第282話 俺は旅館の裏側に行きたい

 デザートを満喫し、その後のスポーツも楽しんだ俺達は、一度部屋に戻って夕食までゆっくりすることにした。

 今のうちにお土産でも見ておこうと部屋を出たところで、俺はまたしても真理亜さんとばったり会い、「せっかくなので特別に」と、旅館の裏側へ連れていってもらえることに……。


 なんでも、夕方のこの時間には絶景が見られるらしい。住宅街では感じることの無い自然の力みたいなものを感じられるんだとか。

 それなら他のみんなも誘いたいと言うと真理亜さんから、「いえ、関ヶ谷様だけでお願いします」と言われてしまった。1人しか連れて行けない事情があるのだろうか。

 一瞬、旅館の裏側に埋められるんじゃないかという恐ろしい考えが過ったが、そんなわけが無いと首を横に振った。少し、ドラマの見すぎかもしれない。

 俺はそのまま真理亜さんの後ろを歩き、茂みを抜け、立ち入り禁止のロープを潜り、木と木の狭い隙間をすり抜けて―――――――――――。

「…………ん?」

 湯気の立ちこめる温泉エリアへと出た。

「へ、変態よ!」

「最近噂の覗き魔だわ!」

「誰か捕まえてぇぇぇ!」

 俺の姿を見つけ、慌てて体を隠しながら大声を上げる女性客達。待て待て……確かに絶景ではあるし、自然の力もある意味感じ無くはないが、真理亜さんが見せたかったのは絶対にこれじゃないだろ!

「関ヶ谷様、今見た事はお忘れください」

 真理亜さんはそう言って茂みから飛び出すと、「女将さん!あそこに変態が……」と言っている女性客の首裏を手刀で素早く叩く。

 そして気を失った所をそっと床に寝かせ、色々と見えてしまわないようにタオルをかけた。驚く残り2人も同様に眠らせ、3人川の字に並べて満足そうに微笑む真理亜さん。

 こんな早業はやわざ、俺でなくても見逃しちゃうね……。

「行きましょう」

「あ、あの3人、お客ですよね?いいんですか?」

 俺がそう聞くと、真理亜さんは「絶景に犠牲は付き物ですよ」と口元に手を当てて小さく笑う。この上品さが逆にサイコ感を助長してるんだよな……。

 逆らったら俺も眠らされそうなので、大人しく着いていくことにした。埋められる説が少しだけ濃厚になった気がする。


 実はオーシャンビューだった温泉を足早に抜け、反対側の茂みの隙間を潜ると、そこには反対側とは違ってゴツゴツとした岩場が広がっていた。

 まるで刑事ドラマで犯人を追い詰める場所そのもの……というか、立ててある看板に『刑事ドラマのラストシーンで使われたことアリ』と書かれているからそうなんだろうけど。

 そんな危険な場所に、浴衣姿の少女が一人で立っていた。

「あなたをここに連れてきて欲しいと頼まれたのです、娘から」

 真理亜さんがそう言うと、崖に立つ少女は少し肩を揺らす。泣いているのではなく、クスクスと笑うように。

「まだ名乗っていませんでしたね。私の名前は真理亜、苗字を獄道ごくどうと言います」

 真理亜さんのその自己紹介と共にこちらを振り返る少女。

 ―――――――――俺は彼女のことを知っていた。


「何時草旅館へようこそ!お兄様♪」




「まさか、真理亜さんが静香のお母さんだったとはな……」

「ふふっ、驚きましたか?作戦成功ですわ♪」

 俺の反応を見て、嬉しそうに頬を緩める静香。彼女によると、何時草旅館は元々真理亜さんのお母さんが経営していたが、それを譲り受けた真理亜さんは数年前から家族とは離れて旅館を切り盛りしているらしい。

 静香はというと、本来はせっかくの休みということで母親に会いに来ただけだったのだが、真理亜さんが到着した彼女を外までお出迎えしに来てくれている間に俺達がドアの開け方を悩んでいるのを見かけたんだとか。

 真理亜さんが苗字を名乗れば、珍しい名前なので俺がその関係に勘づいてしまう。そう考えた静香は急遽母親に名前だけを名乗るようにお願いし、たった今この場でドッキリ大成功!という流れになる。


