拒んでいたことに気付いて謝ろうとすると、千鶴はそれを遮るようにゆっくりと首を横に振った。そして微笑みながら俺の手を離す。

「私こそごめんね。碧斗には好きな人がいるのに、でしゃばった真似しちゃった……」

 そう言いながら、一瞬視線を落とす千鶴。それを見逃さなかった俺は、反射的に下ろされかけた彼の手を掴み、強引に自分の胸へと当てた。

「千鶴、俺の鼓動……感じるか?」

 初めは驚いていた彼だが、俺の言葉にそっと目を閉じると、少しして小さく頷いてくれる。

「すごくドクドク言ってる……」

「ああ、そうだ。千鶴、お前のせいだぞ?」

「……え?」

 千鶴は「私の……せい?」と言葉を繰り返しながらこちらを見上げた。俺から目を逸らすことはない。

「こう見えて、千鶴相手に結構緊張してるんだからな?お前は可愛いし、性格もいいし、彼女がいなかったら好きになってたかもしれないくらいだ」

「……今は好きじゃないの?やっぱり、男だから?」

 男であるということは、同性である俺を好きになってくれた彼にとって、1番大きなコンプレックスだと思う。

「そんなわけないだろ」

 しかし、俺はそんなことは全く気にしていない。千鶴が男だろうが女だろうが、『好きと言ってくれる相手』に変わりはないし、事実俺は好いてくれることを嬉しいと思っている。

 だから、そんな彼を拒絶してしまう理由はひとつしか無かった。

「俺、好きな人がいるからさ。やっぱり裏切れないんだよ……」

 俺が好きなのは幼馴染と(偽)彼女。千鶴は『親友』で、『好意』は抱いても『恋心』を抱くことは無い。

 そう伝えると、彼は仕方ないというふうに笑って、自らを納得させるように頷いた。

「そうだよね、やっぱり。碧斗はあの二人に真っ直ぐなんだもん。そんな碧斗だから、私はずっと好きでいるんだし……」

 目の縁から一筋の涙が零れた。傷つけてしまった罪悪感はあったが、それでも今ばかりは拭ってやることはしない。

 この涙だけは、俺が拭っていいものじゃないと思えたから。

「……碧斗、一つだけ、聞いていい?」

 手の甲で必死に目元を拭いながら、途切れ途切れの声でそう聞く千鶴。俺が「なんだ?」と返事をすると、彼は少し間を置いてから顔を上げる。

「碧斗が私の事……いつか好きになることはありえる?」

 潤んだ瞳で真っ直ぐに見つめられ、この答えから逃げることは出来ないと悟った俺は、今まで出会ってきた人達のことを思い出しながら首を縦に振った。

「ああ、気持ちは変わるし変えられる。俺がお前を恋愛対象として見れないのは、あくまで『今は』ってだけだからな」

 人に対する好きや嫌いは、180度変わることだって有り得る。それまでなんと思っていなかった相手が、突然恋愛対象に変わることだって有り得る。

 だから、千鶴が俺の気持ちを一番に惹く存在になることだって無いとは言いきれないのだ。もちろん、逆に千鶴が俺を好きでなくなることも有り得るわけだけど。

「人間関係なんて、告白ひとつで変わっちまうくらい脆いもんだからな。それが良い方に転がるか、悪い方に転がるか……たったそれだけの違いだろ?」

 その言葉に、彼はコクリと頷いた。

「じゃあ、諦めないでいいってこと……?」

「ああ、どんどん向かってこい!」

「好きってアピールしてもいいの?」

「いいぞ?ちゃんと全部聞いてやるから」

 ただし、場所は気をつけろよ?と付け足すと、千鶴はクスリと笑ってくれる。そして体ごとこちらを振り返ると、いきなりギュッと抱きついてきた。

 素肌同士が触れ合って、互いの体温がはっきりと伝わってくる。だが、それはつまり千鶴の上半身が丸見えになっているわけで……。

「ち、千鶴……お前、そのな……」

 目のやりどころに困りつつ、指摘しようにもなんと言えばいいのか分からずに口をもごもごさせるだけの俺へ、千鶴は上目遣いでボソッと呟く。


「……碧斗、すき」


 このセリフ、今まで千鶴がしてきたどんな攻撃よりも圧倒的に破壊力が高い。さすがの俺も、これには頭がクラっとしてしまった。

「碧斗、すきだよ……すき、すごく好き……」

「ああ、ありがとうな。嬉しいよ」

 優しく頭を撫でてやれば、気持ちよさそうに目を細める千鶴。手を離すと『もっとして』と言わんばかりに物足りなそうな顔をするのも、すごく愛らしく感じられた。

 だが、このままずっとここにいては体が冷えてしまう。露天風呂なだけあって夜風も冷たいし、風邪を引いてはそれこそ旅行が台無しだ。

「千鶴、そろそろ湯船に浸からないか?」

 俺はそう声をかけて立ち上がろうとする。だが。

「えへへ……すき、あおとぉ、すきぃ……」

「……千鶴?聞こえてるか?」

 千鶴は俺に抱きついたまま、離れようとしてくれない。それどころか、抱きしめる腕の力が少しずつ強くなっているような気さえする。

「だいすき……すきなの、どうしよう……好きすぎるよぉ……」

「お、おーい、千鶴さん?」

 好きのアピールを許してしまったからだろうか。溜め込んでいた感情を爆発させたように、千鶴の気持ちに歯止めが効かなくなってしまったらしかった。

 ヤンデレなんて言葉を最近よく聞くが、実物を見たことがない俺でも分かる。その言葉はおそらく、今の彼の姿を正確に表しているだろう。


 その頬は赤く染められ、不定期に荒い熱気の放たれるうすら笑みを浮かべた口元と、真っ直ぐに俺だけを見つめる光を感じられない瞳。


 気がつくと彼は俺の太ももの上へと移動していた。ついさっきまでは俺が見下ろす側だったと言うのに、今ではその立場は逆転。

 押し倒さんとばかりに体重をかけてくる彼を押し返すことは出来ず、倒れてしまわないように支えるので精一杯だった。だと言うのに……。


「あおとぉ、お布団……行こっか」


 耳元で囁かれたその甘い声によって、体からスっと力が抜ける。脳が蕩けると言ったらわかりやすいだろうか。要するに、思考停止してしまったのだ。

 押されるがままに倒れていく中、俺はこの後降りかかるであろう身の危険を察して、全身から血の気が引いた。


 ……俺、終わるかもしれない。

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