第285話 俺は風呂に入りたい

 夜12時を回った頃のこと。

 温泉の貸切時間ということで、俺達は脱衣所に来ていた。


 カゴが入っていないスペースがチラホラとあるが、これは貸切時間以降に入る人がいないから片付けたってことなのだろうか。

 旅館とか銭湯のカゴが片付けるものなのかは知らないけど、無いってことはそういうことだと思う。

 俺は数少ないカゴの中から、何となく一番右にあるのを選んで取り出す。ほら、ク〇ピカも右を選ぶらしいし。

「碧斗、ご飯にする?お風呂にする?それとも……」

「いや、風呂に入りに来たんだろ?」

 俺は脱いだ服を畳んでカゴに入れながら、隣で自分を指さしたまま停止している千鶴にそう言った。

 ちなみに、お風呂に入るからか、彼はウィッグを外してカゴに入れている。つまり、現在の千鶴は男バージョンだ。

「もぉ……少しくらい乗ってくれても良くない?」

 彼は不満そうにそう言うが、どちらにしてもご飯はもう済んでるんだよな。そこは選択肢から除外されるべきだ思う。

「てか、それって言ってて恥ずかしくならないのか?」

「男のロマンがひと繋ぎの大秘宝なら、女の子のロマンはこのセリフだもん!」

「お前は一応秘宝を探す側だろ」

「うん♪じゃあ、碧斗が秘宝役ね!」

「なんだ、その『お前ボールな』的な流れは」

 いや、探してくれるのは嬉しいけどさ。

 ただ、男バージョンの時に言われると、何とも言えない気持ちになるんだよな。チョコレートとゴーヤを一緒に食べたみたいな……。

 というか千鶴、ウィッグは外しても胸はタオルで隠すんだな。男なら今の俺みたいに腰タオルだろうし、やっぱり見られるのは恥ずかしいのだろうか。


 そんな風に思っていると、千鶴は着替えを入れてある袋の中から、カゴに入れたのとは別のウィッグを取り出して付け始めた。

「風呂でウィッグって大丈夫なのか?」

 俺がカゴを棚に戻しながらそう聞くと、彼は留め具をパチッと固定しながら頷く。

「濡らしてもいい用と2つ持ってきてるの。もちろん地毛を洗う時は外すけど、もし途中で旅館の人が来たりしたら困るでしょ?」

 貸切時間中に旅館の人が入ってくるとは考えにくいが、そうは言っても可能性はゼロではない。何が起こるかわからない以上、用心しておくのは大事なことだろう。

「それに碧斗もこっちの方が興奮するでしょ?」

「全く」

「本当は?」

「……少しだけな」

 俺の返答に満足そうにニヤける千鶴。そりゃ、胸以外は女の子にしか見えないわけだし、友達として見ようと思っても少しは意識しちゃうもんだろ?

「ほら、せっかくの貸切、楽しも?」

 彼はそう言うと、俺と腕を組んで扉の方へと引っ張っていく。こうされても腕に柔らかい感触を感じないのは残念……なんて、本人には絶対に言えないな。

 扉の前まで来ると、千鶴は「どうぞ!」と目線で訴えてくる。開ける役目を任せてくれるみたいだ。

「よし、行くぞ……」

 少し緊張する体を深呼吸でほぐした後、扉の窪みに手をかける。そして―――――――――。


 ガラッ!


