第280話 オカルトさんは壁を登りたい

 バドミントンを満喫した後は、まだ動けるという千鶴&神代さん&魅音は結城の誘いでボルダリングに、俺と御手洗さんはその近くのベンチで休憩することにした。

 ここからなら4人の動きもよく見えるし、こういうのはやるより見ている方が気楽でいいからな。

「ボルダリングって壁を登るやつだったんですね!てっきり地質を調べることかと……」

「魅音、それはボーリング調査よ」

 少し抜けている魅音に結城が突っ込む声が聞こえてきた。平和でいいなぁ。

「球を転がすと地質がわかるんですね!」

「魅音、それはボウリング……」

 ボケなのか本気なのか……先輩として少し心配だな。まあ、ボルダリングもボーリングも、知っていて得することはそんなにないだろうけど。

「とりあえず、落下防止用のハーネスはつけてくださいね」

 結城がみんなの腰にハーネスを取り付け、しっかり機能しているかを引っ張って確認する。その表情があまりに明るいが……そんなにボルダリングに興味があったのだろうか。

「楽しそうですね」

 順番に壁を登り始めるみんなを見て、御手洗さんが微笑みながら呟いた。

「御手洗さんは登らなくていいのか?」

 そう聞くと、彼女は苦笑いしながら胸の前で手を振る。

「私、高いところが苦手で……。中学2年生の時の組体操で、1番背の高い子と組まされた時には泣きそうなくらいでしたよ」

 ペアを替えてもらえるように頼めば……と思ったが、中2の時の彼女はまだギャル子さんだったんだよな。

 そこまで奇抜な見た目をして、高いところが苦手だなんてみんなの前で言えるわけないか。同じ立場なら俺でも恥ずかしいし。

「克服しなきゃとは思うんですけどね。下を見ると足が震えてしまって……」

 そう言いながら少し俯く御手洗さん。俺は余計なことを聞いてしまったのかもしれない。悪い事をしちゃったな。

「苦手なものは誰にでもある、無理に克服する必要ないんじゃないか?」

 在り来りな言葉だったが、彼女は「ありがとうございます」とこちらを見ながら笑ってくれる。癒されるな、この笑顔。

「関ヶ谷さんはなにか苦手なもの、ありますか?」

「俺は……そうだな……」

 御手洗さんに期待みたいなものが含まれた視線で見つめられ、少し恥ずかしいが俺は観念して正直に答えることにした。

「俺はコーヒーが苦手だな。苦いのがどうもダメで……」

 やっぱりブラックで飲める人ってかっこいいイメージがあるからな。逆に飲めない人はかっこ悪いと思われてしまうことだってあるかもしれない。

 しかし、御手洗さんは「おお……!」と目を輝かせると、にんまりと口元を緩めた。

「関ヶ谷さん、意外と子供っぽいところがあるんですね♪」

 こ、子供っぽい……悪い意味で言われていないのは分かるが、やっぱりちょっと傷つくな。

 そんな俺の気持ちを察したのか、御手洗は慌てたように弁解をしてくれる。

「あっ!いや、悪い意味じゃないですよ?その……可愛いなって」

『可愛い』というワードに、思わず顔が熱くなるのを感じた。『黒髪ちゃん』として女装して外を歩いた時の記憶が、余計に羞恥心を刺激してくる。

 共感性羞恥とはまた違うと思うが、御手洗さんもまた照れたようにはにかんで……。二人の間に温かい空気が流れた。

「楽しそうだね、あ・お・と?」

 突然、御手洗さんのいる場所とは反対側から聞こえてきた声に俺は振り返る。そこには腰に手を当ててご立腹の千鶴がいた。

「おおっ!?ど、どうしたんだ……?」

 驚きのあまりベンチから滑り落ちそうになるのを、なんとか踏ん張って耐える。そんな俺の情けない様子を見た千鶴は、ため息混じりに「助けて欲しいんだけど……」と伝え、俺達をボルダリングの壁がある方へ連れていった。



