第270話 (偽)彼女さんと幼馴染ちゃんは俺の旅行を心配したい
「明日から山猫くんと旅行?そんなの聞いてないわよ」
翌朝の昼頃、11時頃に現れてちゃっかり昼飯を一緒に食べた笹倉は、俺の話を聞くなりすぐに頬を膨れさせた。
早苗もベッドから起き上がって、「えぇ……」と残念そうな表情で読んでいた漫画を横に置く。こいつ、補習がないからってずっとだらけるつもりじゃ無いよな?週末にはクリスマスイベントもあるし、外に出る予定があるのが救いだとは思うが……。
脂肪は落とすのは難しいが、逆は容易いとよく言う。夏休みの塩田のこともあるから一概には言えないが、早苗の場合は一度太れば確実に痩せられないだろう。
努力が苦手で根気もなく、体力もないこいつにダイエットなんて一番不向きな拷問だからな。今太っていないのが不思議なくらいだ。
「ああ、言ってなかったからな。日付けは昨日決まったところなんだ、仕方ないだろ?」
「そうだけど……ね?」
笹倉は珍しく早苗と視線を合わせて頷き合う。そんなに俺が千鶴と出かけるのが嫌なのだろうか。あいつ、俺が知らないところで何かやらかしたんじゃ……。
「だって山猫くん、女装するじゃない。旅行中もきっとするんでしょう?あの人……悔しいけれど可愛いもの……」
「そうだよっ!千鶴くんは可愛いから、あおくんが鼻の下伸ばしちゃうもん!も、もしかしたら薄い本みたいなことになるかもだし……」
笹倉は自分のスカートの裾をきゅっと握りしめ、早苗はそういうシーンを想像したのか、プルプルと震えた。
やっぱり、いくら女装と言っても、あそこまで完成度が高いとそういう危機感を持つものなんだな。
俺も気持ちとしては2人を裏切るつもりは無いし、悪いが千鶴側に傾くこともないと思ってる。でも、2人きりの遠出、終始女装の千鶴、そして貸切温泉。これらの要素が被っていると、俺も気持ちだけで乗り切れるかどうか不安だ。
笹倉も言った通り、千鶴の女装姿は可愛い。おまけにあいつは声まで変えれる。完全にスイッチが入った『ブロンドちゃん』の中に、もはや千鶴の面影は残されていないのだ。
そうなると俺も異性として意識せざるを得ないわけで……。
「大丈夫だ、あくまで男同士の友情を確かめる旅行だ。心配するようなことは何も起こらない」
……多分。と心の中だけで続けた。
「1泊2日だよね?明後日には帰ってくるんだよね?」
早苗は不安の拭いきれていない瞳でそう聞いてくる。やはり、家に俺がいないとなると寂しいんだな。
「ああ、居ないのは一日だけだから安心してくれ」
そう、一日だけ。明後日の夜にはまた会えるのだ。帰ってきたら、空白の一日分甘やかしてやろう。
そう思って早苗の方を振り返ると、彼女はスマホのスケジュール帳に何かを打ち込んでいた。そっと覗いてみると、明日のマスに表示されたのは『至福』の2文字。
「……明後日まであおくんの下着、漁っても怒られない……明後日だけに……ふふっ」
何やら恐ろしいことを呟いているが、聞かなかったことにしよう。あと、下着は全部旅行に持っていくとするか。帰ってきたら半分くらい消えてそうだし。
「旅行に行くこと自体には、私もベトナムに行って会えなかった時間があるから文句言えないわ。でも、やっぱり相手が心配よ……」
あの様子なら、早苗はOKしてくれそうだ。だが、笹倉はまだ納得してくれなかった。
「碧斗くんのしたい気持ちを止める権利なんて、私にはないのかもしれないけど……」
毛先をクルクルと人差し指で弄りながら、俯いたり見上げたり、肩をすくめたり下唇を噛み締めたり。いかにもソワソワしているというか、笹倉にしては落ち着きがない。
それだけ心配してくれているということだろうが、今更予定の変更は出来ないのだ。なら、やっぱり2人には安心して送り出してもらいたいよな。
「笹倉、今まで俺がお前を裏切ったことがあるか?」
「……ないわ」
「俺が、他の女子に押し負けそうになったことがあるか?」
「……小森さん以外は、思い当たらわないわね」
「ああ、そうだろ?」
俺は胸を張って大きく頷く。早苗が小声で「胸の大きな先輩に鼻の下を伸ばしてたことはあるけど」と呟いたが、記憶にございませんということでスルーさせてもらった。