「…………え?」

「…………どういうこと?」

 曇りガラスをはめ込まれたスライド式の扉の向こうに広がっていたのは、貸切状態で無人の温泉―――――――――――――――ではなかった。

「お、お先してます……!」

「お兄さん達、いいところに来たねぇ〜♪」

 湯船には頭にタオルを乗せたまま、肩まで浸かる御手洗さんと神代さんが。

「あわわっ、本当に来ちゃいましたぁ……」

「せめてわっちらが湯船に入ってからにしてくださいよ〜」

 洗い場には慌ててタオルで体の前面を隠す魅音と、体にタオルを巻いた姿で魅音の背中を流す結城の姿がある。

 そんな光景をぼーっと眺めていると、俺の背中に体を半分隠していた千鶴が腕を掴んできた。

「ちょ、ちょっと碧斗。こっちにきて……!」

「お、おう……」

 そのまま外まで引っぱり出されると、俺は千鶴に扉横の壁へと追いやられた。驚く俺に構うことなく、彼は焦りを滲ませた瞳を近づけてくる。

「ど、どういうこと!?ネズミの間のみんなとは、時間をずらしたんだよね?」

「ああ……、結城と交渉して、先に入らせてもらえるように頼んだんだが……」

 結城も確かにそれで同意してくれた。それなのに彼女達は現在入浴中……これは千鶴にとって大変な事態だ。

 身を纏うものがタオル一枚という最も防御力の低い状態で、女性陣のいる風呂の中に突っ込んでいく勇気はさすがに無いだろう。

 訴えるような視線を向けながら、『どうにかして……』と言わんばかりに距離を詰める様が、その心中を表していた。

「千鶴、近いぞ……」

「そ、そんな場合じゃないから……!」

 彼が少し声を張った瞬間、その瞳にじわっと涙が滲んだ。本当にどうしていいのか分からなくなっているらしい。

 これは、肌に直接触れてくるタオルのこそばゆさも、腕を握ってくる掴みの強さも、そんなことを気にしている場合じゃないな。

 何か理由をつけて、俺達の入浴時間を後に回させてもらおう。千鶴を守るにはそれしかない。

 そう心の中で頷き、再度風呂場へ続く扉を開けた……その瞬間だった。

「グズグズしてないで、早く入りますわよ!」

 背後から背中を押され、体が前のめりになる。なんとか踏ん張ろうと足を出すものの、濡れた風呂場のタイルは滑りがよく、転ぶに転べないスケート初心者のように足をバタつかせた後、結局ツルッと転んでしまった。

 倒れた俺の体は推進力に任せて床を滑り、風呂の縁にある石にコツンと当たって止まる。……このタイル、潤滑油でも撒いてあるんじゃないかと思うくらい滑りがいいな。

「大丈夫ですか……?」

「お兄さん、生きてる〜?」

 俺は湯船の中の2人にツンツンと頭を突かれ、痛む鼻を押さえながら立ち上がると、後ろを振り返って押してきた犯人を目視する。

 声を聞いた時点で誰かは分かっていたが、やっぱりこいつか……。


「ほら、未来乃様も入りますわよ!」

「いやだぁぁぁ!あとではいるぅぅぅ!」

「駄々っ子はいけませんわ。裸の付き合いと行きましょう!」


 嫌がる千鶴を背中に担いで、無理矢理風呂場へと運び込むのは、体に巻いたタオルの隙間にボディブラシを挟み、シャンプーハットを装着した静香だった。

 あの小さな体のどこに千鶴を担げる程の力があるのかは分からないが、あのシャンプーハット……懐かしいな。

 静香はそのまま千鶴を洗い場の椅子に座らせると、彼の背中にツーっと指を滑らせる。それと同時に、彼の肩がビクッと跳ねたのがここからでも分かった。

 その反応に「ふふっ♪」と意地悪な笑みを浮かべる静香。耳に息がかかっているのか、くすぐったそうに首を縮め、湯気の熱にあてられたのか、頬を赤く染める。

「なんだか、いけないものを見ている気分になります……」

「ユアちゃん、少し興味あるかも♪」

 湯船組も一方は顔を手で多いつつも指の隙間からチラ見し、もう片方は興味津々にガン見。2人とも惚けたように、ぽわんとした表情をしていた。

 正直、俺もこの光景は直視できない。男子高校生の生理現象的な意味で、これを視界に入れるのは色々と危険なのだ。

「未来乃様、体を洗ってもよろしくて?」

 静香はそう言いながら、背中側から千鶴に抱きつく。彼は「あっ、いやっ……」と艶かしい声を漏らしながら腰を仰け反らせ、タオル越しに腹に触れられると、「ふにゃっ」と可愛らしく背中を丸めた。

「私、何かに目覚めてしまいそうですわ……」

 そう呟きながら蕩けたような瞳をする彼女は、俺が見ているのに気がついてこちらを振り返ると、ペロッと舌なめずりをする。

「お兄様も……されますか?」

 外気の冷たさか、それとも妖艶ささえ感じるその姿のせいか、俺は思わず身震いをした。

「え、遠慮させていただきます……」


 静香の後ろに見えた恨めしそうな千鶴の瞳が、夢に出てきそうなほど瞳に焼き付いた気がした。

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