第271話 俺は幼稚園時代の友人を思い出したい
「そうだ、幼稚園児だった頃の話をするか」
再び膝枕の体勢に戻った早苗。その頭を撫でながら俺がそう言うと、彼女は少しだけ嫌そうな顔をした。
卒園式の日、みんなが周りと写真を撮ってお別れする中、早苗は咲子さんのもとへすぐに戻って、スーツのスカートをきゅっと握り締めていた。
俺は何人かと写真を撮ってから彼女と合流したのだが……どうしていいのか分からないのに、ずっと同じ場所に居なくてはならない居心地の悪そうな表情は、なんとなくだが記憶に残っている。
もちろん、最後は早苗と二人で写真を撮った。あの写真を飾ったアルバム、母さんがどこかにしまったはずなんだが……しばらく見てないな。
まあ、俺が話したいのはそんな悪い記憶についてじゃない。実は幼稚園児だった頃、早苗には俺以外の友達が出来たことがあるのだ。
ふとその事を思い出して、無性に話したくなった。特筆すべき理由は特にないけど。
「そんなに怖がるなよ。エミリーのことだ、覚えてるか?」
エミリー、本名を『ヒトヤ・エミリー・ミチコ』と言って、おばあちゃんがアメリカ人で、自分はクオーターだと言っていた。
父親の都合で、1ヶ月だけ俺達と同じ幼稚園に通うことになった、金髪で笑顔の可愛らしい女の子。高校なんかでそんな子が転校してきたら、一瞬で人気者になるだろう。
だが、幼稚園児とは話が違う。周りの子は見慣れないその蒼い瞳を怖がり、エミリーは初日から孤立してしまった。
彼女も原因が自分の異端さであることが分かっていたようで、怖がる子にわざわざ話しかけようとはしなかった。
ただ2人、早苗と俺を除いて。
「なぁに?」
エミリーがそう聞いてきたのは、彼女がやってきてから3日目の事だった。彼女も、早苗が興味津々に見つめているのに気付いていたようで、いつ話しかけようかタイミングを伺っていたらしい。
突然話しかけられた早苗は、もちろん大慌て。「えっと、えっと……」と頭を抱え、俺に視線を送ってきたりもしてきた。
だが、俺が助け舟を出すよりも早く、エミリーは早苗の手を握る。そして、キラキラした瞳でこう言ったのだ。
「わたしのこと、こわくないの?」
気持ちを言葉にはできない早苗だが、その問いかけに対しては、首が取れるんじゃないかと言うくらいにブンブンと縦に振った。
「き、きれい……」
勇気を振り絞って出した小さな声。それが早苗とエミリーとの初めましての挨拶だった。
「ありがとう!」
そんな彼女は日本にいる間、『
初めは俺達もミチコだとか、みーちゃんと呼んでいたが、仲良くなるにつれて呼び方は自然とエミリーに変わる。
幼稚園児の感覚からすれば不思議な名前だったし、呼んでみたいという気持ちをどこかに持っていたからだろう。
エミリー自身もそう呼んでもらえるのが嬉しいらしく、やがてその呼び方は俺たち3人だけの仲良しの証のようになった。
ちなみに、エミリーは早苗のことをサナ、俺のことは途中まで『あおと』からとってオトと呼んでいた。
だが、俺の方が背が高かったのに何だか弟みたいに思われているように感じて不満を言うと、優しい彼女は『じゃあ、おにい?』なんて楽しそうに笑った。
幼稚園外でも何度かエミリーと遊んだことがある。早苗の家に呼んで3人で子供らしい遊びをしたり、公園でボール遊びをしたり。
だが、そんな時間も初めから限りが設けられていたのだから、終わりが来る準備は出来ていた。
出会って1ヶ月しか経っていなくても、もう大切な友達であることに変わりはない。そんな気持ちを幼いながらにしっかりと持っていた。
それに、俺にとってあれは、大切な友達との二度目の別れだったのだ。一度目の失敗があったからこそ、今度はしっかりと送り出してあげたかった。
「あの時、何をあげたんだっけな」
初めは3人で撮った写真を飾った綺麗な写真立てにしようと思っていたのだ。でも、エミリーは何故か写真に写ってはいけないという家のルールがあるらしく、申し訳なさそうに断られてしまった。
あの後、色々と試行錯誤したのは覚えてるんだけど、結局何に決めたんだっけ。
「確か……3人の名前の入った浴衣じゃなかった?」
