第283話 俺は彼女を受け入れたい

 俺は静香に言われた通り、『ヒトヤ ミチコ』と検索をかけて見ることにした。

 だが、出てくるのは知らない喫茶店だったり、苗字か名前かのどちらかしかあっていない人物の画像だったりと、正確な『ヒトヤ ミチコ』は出てこない。

 だが、画面をスワイプしていた俺の手は、とある部分を目にして止まった。


『獄(ひとや)とは?』


 そう書かれたページは、どうやらネットの辞典みたいなものらしく、内容は言葉の意味を記してあるだけだ。

 だが、俺はこの漢字に馴染みがあった。正確には俺だけではなく静香もだけど。

 俺はまさかと思い、検索ワードを『ヒトヤ ミチコ 漢字』とに書き換えて再度探してみる。

 そして検索結果の一番上に表示された3文字に、俺は思わず目を見開いた。そこに表示されていたのは……。


ひとや 道子みちこ


 ここまではっきりすれば、どんな馬鹿でも分からないはずがなかった。獄 道子……それは、獄道という本当の名前から作られた偽名だったのだ。

「静香、お前……」

 俺が驚いて顔を上げると、静香の後ろにはいつの間にか彼女の父親、仁さんが立っていた。

「関ヶ谷君、あの時は静香と仲良くしてくれてありがとう」

 彼はそう言うと、静香の背中を優しく叩きながら笑う。

「きっと、静香の変わり様に信じきれていないのだろう?」

「え、ええ、まあ……」

 エミリーの髪は金髪で、瞳の色は青だったと記憶している。だからこそ、周りから怖がられ、避けられたのだ。

 だが、静香はどちらも日本人らしい黒。どれだけ成長しようとも、そこが変わることは基本的には無いはず。だからこそ、これだけ情報が揃っていても信じきれない。

「関ヶ谷君には静香のことを、色んな意味でよく知っていてもらいたい。だから伝えておこうと思うのだよ」

 仁さんはゴホンと咳払いをすると、静香のことを一瞥いちべつしてからもう一度俺の方を見つめた。

「あの頃のサバ缶組は抗争が激しくてね……静香を外に出せる状況ではなかった。愛娘を誘拐されでもしたらどうしようと、妻もわたしも怯えていたんだ」

 確かに最近はサバ缶がどうだとか、そういう危なっかしい話は聞かなくなったものの、昔は色々と恐れられていたらしいからな……。

 そもそも銃を持ったり人を脅したりするような集団が、女の子1人拐うことに躊躇いを持つとは思えない。

 静香を大切に思うからこそ、家の中に閉じ込めておいたのか。

「でも、静香がどうしても幼稚園に言ってみたいと言ったのだよ。普段は何も欲しいと言わないこの子が、その時だけは何を言っても聞いてくれなかった……」

 頭の中に、駄々をこねるエミリーの姿が思い浮かぶ。周りよりも少し大人びていた彼女がそんなことをするとは、あの頃の俺は思いもしなかったな。

「ちょうど同じくらいの時期だったかな。抗争が少し落ち着いた時期がやってきてね、もうここしかないと思って、わたしは静香をあの幼稚園に入園させたんだ」

 娘を守りたいが、願いを叶えてあげたい気持ちもある。そんな中で選んだ苦渋の選択だったのだろう。でも、そのおかげで俺達は出会うことが出来た。

「しかし、そのままの名前と姿ではいつバレるか分からない。だから静香には偽名を使わせ、金髪のカツラとカラーコンタクトをつけさせたのだよ」

「……そういう事だったんですね」

 いつ抗争が再度激しくなるか分からない以上、静香の存在を敵の組に知られることは避けなければならない。

 そのために、髪や瞳の色、名前までもを偽物にしてしまったわけだ。極道の世界をよく知らない俺でも、そこにある親心みたいなものはある程度理解出来た。

 写真を禁止していたのも、あくまで静香の存在を幼稚園の中だけに留めるためだったのだろう。危険が少しでもある以上、不安の芽はできる限り摘んでおかなければいけないのだ。