「まじか……」

 近くで見てみると、予想以上に大きな壁だ。プロが登るような難しいやつではないものの、この平面に凸凹が付いているだけの壁は、初心者には到底登りきれないだろう。

 だが、例外が一人いた。

「魅音!大丈夫か?」

「大丈夫じゃないですよぉ!」

 泣きそうな声色で返ってくる返事。どうやら自分で降りれなくなってしまったらしい。

「魅音、運動神経がいいからスイスイ登っちゃって……下を見たら怖くなっちゃったみたいなんです」

「あいつは猫か」

 猫なら木に登って降りれなくなったみたいな話はよく聞くが、人間も同じ事になる奴がいるとは驚きだ。

 普通なら途中で怖くなって諦めるはずなのだが、魅音の場合は上しか見てなかったんだろう。真っ直ぐ過ぎるのも時には難点ってことか。

「た、助けてあげないと……」

 御手洗さんも魅音の気持ちがよくわかるからか、不安そうに見上げていた。

「魅音!ハーネスがついてるから、飛び降りても大丈夫だぞ!」

「いやです!怖いですよぉ!」

 ハーネスがあれば、落ちたとしてもゆっくりと床まで下ろしてくれる。だが、今の魅音にはそこまで踏み出すことすら恐怖なのだ。

「魅音って走高跳の選手だったんだよな?」

 結城にそう聞くと、彼女は。

「それ、わっちも聞いたことあるんですけど、魅音からすると試合の時は恐怖を感じないらしいですよ?」

 そう言って曖昧な笑みを見せた。俺はスポーツに熱中したことがないから分からないが、そういうものなのだろうか。

「てか、魅音が高いところが苦手だって知ってたんだよな?なんで登らせたんだよ」

 結城の今の言い方だとそういうことになる。高所恐怖症の奴がこんな高い壁に臨んだら、こうなることくらい予想はできてたはずだろう。

「わっちはちゃんと注意しましたよ!魅音が勝手に……」

「先輩なら最後まで気にかけてやれよ!」

「わっちが悪いって言うんですか!?信じられないです!」

「そもそもお前がやろうって言ったんだろ?それに責任持てなくてどうするんだよ!」

「うっ……わっちは……わっちは……」

「お前は先輩失格だ!」

 そう叫んでから、やってしまったと思った。


 結城は悔しそうに唇を噛み締めて、大粒の涙を流している。


 魅音を助けたいという気持ちが先走って、思わず結城を攻めてしまった。そんな後悔の念に心が沈むよりも早く、俺の頬にはペチン!という音と共に痛みが走る。

 結城のじゃない―――――――魅音のビンタだ。

「結城先輩は失格なんかじゃないです!訂正してください!」

 俺が魅音と初めて会った日。あの日も彼女は同じ目をして、結城を……結城の居場所を守ろうとした。その光景がフラッシュバックして、俺は無意識に頬よりも先に胸を抑える。

 あの日から俺の心は、何も成長していなかったのかもしれない……。

「……結城、その……ごめん。魅音が心配で、つい酷いことを……」

 俺の途切れ途切れの謝罪に、結城は涙を拭いながら小さく頷く。

「わっちも……悪かったですから。魅音のことを大事に思ってくれるのは……すごくうれしいですし……」

「本当にごめん……。失格ってのはつい出た言葉というか……」

「わかってますよ、本気じゃないことくらい」

 結城はそう言うと、俺の手をとっていつも通りの笑顔を見せた。

「何年の付き合いだと思ってるんですか!」

「1年以上2年未満だな」

「……あれ、数字にされると短いような?」

「お前との思い出は密度が濃いんだよ」

 俺の返しにケラケラと笑う結城。良かった……一時の感情で彼女との交友関係を絶ってしまうかと思ったが、魅音のおかげでギリギリ踏みとどまれたみたいだ。結城の懐の深さにも感謝しないとな……。

「どうなることかと思いましたよ……」

「ユアちゃん、ドギマギしちゃった〜♪」

「女の子を泣かせた罰、後で考えとくね」

 俺達のやり取りを緊張感を持って見ていたオーディエンスたちも、平和的な終わり方を出来てほっとしたみたいだ。

 一番ほっとしてるのは、多分俺だと思うけど。結城には、後でもう一度2人の時にでも謝っておこう。もちろん魅音にも――――――――――――って、あれ?

「仲直りも出来たところで、そろそろおやつの時間じゃないですか?なにか美味しそうなもの、置いてますかね?」

 弾む声でそう言いながら、ハーネスを外す魅音。その場にいた彼女以外の全員が、その姿を見て声を上げた。


「「「「「自力で降りてる?!」」」」」


「……あっ、ほんとです!関ヶ谷先輩に注意しようと思ったら、勝手に降りてました!」

 俺達の声で気付いたらしい魅音は、てへっ♪と可愛らしく笑う。いくら可愛い後輩だと言っても、元々は彼女のせいで俺たちが喧嘩になったわけだし、さすがにこれは―――――――――「許しちゃう」。


 可愛いは正義ジャスティス、これ本当だわ。

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