第281話 俺達は甘いものが食べたい

 3時を迎えたということで、魅音の提案により休憩がてら甘いものを食べようという話になった。

 この旅館にはお土産を買えるお店があり、それとは別に部屋で食べるためのデザートを買うことも出来るのだ。

 せっかくだからみんなで集まって食べようということになり、俺が『ネズミの間に届けてください』と言おうとすると、それを遮るように結城が「ネコの間にお願いします!」と店員さんにお願いした。

「別にいいんだが……ネズミの間じゃだめだったのか?」

 まあ、結局はどちらかに集まるんだし、気遣って俺たちの部屋にしてくれたのかもしれないが、どうもそうじゃない感が漂ってるんだよな……。

「え、えっと……まあ、いいじゃないですか!」

 案の定結城は誤魔化し、財布をカウンターに置き忘れたまま店を出ていく。それを魅音が拾い、苦笑いしながら「お察しください」と囁いてから結城を追いかけていった。

「ユアちゃんもあの部屋に人を呼びたくはないかなぁ〜」

「私も同じ、かな……」

 神代さんと御手洗さんも少し呆れ気味に2人を追いかけ、残された俺は千鶴にこう言われた。

「突然部屋を訪ねたら、『少し待ってて』って言われたことない?」

 その時はその意味がわからなかったが、デザートが届くまでの間にネズミの間を覗いてみて、やっと彼の言いたかったことを理解した。


「こ、こんなところにわっちのブr……下着が!」

「結城先輩、こっちにもあります!」

「リンゴちゃん、さすがに散らかしすぎじゃないかな〜♪」

「お片付けは嫌いじゃないですけど、やっぱり旅館なので丁寧に使わせてもらわないとですよね」

「い、以後気をつけます……」


 あたふたと部屋中を駆け回って、散乱した服やら下着やらを集める結城と、それを手伝ってやっている3人。

 どうやれば数時間でこうなるのか分からないが、下着を見てしまったことも含めて、俺はバレないうちにそっと扉を閉めた。


 こりゃ、人には見せれないわな……。



「失礼します!仲居の中居です!注文されたスイーツをお持ちしました!」

 ノックとともに部屋に入ってきた元気な彼女は、机の上へ素早くも丁寧にスイーツを並べると、「モンブラン、私も好きなんです!」と手を振って帰っていった。

 仲居さんとしてはあまり良くないんだろうが、最初の自己紹介で耐性がついてたんだろうな。一人の人間として見れば、面白い人なんじゃないかと思い始めている自分がいた。


 それからネズミの間に4人を呼びに行くと、あの惨状は既に綺麗になっていて、座布団までも綺麗に並べられている。

 神代さんなんかは、どこから持ってきたのはホコリ叩きを持って柱の溝を掃除していた。女子力高すぎないか?

「スイーツ、届いたぞ」

 俺が全員に聞こえるようにそう言うと、「すぐに行きます!」という返事が返ってきたので俺も部屋に引き返す。

 数分後、全員が集まって机を囲み、揃って手を合わせてから食べ始めた。

 ちなみに、中居さんも好きだと言ったモンブランは結城、千鶴はチーズケーキ、神代さんと御手洗さんは大福とみたらし団子をシェアして食べている。

 俺はというと、もちろんアップルパイだ。

 大きさはホールケーキを6等分した内の一切れくらいだが、形を留めているりんごの食感とジャムの甘さ、パイ生地のサクサクとした食べ心地のスリーマンセルが幸福感を与えてくれる。

 この味であの値段とは……この旅館、なかなかやるな。泊まらないと買えないというのが残念なくらいだ。

 美味しさのあまり頬を緩める俺を見て、隣に座っている千鶴がクスリと笑った。

「碧斗は本当にリンゴが好きだね」

 昼食でリンゴをくれたのもそうだが、千鶴は俺が彼の家に遊びに行く時には必ずりんごジュースを用意しておいてくれるくらい、俺の好きなものを理解している。

 だから、何気なく言ったんだと思うが……。

「ああ、リンゴが一番好きだな」

「ぶっ!?」

 同じく何気ない俺の返しに、正面にいた結城がモンブランの頂点に乗っていたクリを吹き出した。クリは目にも止まらぬ早さで俺の耳を掠め、背後の壁にぶつかって四散する。


 ―――――――――こ、こいつ、俺を殺す気か!?