早苗の言葉に、俺は「そうだ、それだ」と頷く。
あげたと言っても、もちろん俺たちがお金を出した訳ではなく、俺の母さんと咲子さんが半分ずつ出して買ってくれたんだけど。
その代わり、その襟の内側に自分達で名前を刺繍したのだ。母さん達には危ないからって止められたけど、3色の糸を使って下手くそに刻まれた名前と、針で刺しまくって絆創膏だらけになった俺達の手を見ると、エミリーは泣いて喜んでくれた。
「おおきくなっても、これをきるから!」
「やくそく!」
「いつかみせてよ!」
それが俺達の最後の会話だった。
「……そんなこともあったね。すっかり忘れてたよ」
早苗は胸にたまった思い出の充足感を吐き出すようにため息をつくと、ゆっくりと体を起こす。
「エミリー、元気にしてるかなぁ……」
「ああ、きっと元気だ。俺達の家も変わってないし、いつか思い出して遊びに来てくれたらいいな」
「うんうん、そうだねっ!むしろ、こっちから遊びに行っちゃおっかな?今の時代、名前だけでも住所わかるし!」
「特定だけはやめとけ」
笑顔でちょっと怖いことを言う幼馴染に、軽めのチョップをお見舞して。俺は「よっこらせ」とソファーから立ち上がると、冷蔵庫まで歩いて、中からりんご風味のい〇はすを取り出す。
話をしたから喉が渇いてしまったのだ。本当はりんごジュースが飲みたいところだが、夜に果糖はヤバい気がするし、歯磨きも済ませたあとなのでこれで我慢しておく。
「私も飲む!」
ソファーを飛び越えるようにしてこちらに駆けてきた早苗が、俺の飲みかけを奪おうとしてきたから、優しくまだ空いていないやつを脇腹にねじ込んでやった。
別に嫌な訳じゃないが、これを許すと今後も勝手に飲まれるからな。気付かないうちに間接キスは勘弁……じゃなくて、りんごジュースの残量を把握できなくなるので、ここは厳しくさせてもらう。
「今日中に飲みきらないと、明日からそのペットボトルは私のものに……」
早苗はそんな怖いことを言いながら舌なめずりをしているが、それは普通にヤバい人だから自重して頂きたい。
「ほら、もう寝るぞ」
早苗のと2本のペットボトルを冷蔵庫にしまって、俺は時計を見上げる。時刻は23時37分、明日から旅行と考えると、今頃に布団に入るのがちょうどいいくらいだろう。
その後、早苗がトイレを済ませるのを待って、俺達は2階に上がった。そして、いつも通り早苗が奥、俺が手前の配置でベッドに入る。
「明日は一人で寝なくちゃだから、今のうちにあおくんの体温を残しといて……?」
「それは難しい注文だな。明日の昼にはもう常温になってるだろ」
「じゃあ、パンツだけでも置いていって。あおくんだと思って一緒に寝るから」
「…………」
こいつ、いつまで下着の話を引っぱるんだよ。咲子さんならまだしも、朝に双子が起こしに来たらどうする。
早苗の横には男物のパンツ。おませさんな茜なら、おかしな勘違いをしてしまうかもしれない。寝相のせいでパンツにシワが着いていたりしたら尚更だ。
俺は自分の身だけでなく、可愛い従妹達を守るためにも、下着の提供だけは阻止しなければならないのだ。
これはもはや推奨や権利ではない、兄としての義務なのだ……!
「早苗、悪いがいい機会だ。一人で寝れるように…………って、寝てるし」
横を見ると、早苗はいつの間にかヨダレを垂らしながら眠っていた。随分と幸せそうな表情をしている。いい夢でも見れているのだろうか。
「おやすみ、早苗」
そう言って頭をポンポンとしてやると、彼女は左手でその手を握ってきた。そして嬉しそうに笑うと、その手を自分の口元に持って行って。
「おいしそうな、はんばーぐ……うへへ♪」
カブッと、噛み付いた。
その後どうなったのかはご想像にお任せするとしよう。ただひとつ言わせてもらうとすると、早苗の噛み付きは……めちゃくちゃ痛かった。
朝になっても歯型が残っていたくらいだ。気をつけないと、バ〇オのゾンビのごとく、首を噛みちぎられかねないな……。
想像して、少し恐ろしくなった俺であった。
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