「……お兄、でもちゃんと知っていて欲しいの」

 静香は俺の服の裾を掴むと、軽く引っ張りながら言う。

「全部嘘だったわけじゃない。髪も瞳も『ヒトヤ ミチコ』も嘘だったけど、お兄はお兄の中に本当の私を残してくれてた……」

 彼女は真っ直ぐに俺を見上げると、一度深呼吸をしてから、落ち着かせた心音に乗せて囁いた。

「エミリー、この名前は本当だよ?」

「……え?」

 思わず耳を疑った。彼女の名前は獄道 静香、どこにもエミリーなんて名前は存在していない。

 だが、思い返してみれば、エミリーはその名前で呼ばれることを特に喜んでくれていた。まるで、そこになにか特別な思いがあるように……。

「おばあちゃんがアメリカ人っていうのも本当だよ。エミリーは私のミドルネーム、『ヒトヤ ミチコ』に残された数少ない本当の私なの」

 静香は呟くようにそう言いながら、そっと浴衣の襟へと触れた。

「思い出の中に、私を刻んでくれて嬉しかった……」

 彼女が触れるあの場所にあるのは、『アオト』、『サナエ』、そして『エミリー』の文字。確かに彼女がしっかりと刻まれている。

「その縫い目、もしかして自分でやったのか?」

「うん、ずっと大事にするって言ったから……」

 おかしな縫い目だと思っていたが、あの日から着ていると考えてやっと合点がいった。

 彼女は体が大きくなる度、同じ柄の生地を見つけては丁寧に縫い付け、10年以上も大事に着続けてくれていたのだ。


『いつか見せてよ』という、俺からのお願いを実現するために。


「私、浴衣が似合う大人になったかな?」

 俺の目の前にいるのは、静香であって静香ではない。単に意識の違いかもしれないが、ここにいるのはエミリー以外何者でもないと俺は思えた。

「……ああ、ちゃんとなれてるぞ」

 その返事に、エミリーは感極まって抱きついてくる。俺はその体をしっかりと受け止め、背中に回した腕で優しく包み込んでやった。

「言うのが遅くなったな。おかえり、エミリー」


 綺麗な夕日が地平線に沈むように、オレンジ色の空へ一人の少女の泣き声が溶けていった。




「って、なんでお前がここにいるんだよ」

 エミリーとの再会後、すぐに夕食の時間になったため、結城らもそれぞれの部屋に戻ることにした。だから、部屋に残ったのは俺と千鶴だけになるはずなのだが……。

「問題ありませんわ!この旅館は獄道家の所有物、どこに私が居ようと構わないはずです!」

「いや、構うわ!」

 感動あり、涙ありの再会を果たしたものの、これまでの静香と何かが変わる訳では無い。彼女はいつも通りのペースでお嬢様お嬢様していた。

 ちなみに、エミリーについては俺と早苗との3人だけの秘密にして欲しいということで、千鶴にすら言っていない。

 いくら相手が鬱陶しいやつでも、そういう所はちゃんと守るのが俺だ。話さないと紐なしバンジーさせるぞ!とハードゲイのお兄さんに脅されない限りは吐くつもりはないと断言出来る。

「せっかくの機会ですし、お兄様と一緒に食べたいんですの♪」

「ああ、もう好きにしろ。言っても聞かんだろうし」

「よしっ!許可を頂きましたわ〜♪」

 両手を上げながらぴょんぴょんと飛び跳ねて、全身で喜びを表す静香。見ているだけなら可愛らしいんだけどな……。

 てか、今更だけど、こいつの切り替え能力すごいな。エミリーの時は昔と同じ喋り方なのに、静香の時はちゃんとお嬢様っぽいんだから。

 その器用さが勉強に活かせれば、何も文句ないんだけどな……。

「これは布団の中でのお食事も、させて頂いてよろしいということですわよね!」

 布団の中でのお食事ってなんだよ。いや、ニュアンスで何となく伝わってくるけど。多分、想像してるやつが正解だと思って問題ないな。

 いや、別の問題はあるけど。

「よろしいわけねぇだろ。寝る時は自分の部屋に戻れ」

「なら、この部屋を私のものにすればいいのですわ!お母様に頼めば、出来ると思いますわよ?」

「…………」

 こいつ、目が本気だ。いや、それだけならまだいい。静香なら、本当にやってのけてしまいそうだからこそ怖い。

 俺達はあくまでチケットでタダ宿泊させてもらっている身。お金を払っている客とはレベルが違うのだ。

 静香もそれを理解して脅してきているのだろう。

「わ、分かった。同じ部屋で寝てもいいぞ」

 ただし……と言おうとして、それよりも先に静香が雄叫びを上げた。いや、彼女は生物学的にメスだから、この場合は雌叫びになるのだろうか?

「LET'S 朝チュンですわ、朝チュン!」

「知識が偏りすぎだ……」

 さすが、保健体育を18禁コーナーで学んだだけのことはある。朝チュンなんてワード、男子高校生でも知らない奴いるだろ。

 ……俺がどうして知ってるのかって?そこはそっとしておいて貰えるかな。断じてベッドの下に隠してあるゲームで知ったとか、そういうのでは無いから。


 静香は3分程喜びの舞を披露した後、さすがに疲れたのか、元の位置に座り直して食事を再開した。

 あそこまで騒がしい奴が、急に静かになられると逆に不安になるのは何故だろう。

 パクパクと好き嫌いもなく夕食を平らげ、「ご馳走様でした」と最後にお茶をすすった静香。

彼女は俺の向かい側に座る千鶴をしばらく見つめたあと、不思議そうな目で首を傾げた。

「……どちら様ですか?」

「「え、今更?」」

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