 もしかして、さっきの喧嘩のことをまだ根に持って……と思ったが、ごほっごほっと胸を擦りながら咳をする彼女を見ると、どうもそうでは無いらしい。

「大丈夫か?」

 俺は部屋に置いてあるミニ冷蔵庫から水を取り出して渡してやりながら、背後に回って背中を撫でてやる。

「ご、ごめんなさい。ちょっと驚いちゃったもんで。大丈夫ですから……」

 そうは言っても、おしぼりで口元を拭う彼女の顔はどこか赤らんでいる。もしかして、熱でもあるんじゃないだろうか。

「結城、じっとしてろよ」

 俺はそう声をかけてから、左手で彼女の前髪を上げた。同時に、結城は下唇を噛み締めて瞼を下ろす。

 そっと額に逆の手を重ねてやれば、明らかに自分のよりも高い体温をじんわりと感じた。

 ……やっぱり少し熱がある気がする。慣れない場所ってのもあるのか、それとも運動で疲れていたからなのか。せっかくの旅行なのに気の毒ではあるが、ゆっくり休ませてやった方がいいな。

「熱っぽいなら言わなきゃダメだろ。ほら、部屋まで連れてってやるから」

 俺はそう言うと、彼女の背中と膝裏に腕を回して抱えあげる。いわゆるお姫様抱っこってやつだ。

「い、いいですよ!熱なんてないですし……」

「俺相手にこんなのは恥ずかしいかもしれないが、少しだけ我慢してくれ」

 千鶴があまり男らしいところを見せない方がいいと考えた場合、結城を抱えて連れて行けるのは俺くらいだ。

 他のみんなに熱が伝染るのを避けるためにも、嫌がられてもこうするしかない。

「魅音、扉を開けてくれないか?」

 扉の前まで移動してから両手がふさがっていることに気付き、近くに座っていた魅音にお願いした。だが、彼女は扉を開けようとはせず、困ったような表情をしてこちらに歩み寄ってくる。

「関ヶ谷先輩って鈍感なんですね……」

 どこか呆れたような、でも仕方ないなという雰囲気も持ち合わせた魅音は、俺の目の前まで来ると結城のことを指差しながら言った。

「関ヶ谷先輩はいつも『結城』って呼ばれてますよね。ところで、結城先輩の下の名前はご存じですか?」

 彼女の問いに、俺はすぐに首を縦に振った。

「ああ、もちろん知ってるぞ。結城 りんごだろ?……って、あれ?」

 口にしてみて初めて違和感を感じた。結城 りんご……結城 リンゴ……リンゴ!?

「お、お前、もしかして……」

 俺は頭の中で彼女の名前と先程の会話を照らし合わせてみる。


『碧斗は本当にリンゴが好きだね』

『ああ、リンゴが一番好きだな』


『碧斗は本当にりんごが好きだね』

『ああ、りんごが一番好きだな』


「や、ややこしいこと言うからぁ……!」

 赤くなっている理由に気付かれたからか、結城は俺の腕の中で言葉なのかも分からない何かを漏らしながら悶えた。

「俺はそういうつもりで言ったわけじゃないぞ?!好きなのは果物のリンゴの方で、お前のことは別に……」

「そこまで否定されると傷つくんですけど……わっちも一応女子ですよ?」

「あ、ごめん……」

「謝られると、告白もしてないのに振られた感が出るんですけど!?」

「ご、ごめん……」

「だ、だから……もぉ……!」


 その後、盛大な勘違いをかました結城と、無意識に告白していた俺の間に微妙な空気が流れた。

「日本語って難しいですよね!」

 御手洗さんがそう言ってまとめようとしてくれたが、俺達は結局、その空気を夕方まで引きずることになった。


「……全面否定、ですか」


 結城の囁き呟きは、俺の耳には届かなかった。

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