何時草旅館 編
第272話 俺は幼馴染ちゃんを置いていきたい
12月17日の早朝。
今日から旅行だ。天気もいいし、まさに旅日和!まあ、温泉だからあんまり関係ないけど。それでも、雨よりはいいだろ!
そんな清々しい気分で玄関に座り、靴を履いていた時のことだ。
「わだじもいぐぅぅぅぅぅぅぅ!」
何かが俺の腰に腕を回して泣きついてきた。まあ、正体はわかってるんだけど。
「早苗!兄貴の邪魔するなよ!私達が遊んでやるから!」
「さなねぇ、私たちと遊びましょう?トランプなんてどうですか?」
茜と葵は俺のことを気遣って、俺を引き留めようとする早苗をなだめてくれる。こうなると、もうどっちがお姉さんか分からないな。
「いやだぁぁぁ!あおぐんどはなれだぐなぃぃぃ!」
たった一日の旅行で大袈裟なやつだ。まあ、愛されてるって実感できるから嬉しいっちゃ嬉しいが……電車の時間が決まっている以上、のんびりとはしていられない。
それに、一緒に行きたいと言われても、宿泊はペアチケットだし。普通に考えて不可能だ。
少し可哀想ではあるが、この場は強引に突破させてもらうとしよう。
「あっ!早苗、犬がいるぞ!」
俺はそう言ってキッチンの方を指差す。こんな『あっ、UFO!』みたいな作戦、子供騙しだとは思うが―――――――――――――――。
「えっ!?犬!どこどこ?」
早苗は頭の中が子供だ。簡単に騙される。
犬を探すべく俺から離れ、キョロキョロと首を回す彼女。俺はその隙をついて、急いでスーツケースを持ち上げた。
「茜、葵、早苗を頼んだ!行ってきます!」
追いかけてこないとも限らないので、急いで玄関の扉を締め、スーツケースの持ち手を伸ばして駅に向かってダッシュ。
背後から「うぞづぎぃぃぃぃぃぃ!」という叫び声が聞こえたが……後でRINEで謝っておこう。
お土産は何がいいという質問も合わせて。
「碧斗、ちょっと遅かったな」
「ああ、出る直前で早苗に捕まってな……」
「まあ、そんなことだろうと思った。集合時間を早めにしといてよかったよ」
最寄り駅から数駅分移動した場所にあるターミナル駅。その改札の前の広場で、俺は壁にもたれて待ってくれていた千鶴と合流した。
普通なら家で合流か、もしくは最寄り駅での合流の方が近いんだが、千鶴曰く、こっちの方がデートっぽいから……らしい。
そんな彼の今日服装はもちろん女装。モコモコの耳あてにマフラー、厚手のコートに暖かそうなブーツと厳重な寒さ対策をしている割に、下は短めのスカートと視覚だけで寒そうだ。
普段は制服だからブレザーを着ていれば何気に暖かいんだが、私服となるとこんな感じなんだな。なんだか、すごく新鮮だ。
「旅館までの行き方は任せていいか?」
俺がそう聞くと、千鶴はドンと自分の胸を叩いて、それからハッとしたように両手で小さくガッツポーズに変えてから、「任せて!」と笑顔で答えた。
確かに女の子の格好で胸ドンは似合わないよな。
「ほら、行こ!」
女の子モードに入った千鶴は、俺の腕を掴むと駅に向かって走り出す。電車の時間まではもう少しあるが、きっと楽しみで仕方がないんだろう。
「ああ、出発だな」
ところで、通り行く人が千鶴をチラチラと見ているように感じるんだが、こいつ自身は気にならないのだろうか。
「…………あっ」
「ま、まさか……スカートがめくれてたなんて……」
旅館までの道のりは、ここから電車を2本乗り継ぐ。その1本目の電車の席に向かい合うように腰掛けると、千鶴は頭を抱えてため息をついた。
先程、あまりにも千鶴への視線が多いため、彼のことをよく観察してみたのだ。すると、正面から見ていたから気付けなかったのだが、彼の後ろ側のスカートが大きくめくれて、下着が丸見えになっていた。
おそらく壁にもたれていた時にそうなってしまったのだろう。スカート、恐るべし……。
「もうお嫁さんに行けない……」
「お婿さんだろ、一応」
「今はそんなマジレスいらない……」
「……なんかごめん」