「でも、こんなところでお兄様と会えるなんて、運命を感じますわね♪」

「ああ。本当に偶然なのか、疑いたくなるくらいだよ。いや、冗談抜きで」

 てか、くじ引きで当たるレベルの旅館の女将がクラスメイトのお母さんなんて、すぐに飲み込めるような情報量じゃない。

 bitビットどころでは済まないぞ、多分。

「それで、ここに呼び出した理由はそれだけなのか?」

 不可抗力にも温泉を覗くことになり、変態呼ばわりされてまで来てドッキリのネタばらしだけ……なんて、とりあえず爆発させとけばいいと思われている若手芸人の扱いくらい辛辣しんらつだ。


 ……だが、そんな心配は必要なかったらしい。


 俺の言葉を受けた静香は、待ってましたとばかりに首を横に振ると、こちらへ数歩歩み寄ってきた。そして首を傾げながら俺に聞いてくる。

「私を見て、なにか思うことはありませんの?」

 どこか伺うような、心配と期待を含んだ上目遣いだ。そんな彼女の足から頭の先までをじっくりと観察してみた。

「そうだな、似合ってると思うぞ?」

「ち、違いますわ!いえ、嬉しくは思いますけど、今はそういうことではなくて……」

『似合ってる』では無いとなると、『かわいい』とかだろうか。いや、でもそんな単純じゃない気がするんだよな。

「そうだな……うーん……」

 もう一度観察し直しても分かってくれない俺に、静香はヒントとばかりに自分の胸元を指差した。

「この浴衣を見ても、何も感じないんですの?」

 伝えたいことが俺に伝わらない、そのもどかしさと哀しさらだろうか。彼女の指先が微かに震えている。

「浴衣か……」

 彼女が着ている浴衣、綺麗ではあるものの、よく見てみれば所々に本来は無かったであろう縫い目があるのが分かる。

 しかし、うっすらとだが、その柄には見覚えがあった。

 それを認識した途端、俺の脳は記憶の奥の奥まで根を伸ばし、隅の隅まで掘り返し始める。そして。

「待て、その浴衣って……」

 ある瞬間を境目に、目の前の浴衣が俺の記憶の中にある何かと繋がった。


 あれは、まだ幼稚園児だった頃のこと。1ヶ月だけの制限付きで同じ幼稚園に通い、俺や早苗と仲良くしてくれたあの子へ、別れ際に思い出としてプレゼントしたあの浴衣と同じ柄だ。


「偶然、だよな?」

 口では否定しながらも、俺の手は無意識に静香の肩へと伸びる。ゆっくりと、それでも確実に近づいていく指先に、彼女は抵抗する素振りすら見せなかった。

「確認、させてくれ……」

 まるで心臓が耳元にあるかのように、自分の心音がはっきりと聞こえてくる。運動した後のとは違う、緊張している時のとも違う……現実と想像の狭間で、期待という風船に空気を送り込む音だ。

 俺は静香の体を引き寄せると、右手を彼女の首の裏へと回した。そして思い出の傷跡の存在を確認すべく、そっと襟をめくる。

「…………」

「…………」


 そこには確かに、下手くそな刺繍が施されていた。


「……まじか」

 思わず呟いた。記憶の中にある3色の糸、それは間違いなくにあげたものであることを示していた。

「……エミリー?」

 すぐ近くにある顔に向けて俺がその名前を呼ぶと、彼女はくすぐったそうに首を縮める。それから俺の顔を見上げて、満面の笑みを見せた。

「お兄、久しぶりだねっ!」

 静香はそう言うと、ただでさえ近かった互いの距離をゼロにした。小さな体から、めいっぱいの生きている証が伝わってくる。

『様』が抜けただけなのに、すごく懐かしい気持ちになった。彼女は本当にエミリーなのだ、と俺の中の何かが言っている気がする。

 しかし、本能が信じても、心はまだ混乱していた。

「でも、エミリーの名前は『ヒトヤ ミチコ』だろ?獄道 静香じゃないはずだ」

 俺がそう指摘すると、彼女はまるでそれがわかっていたかのようににんまりと頬を緩める。

「調べて見ればわかると思うよ、お兄」

 彼女はそう言って、浴衣の胸元からスマホを取りだした。そしてそれをどうぞと差し出す。


 受け取ったスマホから、少しだけ温もりを感じた。

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