第258話 俺は寿司屋に行きたい

 目が覚めると、見覚えのある部屋の天井が見えた。

「ここは……早苗の部屋か?」

 確か俺は、先生に抱きしめられて……。いつの間に帰ってきたのだろうか。ここしばらくの記憶が無いな。

 時計を見てみると、あれから三時間ほどが経過していた。日付は変わっていないし、植物人間とかコールドスリープとか、そういう類ではなさそうだ。いや、後者はSFでしか見ないと思うけど。

 寝起きの目を擦り、ベッドの上で体を起こす。すると、手に何かを握っていたことに気がついた。手紙のようなものらしい。

 開いてみると、差出人は薫先生だった。内容は倒れる前に取り付けさせられた約束と、彼女の家の場所を示す簡単な地図のみ。

 ただ、この手紙の存在だけで彼女がここに来たことは明らかだった。

『会って欲しい人がいる』という話をどうして秘密にするのかは分からないが、あそこまで他にバレないようにしていたことを記した手紙を、覗かれるリスクを冒してまで他の誰かに届けさせるはずはないからだ。

「先生が送り届けてくれたのか……」

 おそらく、倒れた俺をおぶって連れ帰ってくれたのだろう。いくら大人とはいえ、薫先生も女性だ。力で言えば俺の方が強いかもしれない。

 そんな彼女が俺を連れ帰る姿を想像すると、すごく申し訳ない気持ちになるな……。いや、悪いのは倒れさせたあっち側なんだろうけど。

 俺は手紙を横に置くと、ベッドから足をおろして座る。ほぼ同時に、部屋に誰かが入ってきた。

「あら、ようやくお目覚め?」

 笹倉だ。彼女は俺が起きていることを確認すると、電気のボタンを押して明かりをつけた。

 俺は慌てて手紙を枕の下へと滑り込ませる。見つかったら、絶対に問い詰められるだろうからな。

「これから小森さんのお母さんに外食に連れていってもらうのだけれど……碧斗くん、体調はどうかしら」

 こちらに歩み寄り、俺の隣に腰かける笹倉。彼女の表情からは、俺を心配してくれていることが伺えた。

「ああ、大丈夫だ。ぐっすり寝たおかげで眠気も感じないくらいピンピンしてるぞ」

 そんな表情を変えたくて、俺はあえて大袈裟に腕を回したりしてみる。それを見た笹倉は、安堵の溜息を零しつつ、小さく微笑んでくれた。

「よかった……。本を運んでもらったら倒れたって聞いたから心配してたのよ。きっとテストで疲れていたのね」

 俺がそんなヤワな人間に見えるのか!なんて怒ったりはもちろんしない。むしろ、心配させたことを申し訳なく思えてしまうくらい、目の前の微笑みは優しかった。

 いや、別に疲労で倒れた訳じゃないんだけど。そりゃ、『胸で窒息させちゃいました』なんて言えるはずもないが、嘘をつくならもう少しマシな嘘をついて欲しい。

 出来れば薫先生が悪くなる方向のやつを。そうじゃないと割に合わないし。

「それじゃあ、急がなくていいから着替え終わったら降りてきてくれる?」

 笹倉はそう言うと、立ち上がって部屋を出ていこうとする。が、ドアの手前で何かを思い出したように立ち止まると、こちらに引き返してきた。

「ん?どうした?」

 俺がそう聞くと、彼女は座っている俺に目線を合わせるように少しだけ屈む。そして、何も言わずに俺の前髪をかきあげた。

 何をしているんだ?と不思議に思った数秒後、額に温かくて柔らかい感触が伝わってくる。久しいけれど、しっかりと記憶に残っている感触だった。

「ふふっ、忘れ物よ。おはよう」

 彼女はにっこりと笑うと、小走りで部屋から出ていく。残された俺は、呆然と少し開いたままのドアを見つめていた。

「お、おはよう……」

 幸せな不意打ちを受けた額に指で触れながら。



「碧斗君、大丈夫だった?お姉さん、心配で心配で夜も起きれないくらいだったわよ」

「もう元気になりました。さらっと自分をお姉さんって呼ばないで貰えます?あと、夜はちゃんと寝てください」

 相変わらずツッコミどころが多い咲子さんが運転する車に揺られ、外食に向かう俺たち。どうやら今日は双子たちの希望により、寿司に決まったらしい。

「体が元気になったからって、他の部分も元気にしちゃダメよ?車の中だし、双子ちゃんもいるんだから」

「なりませんから安心してください。てか、双子の前だって言うなら、そもそもその話題を出さないでください」

 2人にはいつまでもピュアでいて欲しいって言うのに……。好奇心旺盛な葵は「あおにい、他の部分ってどこですか?」と聞いてくるし、おませさんな茜はいつの間にか寝たフリをしていた。