俺が悪いのかは分からないが、とりあえず謝っておく。とにかく落ち込んでいるみたいだし、励ましてやらないとせっかくの旅行が台無しだ。
「千鶴、大丈夫だ。綺麗なパンツだったぞ?」
「綺麗だから問題なんじゃん!気合い入れてきたのバレたし!」
「うっ……」
確かに千鶴のパンツは気合が入っているの丸分かりだった。赤のレースの大人なパンツだった。
「って、何に気合い入れてんだ?!俺はお前のパンツを見る予定なんて……」
「万が一ってこともあるじゃん!女心がわかってないなぁ!」
とうとう千鶴が拗ねてしまった。ほっぺを膨らまし、俺からは目線を逸らして、目の縁には涙。
どうやら俺は、慰め方を間違えてしまったらしい。
「千鶴、ごめんな?俺のために頑張ってくれたんだもんな」
ありがとう。そう口にすると、膨れていたほっぺがしゅんとしぼんだ。
「分かってくれればいいんだよ♪」
……すごい変わり身だな、こいつ。まあ、元気になってくれたならそれでいいんだけどさ。
「あ、そうだ碧斗。もう朝ご飯は食べた?」
「いや、お前が食べないで来てくれって言ったから食べてないぞ」
「うむ、よろしい」
満足そうに頷く千鶴。そんな彼は、カバンから何かを四角いもの取り出すと、その蓋をパカッと開けて俺に見えるように差し出した。
「お弁当、作ってきたんだけど……食べる?」
少し遠慮がちな声と表情から察せるのは、彼の中にある小さな不安。せっかく作ってきたのに、拒否されたらどうしようという気持ちだ。
「……今日、朝早かったよな?それなのにわざわざ作ってくれたのか?」
重箱一段分くらいの量はある。男2人(ラグビー部、アメフト部は例外)で食べるにしても少し多いくらいだ。
集合時間から逆算しても、彼がかなり早起きして用意してくれたことは明らか。俺も思わず目を見開いてしまった。
「だ、だって……碧斗に俺の手料理を食べてもらえる機会なんて中々ないし……」
上目遣いでモジモジと恥ずかしそうに目を逸らす千鶴。自分のために頑張ってくれたと聞いて、嫌な顔をするほど俺はひねくれてはいない。素直に嬉しかった。
「千鶴、ありがとうな!すごく美味そうだ!」
「ほ、ほんと……?」
「嘘つく理由がないだろ?いい匂いもするし、急に腹が減ってきたぞ」
タイミングを見計らったかのように、俺の腹が血糖値低下の警告音を鳴らす。いわゆる『お腹鳴っちゃった///』ってやつだ。
あまりにもはっきりと聞こえたそれに、俺も千鶴も顔を合わせて笑い合った。そして千鶴はコホンと咳払いをしてから、もう一度言った。
「……食べてくれる?」
「ああ、もちろんだ!」
千鶴は俺の即答に、「えへへ♪」と心底嬉しそうにニヤける。作ったものを喜んで食べて貰えるってのは、そんなに嬉しいことなのだろうか。
母さんが家に居ない分、自分で料理をしたりもしてたからある程度はできるが、自信を持って人に食べさせられるほどじゃないからな。
……練習してみようかな、料理。
幸せそうな千鶴を見ていると、自然とそんな考えに至っていた。
笹倉に弁当を作って貰ってたり、咲子さんに作ってもらってたり、今回は千鶴にも作ってもらった。
たまには俺が恩返しってのも、悪くないかもしれないな。
「ほら、碧斗♪あーんして」
千鶴はそう言って、卵焼きを差し出してくる。作ってくれたお礼に応じてやろう……と思ったのだが、直前で俺はやっぱりやめた。
お箸とか手とかで差し出すならまだ分かる。でも、千鶴はそうじゃないんだ。
「なんで口移しなんだよ!」
俺は
……いや、千鶴のキスの上手い下手は知らないけど。こいつ、普段はチャラい感じだけど一途だし、下手するとキスの経験もなかったりして……。
「って、何考えてんだ!と、とにかく、その要求は拒否させても――――――――――」
迫ってくる千鶴を押し返そうとしたその時だった。
パシャッ!
カメラのシャッターを切る音が、通路を挟んだ隣の席から聞こえてきた。
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