男が大きなお胸様に惹かれるのは子孫繁栄本能の一種なのだ、だから仕方がないと言っても過言ではないのだ。……いや、惹かれてないけど。
だから世の彼女さん達は、彼氏さんが自分より大きな胸の女の人を二度見しても、ビンタだけで手を打ってあげて欲しい。ビンタだけに。
……って、世のスケベ彼氏共のことはどうでもいいんだ。
「俺は笹倉を悲しませるようなことは絶対にしない。早苗、お前に対してももちろんそうだぞ?だから、信じて欲しいんだ」
大切な人達だから、俺といる時は笑顔でいて欲しいし、泣いていたら笑わせてやりたい。そのためにも、俺自身が悲しむ理由を作る訳には行かないのだ。
そんな俺の思いが伝わったのか、笹倉は顔を上げて俺を見つめ返すと、スッと右手の小指を差し出してきた。表情は――――――――――笑顔だ。
「……碧斗くんのことは、いつでも信じてるわよ」
笹倉は、でも……と言葉を続ける。
「今回はちゃんと約束して。帰ってきたら、真っ先に私に電話をかけるって」
ただの指切りだ。でも、そこには確かに守りたくなる不思議な何かがあった。
「ああ、約束する」
子供じみた契約書も何も無いただの約束。それでも俺には、針を1000本飲むより笹倉に寂しい顔をさせることの方が辛いと思える自信があった。
いや、前者は魂が肉体から離れざるを得ないだろうけど。死に地獄と生き地獄、どちらが辛いかと言われれば、答えるまでもないだろ?
笹倉は晩飯も食べていき、星がまばらに見え始めた空の下、「旅行、楽しんでくるのよ」と言い残して帰っていった。
そして今は、風呂上がりにリビングで茜と葵になでなでをして、そこに早苗も加わってきたところだ。
今更だが、いつになったらこの2人は帰るのだろう。俺としてはずっと居てくれても構わないんだが、学校のこともあるからな……。
今は咲子さんが勉強を見てくれているから問題ないが、あの人も締切が近くなると忙しくなるし、いつまでも今のままという訳には行かない。
新学年になるまでには、何とかしないとな。
「兄貴、もう満足だ!早苗はちょっと撫ですぎな」
「あおにいパワー、さなねぇパワー、充電できました。ありがとうです♪」
茜と葵はそう言って笑うと、2人で手を繋いでリビングを出ていった。きっともう寝るのだろう。いつまでもあんな仲良しな双子でいて欲しいな……。
「あおくん、あおくん♪私にもなでなでを〜」
扉が閉まるのを見つめていた俺に、反対側から早苗が擦り寄ってくる。自分が撫でる側の間、ずっと羨ましそうな目をしてたもんな。
明日はこうしてやれないわけだし、今日くらいは少し無茶なお願いでも聞いてやるとするか。
俺は無言で頷くと、彼女の頭に手を乗せて、それを優しく上から下へスライドした。少し湿気を含んだ髪の束の間を指が通る度、気持ちよさそうに目を細める早苗。幸せそうで何よりだ。
しばらく撫でていると、彼女は体から力を抜いて、俺の太ももの上に仰向けで頭を乗せた。いわゆる膝枕ってやつだな。もしかして、して欲しかったのだろうか。
「あおくんのお膝、高さがちょうどいいね……」
早苗は目をしょぼしょぼとさせながら、欠伸混じりにそう口にする。膝枕って催眠効果があるからな、寝たいならこのまま寝させてやるか。
「ねーんねーんころーりーよー♪」
「……」
「おこーろーりーよー♪」
「…………」
「さーなえーはいいこだ、ねんねーしーなぁー」
「……逆に寝れないよぉ」
気を遣って子守唄を歌ってやったのだが、逆に起こしてしまったらしい。さっきまでうとうとしていた早苗が、今はもうおめめパッチリだ。
やっぱりこういうのは子供にしか効かないのだろうか。頭子供な早苗にも効かないし、効果には実年齢制限があると見た。
「あおくん、目が冴えちゃったから、また眠くなるまでお話して?」
「ああ、俺の責任みたいだしな。眠くなるまで付き合いますよ」
「……つきあう……突き……合う?」
「よく分からんが、お前が思っていることが正解じゃないのは確かだ」
少し頬を赤らめた早苗に、俺は苦笑混じりのため息をこぼす。
23時02分、まだ寝るには少し早いか。
俺は時計を見上げ、なんの話しをしようかと考えを巡らせた。
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