「ねぇねぇ、あおにい?教えてください。他の部分ってどこなんですか?」

「髪の毛だ。人間はね、元気になりすぎると髪が金色になって逆立つんだ。不思議な生き物だろう?」

「本当ですか!?まるで、学校で男の子がやってた遊びみたいです……」

 どこに持っていたのか、書くものと書かれるものを取り出してメモし始めた。

 まあ、そりゃ七つの玉を集める人達のことなんだから、小学生が真似していてもおかしくはないだろうが……いくら落ち着きがあると言っても、葵も頭の中は小学生なんだな。

 でも、そのおかげで葵のピュアハートは守ることが出来た。馬鹿とハサミは使いようとはよく言うが、その通りかもしれない。

 ちなみに俺は、前にやっていた『犬とハサミ〇使いよう』というアニメが好きだったな。特にバトルシーンが。

「そろそろ着くわよ」

 咲子さんの声に窓から外を覗いてみると、『うさ寿司』の看板が見えてきた。日本屈指の回るお寿司チェーン店だ。

 ちなみにうさ寿司のうさは創業者である『うさみ』さんから取っているらしく、漢字では月見うさみと書くらしい。珍しいよな。


 そんなことを考えているうちに、車は駐車場の一角に停止する。降りて見回してみる限り、ギリギリ最後の空きエリアに停車できたようだ。

 これは店内は混んでるだろう。かなり待つことになりそうだな……。なんて思っていると、早苗が耳打ちしてくる。

「お母さんが予約してくれてるから、あんまり待たなくてよさそうだね」

 なるほど、その手があったか。どれだけ店が混もうとも、予約者が寿司にありつけることは約束されているのだ。

 自分たちが予約していなかった時は、悠々と案内されていく予約者たちを恨めしく思ったものだが、あちらからの景色はこんなだったんだな。

 店内に入った俺は、順番待ちエリアに座っている人々を見回しながら、密かに優越感に浸った。

 久しぶりにこのシステムに感謝したかもしれない。

「私、もうお寿司の口になっちゃったよ。早く食べたいなぁ……」

 早苗がそう言いながら、溢れんばかりのヨダレを引っ込める。

 寿司と言いながら、そのジェスチャーが手にナイフとフォークを持っているように見えるのには突っ込まないでおこう。きっとそこに意味は無いだろうから。


「6名で予約の関ヶ谷様〜?」

 少しすると、店員さんに名前を呼ばれた。

「何で俺の名前で予約してるんですか」

 普通に考えれば、ここは小森名義でいいだろう。俺はこの団体の長になったつもりはないぞ。

「印税が入る前で、奮発は危険なのよ。いざとなったら碧斗君に罪を擦り付けられるようにしておいたわ。これが主婦の知恵よ」

「悪知恵の間違いじゃないですか?」

 まあ、お金さえ払えれば問題は無いから別にいいけど。笹倉や双子たちがいる分、人数は多くなってはいるが、大食いがいる訳でもないしな。

 大人しく店員さんに案内され、席へと向かう。入口から少し離れた、真ん中辺りの席だ。

「あたし、奥がいい!」

「わたしもレーンの近くがいいです!」

 そそくさと双子が1番奥を確保した。やっぱり中身はまだまだ子供だな。

「じゃあ、俺は茜の隣にしようか」

「き、来てもいいけど、邪魔するなよ?じ、自分で注文できるからな?」

 背伸びしたい年頃なのだろう。物理的に背伸びしながら、タッチパネルに手を伸ばすその姿は、何とも愛らしかった。これは邪魔する訳にはいかないな。


 そんなほんわかした光景に癒される時間もそう長くは続かない。

「じゃあ、私があおくんの……」

「じゃあ、私が碧斗くんの……」

 早速二人の間にバチバチッと火花が飛び散った。

「うふふ、炙りサーモン美味しいわね」

 既に食事を始めた咲子さんが、幸せそうに口元を押えている。

 気をつけないと、炙りサーモンが焦げサーモンになるかも知れませんよ……なんて、あんまり上手くなかったから言わないでおこう。

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